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この考えは、「反出生主義」だったんだと気づいた私の話

note初投稿なのでお手柔らかに…

わたし


26歳、会社員5年目。最近の友人たちは口をひらけば結婚の話か、マッチングアプリの話をする。私は「今は自分の時間が楽しくて、彼氏は『まじで』いらないから」と豪語して、ほかの人の恋愛話をそれなりに楽しんで聞いている。私は、大企業に勤めて、やりたい仕事ができている。仕事終わりにジムに行って、週末には新宿か渋谷に買い物に出かける。誰のことも考えず、ただ自分のためだけに好きな時間を過ごし、ほしいものを買う。そんな毎日が楽しい。でも、友人の話を聞いていると、もしかしたらこんな生活は「本当の幸せ」じゃないのかもしれないと思うこともある。「一人で楽しく日々を過ごして充実した自分」を半ば強制的に、強迫観念的に思い込もうとしているのかもしれない。そんな風に思うこともある。

私は昔から、「生まれてきたくなかった」と思って生きてきた。いつからそう思うようになったのかは思い出せない。ただ、生まれてきたくなかった。

小学校の「いのちの授業」で、大きな木を書かされた。母親、父親。その母親と父親、そしてその母親と父親…。黒板に一つの大きな木がかかれ、その一番下にあなたはいる。この命のバトンに感謝しましょう、という言葉で授業を締めた。確かあの授業は、授業参観日の日だったから、後ろに親たちがたくさんいた気がする。私はその「バトン」に何の意味があるのかが全く理解できなかった。

中学生になった。ちょっと変わった学校で、あれは何の科目の授業だったか忘れたのだが、「結婚をしたいか、したくないか」という議論をした。心理的安全性の高い学校で、自分の意見は堂々と主張できる校風だったのもあり、私は一人だけ黒板の左端、「結婚はしたくない」に自分のネームプレートを貼った。一人だけだった。理由を先生に問われた。そこで何を答えたかあまりはっきりと覚えていない。ただ、先生が気を遣うような顔をしていたことだけ覚えている。もちろん、悪気はないことはわかっている。

高校では好きな人ができ、3年間付き合ったが、それぞれ別の大学に入ったタイミングで別れた。でもその後すぐ、大学で素敵な人と出会った。彼と一緒にいると、自分の存在が肯定されるような気がした。彼は私に「そのままのあなたが好き」と言ってくれた。よく考えると、そんなことを言ってくれた人は人生のなかでその人がはじめてだった。とても楽しくて、自分らしくいられて、心があたたまる時間を過ごした。でも、それでも私は「生まれてきてよかった」とは思えなかった。


「産んでもらったことに感謝しろ」

あれはいつのときの話だっただろうか。親に「産んでやったんだから感謝しろ」と言われたときがあった。(確か、一回だけではなかった)
その時私は、「生まれてこなければ、楽しいことも苦しいこともない、完全な無の状態だから、『生きてきてよかった』という感情も生まれない。だから私は生んでもらったことに感謝はしない。」と言った。その時の母の顔は、いらだちとは違う、少しぎょっとした顔をしていたようにも思う。

友人たちは「子どもが欲しい」という。理由を問うと、「お母さんになりたい」「赤ちゃんはかわいい」「自分と彼と似た顔の子どもの顔が見たい」という。

私はいつもそれを聞いて、いら立ちを覚えてしまう。
「なんて自分勝手なんだ」

自分が母親になりたいからという理由で、かわいいからというペットのような理由で、自分と彼の愛の証明として。

子どもはあなたの道具じゃないよ。


abemaの「反出生主義」特集

youtubeのおすすめに突如出てきたアベプラの「反出生主義」の特集番組。本当に驚いた。自分が考えていたことに名前がついていて、同じような考えをもっている人がいる事実に、安心感を覚えた。
私もそう考えているんだ、21世紀にもなってなにも疑うことなく「子孫を残すべき」という世論が変わらないのが理解できないんだ、とコメントをした。
「本能消すとか無理すぎて草」らしい。そうかー。笑



聞きたいこと

私は過激派にもならないし、この考え方を他人に押し付けたいとおもってない。だからこの質問には敵意はない。

「なぜ子孫を残すべきだと思うのか」
「人間は本能を理性によって抑えることができる。そのうえで、なぜ子孫を残すことは許されるのか」
「子孫を残すことによって苦しみを生むことについて、どう思うか」

ぜひ教えてほしい。本当に、知りたいだけ。


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