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240615◇『表現を仕事にするということ:小林賢太郎』を読んだ

◎読む前

ラーメンズが好きで。現代片桐概論なんて最高なんだから。演じ手としての活動を終えた小林賢太郎に対してはとても残念な気持ちでしかない。彼の思うことを知ることができたらと読むことにした。

覚書を書いていくが、これは、なかなか長文になるな。

◎作品紹介

やるやつは、
やるなと言われてもやるんです。

表現を仕事にする上で大切にしたいこと。
起こりうる様々な困難の乗り越え方。
表現の表裏にあることについての39篇。

どんな思っても見ない出来事も、
それを経験したからこそ、
たどり着ける表現があるはず。

◎覚書

まず、表紙の手触り、扉絵?の手触りが気持ちよかった。よいザラつき。カバーを剥がしてみると、またひとつ別のギミックがあって良い。

・表現を仕事にするということ

全てが自分次第なんだな。成功できる人はほんのわずかだけど、表現が好きで生活全部を投げ捨ててでも取り組める人がやる仕事なんだ。

・「上手なアマチュア」と「プロ」との違い

表現は見る人ごとに評価が変わるから、プロかどうかの線引きは曖昧そう。プロとして生きているかどうかで分かれる。前項にも近い感じがする。人生を、生きることを表現に注力できるか?

・「才能」と「努力」と「運」

才能ってすごく曖昧な言葉で。数値じゃ表せないものだから幻想を抱きがちなのかも。
努力による才能のような結果が出せたら、しめたものだ。どんな結果が出るかには運も絡んでくる。

・やりたいことの見つけ方

やりたいことがない=なんだっていい、選び放題ということ。踏み切れずにいる、かくれやりたいことが自分の中に眠っていないか?

・夢は名詞ではなく動詞で

具体的な何か、誰かを夢と捉えるのではなく、したいことを夢とする。「ピカソみたいな」画家はあくまで憧れであって、それそのものが夢ではない。

・「できること表」の書き方

できることで、やること
できることだけど、やらないこと
できないことで、できるようになりたいこと
できないことで、できないままでいいこと

なんでもできるようにならなくていいし、なにができるかを理解しておきたい。自分の軸が見えてくる気がする。

・役者になるか迷っている人へ

演技力は説得力と引き出しの多さ。
自分の言動が相手からどう見えているか常に自己審査するように。人への興味を持っていれば表現の選択肢が増える。自分がどうしたいのかを考えて、自分が行動する。

・どうして挨拶が大事なのか

挨拶には気持ちを伝える機能があるから。表現という仕事は相手が存在する。気持ちを伝え合うことが大事。

・僕がメディアに出たがらない理由

自分のしたいことはテレビではない場所で叶っている。自分の作品を守るため。
(小林賢太郎テレビ、すごく良かったけどなあ)
知名度の上がりすぎを避けたいから。人の有名度よりも作品の面白さで舞台作品のチケットを買ってほしい。知名度より実力を上げる。それができていれば鼻がきく人にはちゃんと気づいてもらえる。

・アドバイスの受け取り方

もらったアドバイスはその場で反発せず、いったんちゃんと聞く。後から自分の考えと照らし合わせて、ほしいところだけもらう。
もらった言葉が感想か、意見かを見分けることも大切。個人の意見か、客観的な情報を元にしているのか。アドバイスやヒントをもらっても、答えを見つけるのは自分自身。

・自分のジャンルを自分でつくるという選択

表現を仕事にするには「どこかの業界に入る」か「どこの業界にも属さない」かの道がある。
確かに小林賢太郎は「職業:小林賢太郎」だと思う。他人に自分のジャンル、職域を決めつけてくる人もいるけれど、表現は自由と無限の可能性を持っている

・つくり手と、演じ手

つくり手と演じ手が同じなら、意図がぶれずにアウトプットできるけれど、必ずしも同じでなければいけないというわけではない。より魅力的な演じ手がいれば、自分はよりつくり手に専念できるから。オムニバース良かったな…!

・表現と、お金

結局は自分が納得した表現ができているか?な気がした。低予算でもそれが必然であるように演出したり、いくらお金がもらえても納得できない内容なら心は満足しないし。お金が目的ではないから。

・価値のある表現者であるために

肩書きや人脈が自分の価値を示すものではなくて。あくまでも副産物というか。有名なドラマに出たから良い俳優なわけではない。表現を突き詰めていった結果にそれらはあるのだと思う。

・他人の表現を否定する人について

多くの表現活動には「目立つ」が伴う。それと共に自分を否定してくる人たちもいる。いろんなタイプや考えがあるだろうが、そんなトゲは無視だ。無駄に傷つくことはない。

・「ここで働かせてください」と、来る人よ

(千と千尋の神隠しのようだ。現実世界でこのセリフが聞けるのか)
なんでもします!は何ができるか分析できていない、客観力のなさの証明。
自己評価の正確性。自分の特性を人に示せるか?

・表現を仕事にしたい子、心配する親

自分の才能を証明するのはすごく難しいが、それが表現を仕事にするということ。親にすら証明を出せないなら世間にも証明は出せないな。やるやつは止められてもやる。止められてもやらないやつはそこまでなんだろうな。

・アイデアの出し方

小林賢太郎の「思いつく」は「気がつく」と「たどりつく」に分解される。それらの積み重ねで0から1に辿り着いている。早く何か思いつかなきゃという感覚に問わられるべきではない。自分が作るものが好きで前向きに取り組むのが楽しいよね?

・やる気の出し方

小さい一歩から始めてやる気の通り道を開ける。お風呂入んなきゃ!なら片方の靴下を脱ぐ!みたいな。

湧いてきた創作意欲を逃さないために、ワープロソフトや書きかけの絵など出しっぱなしにしておく。すぐに取りかかれるし、作りかけの作品が目に入る、ぼんやり視界に入ることで次の手に気付けるかも。

メイキング映像やトレーニングしている姿を見て、何かを生み出す姿を見ることでこちらも生み出したくなる。

やる気のない自分を無視する。生み出すことが仕事なのだから、やらないという選択肢はない。

・締め切りとの付き合い方

ダメ完成させること。いったん完成させて、どこがダメダメなのか明らかにしてそれらに対して取り組んでいく。どんどん肉付けしていく感じかな?芸術に完成はないので、一旦出来たものの更新をストップさせる境界線が締め切りという存在。

・表現と睡眠

寝起きの自分が1番プレーンだから、雑念なく作品に向き合えるらしい。ひとりで作品に向き合えるなら、それ中心に生きられるんだろうな。

・インプットとアウトプット

何かを取り入れよう!ではなく、興味あることから取り入れることになるが自然な流れなのかも。

・古くならない作品のために

流行りを感じさせる要素は選ばない、知らないと笑えないということも避けられる。
普遍的な事実を取り入れている。
確かにラーメンズの公演を何度観ても、古さを感じることはないもの。

・制限は、あったほうがいい

場にある制限、自分で設ける制限、与えられる制限。どんな制限も作品を生むための貴重なきっかけになる。ラジオのメールテーマが「なんでもいおから面白いこと」だったら、何もできないもんな。制限とか条件があることで、ひらめきや工夫が生まれてくるのかも。

・「それっぽいこと」にとらわれない

オリジナリティのある作品で戦いたいはずなのに、概念、つまりそれっぽいことを基準にしていないか?表現者としてオリジナルを生み出そうというのなら、人は何を面白いと思うのか、人は何に感動するのかという本質をみなければ。

・表現と健康

「風邪をひいたらぶっ殺す」ルールはとても面白いな。確かに少しでも気になることがあれば集中できないもんな。表現を受け取ってくれる人のためにも事前準備、事後のケアは大切に。

・相談のコツ

人に相談することは大切だけど、まずは自分にしっかり相談すること。考え抜いた上で誰かに相談す?ことで見落としていたことに気づけるはず。

・プロとしての、コメントの責任

表現を仕事にするきっかけは、観客として感動するところから。専門家や審査員の一言は大きい存在になる。否定的な表現をして、その感動の妨げをしてはいけない。私も褒められたい。

・表現者にできる社会貢献について

震災の頃の話。娯楽は必要だったと思う。表現の力で義援金を集めることができ、社会貢献に繋がっている。みんな集まるから、大きな力になるんだな。

・表現活動を、いつ始めるか、いつ辞めるか

表現活動の始めどき、辞めどきに正解、不正解はない。不正解があるとすれば、他人からの押し付けによる場合。

・思いどおりにいかないからこそ、完成予想図を超えられる

まっすぐストレートに作品ができることはなくて、思い通りにいかないこともある。それはネガティブなことではなく、それをきっかけに発想の転換がさらることがある。
「人生が想像どおりにいくほど、人の想像力は豊かではない」
思ってもみない出来事もそれを経験したからたどり着ける表現があるはず。

・正直であり、嘘つきであること

上手に嘘をついて、観る人に美しさや楽しさを伝える。3次元というリアルを2次元というフィクションに置き換えるように。マジックだって種を知らないからショーとして楽しめる。演技だって嘘。最高の嘘でお客さんを楽しませたい。

・悩みの種との向き合い方

悩んでいる問題がどんな性質なのか見極めて対応する。解決のない問題や解決しなくてもいい問題、分類は多岐にわたる。何でもかんでも全力で向き合っていては心が持たない。考えても仕方ないことは考えないようにしよう。自分自身が起こした問題は例外で。

・「表現こそが人生で一番大事なこと」という錯覚

小林賢太郎にとって、つくることは生きること。て人生で一番大事なことは?と問われれば、そんなものに順番などないと。もし誰かが原因で思うような表現ができなくても、その状況下で最大限できることをするしかないし、それが能力として評価される。

・感受性と、ストレスと、泣き寝入りの美学

感受性が高いといいことも悪いことも受信してしまう。この敏感さは武器にもなるがストレスにもつながってしまう。ストレスが1発生したらそれを飲み込んで終わらせる。ストレスの総数が少ないほうがいいと考えているから。ストレスを与えてきた人にも笑ってもらえたらそれでいいと言える彼はすごいな。

・表現を生み出せなくなってしまったら

演出家小林賢太郎が、役者小林賢太郎をクビにした。辛い一文だった。涙が出た。彼をそんなことにまで追い詰めたやつを許さぬ。生めない悲しみとではなく生みの苦しみと向き合えているとあるが…彼が本心からできている活動ならそれでよいが、心配になるパートだった。
彼の作り出す、最高の嘘をこれからも楽しみたい。

・リーダー論

正解を示すのではなく、方向を示す。それでも困ったメンバーがいるとしても、自分を奪われすぎないように。メンバーを守るのはリーダーの仕事だが、リーダーもまたメンバーのひとりだから。相手の人生を尊重することは、見捨てるとは違う。改善のない人とわざわざ同じ場所にいなくてもいい。

・表現が人の心に届くしくみ

人それぞれ、表現を受け取るための受け皿がある。そしてそれの形、心の形は常に変化している。求めていること、心の形にはまるものを、人は受け取る。表現は受け取り手の心が決めるもの。

・表現欲

私が表現をしたいのは承認欲求を満たしたいからだ。小林賢太郎の考えからすれば、純粋な表現欲では内容に感じた。
本当に表現と生きることが直結している人だなと思う。「僕は、僕が観たいものをつくる」体に深く刺さる言葉だった。そんなに想えるものに出会っていないから。

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