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出会ったことには理由がある ~冬単2024・完~

 2024年5月12日、日曜日。約1ヶ月に渡り上演されたMANKAI STAGE『A3!』ACT2! ~WINTER 2024~、大千秋楽。
 言葉にするとチープだけど舞台の上にも客席にも沢山の笑顔と涙があった1ヶ月間。物語の中にも外にも沢山の文脈を背負った今回の冬単、全31公演無事閉幕。関わったすべての皆さん本当に本当にお疲れさまでした!

 終わってしまったことはとても寂しくて、初日があまりにも遠い昔のように感じる……。TDCで行われていたあの公演が1か月前とは思えないほどに最後は全然違うものになっていて、演劇馬鹿だらけの冬組らしい起伏に富んだ公演期間でした。すべての公演を観たわけでは決してないけれど、永遠に閉じ込めておきたいお芝居、感情、言葉、表情が数えきれないほどあった。だから書き残そう、今回も。拙くまとまりのない文章で恐縮だけれど、忘れたくない物語を。いつかは忘れてしまうかもしれない、そんな儚く愛おしい日々のことを。


ストーリー全体の話

 春組、秋組のOPと似ていてこれまでの本公演の台詞をなぞる演出で始まる冬組公演。春単2023では過去に主演を務めた4人が「みんなで探しにいこう」と階段を降りて寄り添うみたいに至とシトロンの元へやってくる、秋単は主演を務めた4人が「置いてっちまうぞ」と太一と十座を置いて階段を上がる、冬組は主演を務めた4人が降りてくる丞と密を受け止めるように階段下で待つ。それぞれの組の互いへのあり方が表現された、すごく面白い演出だと思った。せっかくなので夏組はというと「海だ~!」だったので異色でしたね。正直冬組は海と親和性が強いので、夏の海演出を踏襲するものだと思っていて初日に幕が開いて「海じゃないんですけど!?!?」てなった。なんだったんだ海。会場のせいなのか。あれはとっても夏組らしく楽しくて最高のOPではありましたが。夏組は横並びなんだよね、誰かを迎えに行くとか置いていくとか受け止めるじゃなくて、みんなで同じ高さの同じ道を歩きたがる人たち。

 今回の冬組の公演は「自分という存在」に焦点を当てた2作品。冬組らしくテーマが重い。自分はどうしてここにいるのか、自分はこれからどうやって生きていくのか、ルーツと未来にスポットが当たった丞と密の物語。他の組よりも平均年齢が高く、大人であるからこそ様々な経験を経てきた6人が不慣れなりに、お互いを理解し助け合い認め合い、慈しみ合う物語。
 冬組は「慈しみ合う」という日本語がしっくり来るなぁとよく思っていて、互いに持つ傷を舐めるでもなく、無理にかさぶたを剥がして治療するでもなく、傷すらもこの人なのだと丸ごと包んで肯定する懐の広さがある。「何か迷っている」と気が付いても、「過去のことで悩んでいる」と察していても、無理に言葉を引き出すことはせず、ここぞという時に少ない言葉と懸命な行動で支えようとする。お互いにとても臆病で、お互いに傷を触られる痛みを知っていて、お互いにただ傍に居てくれるだけの救いを理解している。沢山傷付いたからこそ、その悲しみを他者への優しさに変換できる、愛情深く温かい6人。
 進路を選んだり転職したりという人生の岐路がそんなに無い大人たちゆえに、今回の丞と密の物語は冬組が持つストーリーの中では結構窮地の方だったのかもしれない。特に丞の話は他の組だったら完全に脱退騒動でしたね、丞は自分で消化するまで黙っていたから劇団としては大騒動にはならなかったけど。

 劇中劇に関してキャストの得意分野だけを考えれば、1幕『剣に死す。』は歌をメインのミュージカル構成にし、2幕『Risky Game』は芝居をメインに構成(去年の春ヶ丘カルテットみたいな感じに)した方が、キャストたちはやりやすいんじゃないかと開幕前は考えて居た。だから初日に『剣に死す。』が原作通りのストレートプレイだったのを見て「やってくれたな」とニヤニヤしたし、制作陣の原作やキャラクターに対する心意気みたいなものを感じられたのが良かったです。エーステの高遠丞主演公演でガチガチの殺陣ありストレートプレイをやるっていうのは、ある意味当たり前の誠実さであり、でもそれを叶えてくれるのは全然当たり前じゃ無いからね。そうあれば良いと願うことと、本当にそれが実現することは別の話だ。『Risky Game』は題材や衣装的にショーのようなミュージカルの方が合うと思っていたので、思った通りの楽しい演目が繰り広げられて嬉しかった。ストレートでやると最後のシーンに引っ張られてちょっと暗くなっちゃいそうだしね。
 どちらの劇中劇も冬組を演じる俳優たちの手練れ具合が如実に表れていて、何をやっても合格点以上のものが出てくるし、マルチプレイヤーがこれだけ集まる現場はやっぱり観劇満足度が高いなと感じた。全員が毎日ちょっとずつ違うことをするからどこを見るかいつも悩む。あと冬組ってキャラクターとしてのバランスが良いなと言うことも感じる。演劇馬鹿な大人たちだからこそ老若男女問わず何でも演じようという気概があるし、キャストも割と見た目年齢や身長がめちゃくちゃなので上手いことキャラクターの年齢不詳な感じとマッチしていて劇中劇でどんな年齢や性別の役を演じてもあまり違和感が無い。冬組だけで学園物とかも出来なくないんだろうな、とか考えたりした。MANKAIカンパニー的にそれを冬組でやる必要があるかは議論が必要かもしれないけど。

役者陣の話

 ここからは役者陣に対してのお話。6人のキャラクターと6人の役者と、それを支えた様々な人について。自分の知識の偏りにより文量にかなり差が出ていますがご容赦下さい。キャラクターだったり俳優だったり原作だったり、色んなものに触れた感想。
めちゃくちゃな長さになるので劇中劇にはあまり触れていません。
※これを書いているのは月下組のオタクです。

○北園涼さん as 高遠丞

 第5回公演「剣に死す。」主演、高遠丞。小学生の頃に紬と一緒に立った学芸会での芝居が忘れられず、以来人生を演劇に捧げて生きてきた生粋の演劇馬鹿。ストイックで自分に厳しく、他者にも割と辛辣だけれど、実は素直に生きているだけであって結構他人に甘いし仲間のことが好き。
 高遠丞という人間の魅力は色々あるけれど、1番はきっと、奥深さなのだろうとわたしは思う。ほんの数瞬関わっただけでは分からない、深く知ろうという気持ちが無いと伝わらない、彼の健気さや一生懸命さ、分かりにくい愛情深さ、見た目に反した可愛らしさのギャップ。本人が自覚していないからこそチャーミングで、冬組のみんなは末っ子である丞のことが可愛くて一緒にいるのが楽しくって仕方が無い。そういう丞の魅力を「人間らしさ」「生きている人間の幅」として演じてくれるのが、北園さんだ。
 2.5次元は生身の人間である俳優同士の掛け合いだから、どんな仏頂面をしていても、どんなにつっけんどんな物言いをしても、その人が相手にどんな感情を抱いているか分かってしまう。北園さんの演じる丞は口では冷たくあしらいながら、呆れた仕草でため息をつきながら、向ける目線がとても優しい。そして絶対に拒絶のオーラを出さない。冬組というチームの中で自分が受け入れられていることに丞自身が安心しているし、一緒に芝居をするメンバーのことを受け入れて、丞なりに心配したり甘やかしたりしている。だから、2.5次元になる意味が強く出るキャラクターの一人だな、とこれまでも感じていたし、今回もすごく感じた。より広く沢山の人に、高遠丞が持つ魅力が伝わるのはきっと良いことだと思う。それはステ特有のものでは無いということも重ねて広まるといいよね、とも思うけど。
 北園さんは丞らしい、隠さない・隠せない人間の仕草というのがすごく上手。感じたことが顔に出るというか、板の上にいる丞を見て「この人何考えてるんだろう」っていうのがあんまりない。常に全部顔に書いてあるし、一挙手一投足で教えてくれる。それは北園さんの本来の性格から来る物かもしれないし、芝居の手腕かもしれないけど、高遠丞を高遠丞たらしめる部分としてめちゃくちゃ強いアイデンティティだと感じる。1幕の最初の殺陣稽古で「丞が迷いながら(迷いを他のメンバーに悟らせながら)殺陣をする」というシーン、顔に「迷ってます」って書いてあるみたいで毎回凄くよかった。
 31公演もあったので全公演新鮮に何度も同じ芝居を客席に届ける事は、公演数が多ければ多いほど難しい。でも北園さんには出来る。物凄い強みだ。毎公演新鮮に人生の選択に迷い、新鮮に「俺がMANKAIカンパニーにいる理由」に辿り着いていたもんね、丞。武蔵も同じで、毎公演新鮮に小次郎に出会えたことに喜びを感じていたし、亡くしたことに慟哭していた。「剣に死す。」って「Risky Game」と真逆で、武蔵と昔からの知り合いみたいな人が1人もおらず、武蔵が全員と「はじめまして」で進んで行く物語だけど、小次郎はもちろん、全員との「はじめまして」や「さようなら」を毎回きちんと惰性無く「始めて、終わらせる」ことが出来たのは武蔵役を演じたのが丞であり北園さんならではだな、と思っています。
 春単2023で1人だけ先に共演していた新しい紬役の定本さんとの掛け合いは息がぴったりで、先取りしておいた意味を感じた。小学校の体育館でのデュエットからのアンケートの送り主発覚、紬のソロという幼馴染みメドレーシーンは回を重ねる毎に、お互いが相手を大切に思う気持ちみたいなものがより強く伝わってきた。特に丞は紬のソロを受け止めるときの表情や仕草が本当に毎公演素晴らしくて、いつも紬の気持ちをはじめて知る丞の反応が違っていた。もちろん紬も色んなアプローチがあったけど、何も言わずに受け止めている丞の、表情や仕草のバリエーションの豊富さに舌を巻いたな。驚いてる時・喜んでる時・泣いてる時・全部ごちゃ混ぜな時、1回1回色々な感情を見せてくれたのがすごく面白かった。北園さんと定本さんが公演を重ねる毎に繋がりを深めたり、お互いへのアプローチに心を動かしているのが見て取れて、毎公演「良い物観たなぁ」と思ったのもこのシーンだった。
 定本さんの紬との関係は、先代・荒牧さんの紬との関係とは良い意味で違うニュアンスがあって、並び立つ幼馴染感(立場が近い感じ)がすごく強くなったのがよかったよね。これも俳優が人間同士だから起きることなんですけど。原作の丞って紬に対してちょっと亭主関白というか、しっかり者なのに大雑把な妻に小言を言う几帳面な旦那みたいな、概念として夫婦漫才的な部分があるので、個人的にはもう少し紬が強く出ても良いのかなという感じはまだ若干あるけど、これからきっと調整されてもっと良くなって行くんだろうなとも思う。始まったばかりです、新しい204号室は。「これからもよろしくね」なんだもん。きっとどんどん伸びていく。これからも楽しみ。

○植田圭輔さん as 御影密

 大変申し訳ないながら、わたしは植田圭輔さんという俳優のパーソナルなことは正直あんまり知らない。何が好きで何が嫌いか、そんなことは全然知らない。でもきっと、芝居が大好きで、恐ろしいほどに演劇ジャンキーなんだろうということはずっとずっと感じている。原作A3!らしく言うなら、演じることに取り憑かれているタイプ。それこそ「芝居を観れば分かる」だ。そうじゃなきゃこんな3時間超を1ヶ月で31公演もやる演目で、あんなに感情の振り幅を表現できない。マチソワの日が何日あったと思っているんだ。大袈裟じゃ無く、この人この公演期間終わったらぱったりと死ぬんじゃ無いかと思った日が結構あった。生き急いでいるというか、一瞬一瞬に全力を掛け過ぎていてどこか不安になるというか、それくらい、いつだって御影密として生きることに全力を注いでくれた。植田さんだからこそ生まれた密の表情があり、仕草があり、広く深く知れ渡った物語があった。その功績は本当に本当に大きかったんだろうと、終わった今だからこそ強く感じる。
 御影密は原作ではあまり感情表現の大きくない人間だ。出自の影響もあるし、彼自身のマイペースさでもあるし、それを許された環境のせいでもある。それを踏まえた上で、2.5次元に現れた密を観て、彼は途方も無いエネルギーを内に秘めた人間だったんだなぁとずっと思っている。能ある鷹は爪を隠すと言うけど、本当にそういう人間なんだな、と。分かっていたようで、植田さんに見せつけられた事実の1つだった。
 「マシュマロ食ってばかりの寝太郎団員」とは誰かさんの皮肉めいた表現だけど、それでありながら劇団内随一の憑依タイプである密。そのいくつもの顔を上手に使い分けて、演じ分けて、それでも御影密という人間に出来る限り齟齬が無いよう作り上げたのが植田さんだった。植田さん本人は、熱い男で泣き虫で頭が良く回る。彼が演じるには普段のねむねむな密はきっと少し物足りないくらいのキャラクターだったと思う。でも、密の持つドラマティックな物語を世間に知らしめるに辺り、植田さんの持つ情熱と力量は絶対に必要だったんだろうな、と最初のキャスティングに改めて感謝している。何年越しの主演公演、この日のために描かれた表には出てこなかった物語がきっとある。そう思わずには居られなかった。

 1幕は丞の物語だから、いつも通りの眠たくて時に鋭さを兼ね備えた密、そして「兄弟子を2人武蔵に殺された」という文脈を持つ銀を淡々と演じていく。銀というキャラクターはエーステでの肉付けによって、より密をなぞらえたキャラクターになったなと思った。「殺し屋」という物騒なキャラ設定が、2幕で出てくる「組織」という物騒な現実に重なっている。原作では平六と銀を紬と密のどちらが演じるかという話になったときに、マシュマロ狂の密に菓子職人は無理だという判断が下されて銀役になったのだけど、ステの配役決めシーンで丞の身振りを観察すると「殺陣が出来るよな?」ということから銀役に決まっていそうだった。密が殺陣もそれなりに出来るのはもちろん、組織に居たからだ。『名は捨てた』銀が吉岡の人間だと見抜かれるシーンや、『金で幸せを掴むって言うのはそういうこと(代償がある)だ』という台詞は2幕の物語と繋がっていて、エーステならではの粋さがある。余談だけど、1幕で何度も誉とアイコンタクトを取る密は可愛かった。何だかんだ言うけど仲が良い同室。

 2幕、植田圭輔と御影密の真髄公演。人間ってこの短い間にこんなにも沢山の大きな感情を行き来出来るんだ、とずっと感心していた。あと千景の主演公演だった春単22で使った演出を踏襲したものが多すぎて、春単22に思い入れのある人間は気が狂いそうだった。狂ったかもしれない。2年前に「思い出さなきゃいけない」「思い出すのが怖い」を行き来していた時と今回の「忘れたくない」「忘れなきゃならない」を行き来している時に背景が同じように海中や水面の景色だったのも、同じ「記憶の扉」という歌詞やメロディを使っていたことも、自害薬を割った場所にネックレスを落とすのも、千景と冬組が上下に分かれて監督と会話する場面も、流れるBGMも、同じすぎる。2人が古くからの家族で密接な関係にあって、お互いに呼応するように生きているのはよく知っているんだけど、というか今回の話でもよく分かる部分だけど、それにしても織り込み方が激しい。それだけ2人の人生は離れがたい物語の中にあるということでもある。
 話が逸れた。密の話に戻します。植田さんの密は本当に「1公演も同じではない」ということを感じた。北園さんの「毎公演新鮮」と似ているんだけど、もっと「今回はこの方向で行きたい」というのが明確に分かるというか。実際どこまで計算してやっているかはよく分からないし、その時の感情を爆発させたり堪えたりしながらやっているのであろう事は重々承知で、でもやっぱり毎公演方向性みたいなものはあったと思う。それが顕著に出ていたのが5月11日のマチネ公演で、あの公演は配信もされているから観ていた方も多いと思いますが、密があんまり泣かなかった公演でした。もちろん感情が高ぶって泣いてしまうことはあったんだけど、普段と比較すると出来るだけ笑って居ようと懸命に色んなものを堪えていた公演で。そこまでの優しくされるとすぐにめしょっと泣いてしまう密とは少し違う、ある意味では原作っぽさのある凛とした公演だったように思う。個人的にあの公演は本当に明るい雰囲気を感じられてとても好きだった。劇中劇も本当に楽しそうで『勝ち逃げ天国!』で6人がやりきった晴れやかな顔をしたのも、バンッと決まって終わったのも最高に気持ちがよかった回。
 これは推測だけど、植田さんは公演期間の後半になればなるほど、笑顔で終わろうと懸命になっていたように感じていた。それを強く感じた台詞はいくつかあって、例えば冬組のみんなに『過去を捨てずに御影密になる』と決意した時の顔、『その花と一緒に伝えよう』と紬と東に促されオーガストの名前を呼ぶ前に笑って頷く回が飛躍的に増えたこと、『何も言わずに付いてきてくれてありがとう』と泣きながらでも口角を上げようと頑張っていたこと、『新しい人生はどう?』と尋ねたオーガストに対し『楽しい』と返す時の笑顔と泣き顔の格闘。他にも色々。特に『楽しい』はいつも表情筋がぐちゃぐちゃな動きをしていて、生々しくて、新しい人生のあたたかさとオーガストがもう居ないことを受け入れる複雑さとがあったのかなと想像したりした。
 オーガストに向ける気持ちは、最期に立ち会った(実際は事切れる前に海に突き落とされたので最期ではない)密だからこそ、実感のある「守れなかった」という後悔を今も持っている。オーガストが死ぬなら自分も一緒に死ぬとすぐに覚悟を決めて、実際に自害薬まで飲み干した密の文字通り必死すぎる愛情。今も尚組織に所属している千景と違い、記憶を失った時に全てを海に置いてきてしまった密にはオーガストとの繋がりを感じ取れるものがほぼ残っていない。物が無ければ、記憶もまばらな部分がある。だから密は、現状唯一オーガストに託されたものである「すべてを忘れて新しい人生を生きて欲しい」という願いに強く依存している。それがオーガストが密のために遺してくれたたった1つの約束だからだ。密や千景にとってオーガストは自分の命よりも大切な唯一無二の存在で、絶対に失いたくなかった特別な家族で、だからこそ彼との約束だけは守りたい。自分がどうしたいとかではなく、彼との繋がりを何よりも大切にしたい。だからこそ密は「自分の人生を忘れたくない」のに「忘れなきゃならない」と苦しんだし、千景ことエイプリルは同じく唯一無二であったはずのディセンバーを手に掛けるための凶行に走った。2人は正反対だと言うけど、この行動も平たく言うと自殺と他殺という正反対の行動に表れているんだよね。
 そんな風に自分を顧みない密の、理屈ではない苦しみを、植田さんは本当に丁寧に演じてくれた。一緒に死にたいと思うほど他者を愛した経験が植田さんにあるか、わたしは知らない。というか現代日本に生きていてそんな経験がある人の方が少数派だと思う。想像上にしかない感情、だけど御影密という人間が確かに抱えた苦しみを、そこにあるものとして見せてくれた。焦って悩んで苦しんで泣いて泣いて、寄り添ってくれる冬組にちゃんと心の綻びを手当てして貰って、毎日毎公演、密はちゃんと紆余曲折しつつ答えを見つけた。その心の動きを一切妥協なく捉え、都合のいい夢のシーンで泣いたり笑ったりしつつオーガストに丁寧に答えを手渡す。適当な瞬間なんて一切なかった。感謝してもしきれない。
 『許されないオレの罪まで思い出してしまうかもしれない』『大切な人を失った記憶、その過去を受け入れるためオレは戦ってる』の1つの終着点。すべてを教えてくれたオーガストに「最後の願いを叶えてあげられない」ことを伝え、それを許してもらった。そんな、ここまでの苦しみや悲しみや恐怖を密と共に歩んでくれた植田さん。あたたかさや楽しいことも密と一緒に経験してくれた、1人の人間として御影密の傍に居てくれた植田さん。わたしは……植ちゃんの演じる密がとても好きでした。好きだと思わせてくれてありがとう。愛させてくれて、御影密が大切にされていると信じさせてくれて、本当に本当に幸せでした。あなたが御影密を演じてくれてよかった。
 ご卒業おめでとうございます。この先の役者人生も、素晴らしいものでありますように。

○輝馬さん as ガイ(柑子木涯)

 ガイさんを演じるというのは何て難しいんだろうな、と、この冬何度感じたか分からない。アンドロイド時代の名残で何でも出来る優しい人なのに、経験不足から来る芝居の拙さを表現する必要がある1幕。初日に見た時に「ガイさんが変わっていくことで、すべてがひっくり返ってしまう公演だ…!」とヒリヒリした。そして予想通り、着々と変化を見せ、毎公演最高の『剣に死す。』を更新し続けた。演劇って生物だから調子の良い時と良くない時が行ったり来たりする作品もあるけれど、1幕の劇中劇は割とずっと上り調子だったな。思い返すと春単の1幕(ナイラン)もその傾向があったので、殺陣がメインに置かれた芝居はその練度が上がるほどにすべてが洗練されていくものなのかもしれない。この辺りは殺陣やアクションに強い秋組のオタクの意見が聞いてみたくもある。
 特に千秋楽に近づくにつれて小次郎の「勝手に悦に浸るなよ……!」は鬼気迫るものがあって鳥肌が立った。人ってあんなにも「届いてほしい」という気持ちを声や表情に乗せることが出来るんだ。役者ってすごいな、をシンプルに感じさせてくれるのはありがたい。輝馬さんという役者は静かで情熱的なガイさんを、愛おしむべき普通の人間として板の上に乗せてくる。
 劇中劇ではない部分について、もうアンドロイドではないけれど、日常的な感情の起伏が弱いガイさんは全員でいる時は個性豊かなメンバーに隠れて割とひっそりしている。真面目で、誰よりもきちんと話を聞いていて、必要な時に優しく言葉を挟む。原作では伝わりにくいガイという人物の人間ぽさ・面白さは、板の上にただ「居る」、スポットの外れている瞬間の芝居に出るなと感じた。
 ガイさんが冬組の仲間として馴染んでいく姿、徐々に演劇バカに染められていく様子、みたいなものを見守ることが出来た日常のシーンがなんだかんだで好きだったな。演劇って面白くて、毎公演同じ日付・時間の話を繰り返しているはずなのに、毎公演ちゃんと彼らが成長しているのを感じる。雄三やレニ、晴飛にボロクソに言われても初日の頃はスン…としていたのに、公演が続いていく中でやりきれないみたいにふいと顔を背ける仕草が入ったり、千秋楽では木刀で晴飛を小突いてみたり。「足を引っ張ることしか出来ていない、力不足だ……」という台詞はどんどん自分のふがいなさが前に出て弱弱しくなっていった。ガイさんは確かに去年から冬組の一員だし、夏単のサポートにも居たけれど、この公演で運命共同体の1人としてのニュアンスが強くなったように思う。ガイと5人の呼吸が合っていくのを感じるというか。今回の台詞にもあった「共に板の上に立つことで分かり合う」を見事に体現した1人がガイさんであり、輝馬さんだった。肉体を持つ俳優が実際にそこにいるからこそ深まっていく絆や、熟成される空気、そういうものを見るのはずっと面白い。何度も足を運んだ意味があったな、と思う。
 2幕の劇中劇で演じたエドガーは歌パートの要として、1幕とはガラッと違う顔を見せたのがずるいなぁと思う。そして怪しい支配人の不敵な笑みがあまりにもかっこよくて笑っちゃったな。『甘いマスクに声』のところでゆっくりと微笑む瞬間のフェロモンが凄かった。そりゃ浮名も数知れないでしょう。納得。
 1つだけ欲を言うなら、仕草や立ち姿にガイという人間の生い立ちや受けていた教育の影響がもっと滲んだらいいなと思う瞬間があったのは否めません。でもガイさんもまだ2回目の冬組公演なので、努力を続けて欲しいなと思う。考えることを止めた瞬間に2.5次元は不誠実になってしまうから。

○上田堪大さん as 雪白東

 優しく美しい冬組のひだまり。原作よりもまた一段と優しい東の持つ慈愛の雰囲気はフリーダム冬組をいつも優しく包み込んでいる。東はここまでの物語で「この場所に居れば寂しくない」ということがきちんと腑に落ちた人間だ。だから、1人で戦おうとする丞や密をずっとあたたかく見守っている。人間関係のあれこれに疎く、苦しむ仲間に何をしてあげられるか右往左往する冬組の中で、誰かに寄り添ってもらえる温かさを知る東は、言葉少なだけどちゃんと丞と密のために行動する。決して押しつけがましくも、近すぎることもないその気持ちは、じんわりと、寒い朝に飲むコーヒーみたいに冬組にも監督にも広がっていく。
 東を演じる堪大さんは「感受性の高い人」だと思う。そして東と言うキャラクターがこんな顔を見せてくれたら嬉しいなと思うような理想的な反応をする。研究が行き届いていていつも冬の度に感動してしまう。可愛らしく、凛として、冬組みんなのことを可愛いなと思っている東。その上、寂しがりで底抜けに優しい人。何となくだけど、この人が年長者として冬組に構えている間はエーステの冬組は大丈夫なんじゃないかなと勝手に思い込んでしまうような懐の深さを、堪大さんが演じる東からは感じられる。
 東の今回の見せ場はどこって聞かれると沢山あって難しいけれど、やっぱり2幕で屋根裏のシーンから繋がる「家族」の物語に寄り添い続けてくれたこと。家族を想う歌声や密への寄り添い方は堪大さんの優しさや性根の良さを含めて、毎公演満点だったなと思っている。『もう1度家族に会いたいとは思わないの?』という密の問いかけに、わざとらしいほど明るい声で『もうそういう時期は通り越してしまったかもしれない』と笑う優しさ。その後の『嘘』に込められた途方もない孤独と、密に誠実であろうとする気持ち。『世界に1つしかない家族のぬくもり』という歌詞でいつも密に向ける優しい視線は、毎公演そこで密がほろほろ泣き出すスイッチになっていた。
 誰かの弱さや痛みに寄り添うということは、別にその人のメンタルが強くて、何でも受け止められる人だから出来るっていう限りじゃない。相手に自分の弱さも見せて、似てるね寂しいねってただそこに居てあげるだけでも、救われることがある。『ボクたちは少し似ている』という言葉の『少し』という表現はとても優しいなと感じた。悲しみも苦しみも全く同じなんてものは無い。「みんながこう思っている」「みんながこう言っている」という言葉が誰かにとっては暴力的であるように、「同じだね」「似ているね」というのはすごく強い意味に伝わってしまうことがある。だから東自身が繊細な人だからこそ選ばれた『少し似ている』という表現は、密に静かに寄り添ってくれた。
 今回、東に限らず冬組のそういうところが好きだったな。「君と俺とは別の人間」と理解していることや、「(一般的な)みんなではなくて、自分はこう思っている」と1人の意見として言葉を発してくるところ。自分の言葉の補強に大多数の意見を使わないところ。思えばおりんもそうだったね『変に思う人もおりません』ていうのはおりんの意見であって、本当はそうじゃなかったかもしれないけど、武蔵を家に入れてくれた。冬組はみんな自立した大人で、はみ出し者になった経験があって、だからこそ誰かの意見に依存しない。そういう6人がとても好きだったし、これからもわたしは好ましく思うのだろう。
 また話が逸れた。戻します。2幕後半でオーガストにスイトピーを手向けた後、密・オーガスト・エイプリルの家族の歌を見つめる東の顔がいつも本当に優しい。その直後に密と冬組が重ねる『君がくれた人生を大切に歩んでいく/どんな時も一生懸命生きていくよ』というフレーズで東に与えられた『生きていこう』という寄り添いの言葉は、やっぱり、大切な家族を失った後の日々を生きたことがある東だからこそ重く真っ直ぐに響いたなと感じる。もちろん冬組は密にとって全員が大切な運命共同体で心を寄せ合っているけれど、家族に遺されたことのある東だからこそ、この先オーガストの死を受け入れて御影密として生きていく彼の心の1番近くで、手を差し伸べることが出来たんだ。この歌詞を歌い上げるときの東がいつも優しい、でもしっかりと未来を見据えるような凜とした顔をしていて、美しかった。

 ここからは余談なのですが、ステの東という人は本当に可憐で無邪気でゲラなのがキュートで、踊っている姿とかほとんどプリキュアの如き可愛さだったので、あんまり観たことが無い人は絶対に観た方が良いと思っています。特にACTの東さんは本当に可愛い。もちろんブルスマと春夏秋冬も余すところなく愛おしいです。

○田中涼星さん as 有栖川誉

 天才・有栖川誉。何季節・何公演、いつ観ても思うけど、誉を演じることが出来る人ってたぶん世界の中で見ると圧倒的に稀少で、よく見付けてきたなこんな逸材を、と感動すら覚えるのが田中涼星さんという人である。
 わたしは原作の時からずっと、誉の長所は「他人を理解しすぎない」ことだと思っている。感受性高く思慮深く他者に敏感な人間が多い冬組の中で、他者理解に時間が必要な誉は少しだけ異質で、けれどそんな自分を分かっているところは抜群に冬組らしい。わたしはいつも1幕の小学校の舞台を眺めるシーンで、誉以外の5人が背中を向けているのに誉だけが客席側を向いているところから、5人(特に丞と紬)の様子を見て状況を飲み込みながらゆっくりと他5人と同じ方向を見るのが好きだった。「誰かを理解する」というのは処世術として必要なことで、人間同士のやり取りとして必須の案件だけれど、「理解した気になりすぎてしまう」というのは逆に弊害だったりする。誉は自分が他者を理解するのが苦手だと知っているので、「見て分かる」以上のことを押しつけ過ぎないところが素敵だ。『ポンコツのワタシにも分かるところはある』という言葉と、それを言った誉を見る密と東の表情がよかった。有栖川誉のことをよく知り、その性質を否定するわけでも無く、誉らしさとして、日常として受け入れている。そんな冬組らしいシーン。それはあのシーンの中心に居たガイに対する姿勢としても同じ事が言えるね。
 『運命共同体として』『6人で舞台に立つのだ』そうやって、冬組の絆を何度でも言葉にしてくれる誉。冬組って、家族というには少し距離が遠いし、友達というには落ち着きすぎているし、仲間はしっくり来るけれどもっと互いの心に入り込んだ単語の方がそれっぽいので、運命共同体というあやふやで重すぎるワードで自分たちを表現している。でもその重さが、寂しがりで失うものが多くあった6人にはきっと心地よくて、大切なんだろう。重いくらいじゃないと不安になる。やり過ぎなくらいのめり込むのが冬組だ。その集中力というか、想いの傾け方は、やっぱり大人が覚悟決めてここに居るが故の強さがある。その冬組の持つ強さや重さを、茶化すでも無く、重すぎることもない雰囲気でいつもこちらに「ワタシたちはこうだよ」と軽やかに見せてくれる誉と涼星さんの佇まいってすごく特殊で、いつだって拍手を贈りたい。
 それから、涼星さんという人は劇中劇で「誉」を演じるのが本当に上手。誉が演じる藤次郎であり、レドリーだった。複雑な三重構造への対応がしっかりしている。おりんへの言葉の投げ方が日々変わっていく藤次郎、『何も持たない俺ではダメか』という短い台詞回しで何通りもの愛情を見せてくれた。かたやスリルジャンキーのレドリーは死線をくぐるリアムを見守って、悪友の活躍を全力で盛り上げていた。全然スポットの当たってないところでレドリーとノーマンが怪しげなアイコンタクトをするシーンがあるんだけど、あれってたぶんレドリーはノーマンの協力者だっていう仕草で、最後に珍しくビールを持ってきたレドリーは、リアムへの謝罪の気持ちだったのかもしれないなぁとずっと考えている。

 誉の話であり涼星さんの話でもあるけれど、ステの密と誉は原作の雰囲気とは少し違う「友達」感が強くて、いわゆるマブである。原作の誉が密から貰った言葉をずっと大切にしているように、きっと涼星さんも植田さんから受け取った色んなものを大切にしているんだと思う。OPで『これが運命共同体なのだよ!』って誉がセンター階段に立つ瞬間、おんなじ0番に密だけが真っ直ぐに誉を見る形でしゃがみ込んでいる。その後のダンスで2人が楽しそうにアイコンタクトを取るのが可愛くて、涼星さんは植田さんと植田さんの演じる密が本当に大好きなんだな、と、あんまり知らないなりに感じたりもして、ちょっぴり今秋からどんな風になるか勝手に心配になった瞬間もあったりした。
 人生ではじめて、他人を理解出来ない自分の扱い方に建設的なアドバイスをくれた密は誉にとってはある意味恩人で、涼星さんにとっての植田さんもきっと感謝したいことが多くある人で、そういう重なりみたいなものはすごく感じられたコンビ。200公演、おめでとうございます。そして、これからの誉と密の空気を担う1人として、どんな姿を見せてくれるか楽しみにしています。

○定本楓馬さん as 月岡紬

 ついにやって来た、定本くんの演じる紬が旗手を務める冬組単独公演。わたし個人は荒牧さんの紬を観ていた期間がほとんど無い(冬単2023のみ現地)のと、春単2023で新しい紬と丞の形を2人が懸命に模索していた姿を見ていたので、全然違和感なく受け入れたし、どちらにも素晴らしいところはあると思うし、今回の紬もとっても好きだった。
 紬って見た目からもそうだけど、言動や仕草に突出した特徴が無いのが特徴、というキャラクターで、だからこそ難しさはすごくあるだろうなと感じた。「こうすれば紬に見えます」という手っ取り早いセオリーがあんまり無い。それってつまり生身の俳優達も、客席に座る監督もそれぞれ自分の中に「月岡紬」像があって、原作寄りが好きとかステ寄りの理想があるとか色んな要素で千差万別だし、公式としてはその最大公約数を探らなきゃいけないというのがすごく厄介。でも、定本くんはそれを公演期間中もずっと探ってくれていたなと思う。月岡紬とは何者で、どんなことを考えて、どんな表情をするか、どんな声音で語りかけるのか。冬組や他の面々、そして客席の反応、色んなものと呼応して、少しずつ「冬組リーダー・月岡紬」の輪郭がしっかりと見えるようになっていく様はとても興味深かった。
 定本くんはパンフレットでも、あとお疲れ生配信でも「僕がこの冬単に出来ることは『1番頑張る』こと」と言っていた。誰よりも稽古したと言えるように頑張る、と。たぶん、有言実行だったんだと思う。だって紬、良い意味で変化はしたけど、各回の芝居としてはめちゃめちゃ安定していたから。少なくともわたしが入った公演で紬が噛むとか飛ばすとかたぶん1回も観なかったと思う。1ヶ月の長丁場でありながら、全体的にミスやうっかりの少ない公演ではあったと思う。だけど、紬はダンスもきちんと初日から出来上がっていたし、定本くんの努力と熱意は本当に並ならぬものだったんだなと振り返ってみても思います。紬が「過去を持つ人間」であること、人生が地続きであることを感じさせてくれて、心からの感謝。

 紬の表情で2カ所、忘れられない表情がある。1カ所目が1幕の丞との掛け合い曲。冬単2023の「作戦開始!Show must go on!」という11分もある曲から冬組6人のパートだけを抜き取ってリプライズした『一人じゃない一人じゃできない』というフレーズで始まる曲の最後『今、板の上で分かり合おう』の部分。期間中ずっと注目していた訳じゃ無いんだけど、初日付近で観た頃の紬はあんまり笑うような雰囲気じゃ無く、どちらかと言うと決意とか凜々しさが際立った表情をしていた。それが凱旋の時にふと見たら、歌い上げた後「にこーっ」て嬉しそうに幸せそうに笑って下に出てくる冬組を見下ろした回があったように記憶してる。あの曲って冬組がどれだけ芝居が好きで、どれだけ一緒に作る舞台を大切に思っているかが示された大切な曲だと思う。その中で紬が丞や4人を示すあまりにも幸福そうな表情がとても印象的だった。紬の居場所はここにあって、今すごく幸せで、リーダーとして、丞の唯一無二の幼馴染みとして頑張っている。そういう色んな背景が見えてくる気がして、じぃんとした。
 2カ所目は2幕、海でオーガストに花を手向ける直前のシーン。下手の階段で、密が選んだスイトピーを『これでいいかな?』と心配そうに聞く場面。このシーン結構原作から台詞が割愛されていた……のはそれはそれとして『花言葉よりも密くんがその花にどんな想いを込めるかの方が大事だよ』という台詞。序盤はもっと、慈愛というか密を想う優しさの方が前に出ていた記憶があってそれもすごく良かったんだけど、後半になればなるほど、背中を押すような力強さが加わった表情になり、それがより一層紬らしく「この人に言って貰えたらそれでいいと思える」ような説得力が深まって、素敵だった。この表情は配信でも抜かれているので円盤でも絶対抜かれる。観て感じてください。その後の『その花と一緒に密くんの想いも届けてあげよう』もいつも優しくて頼もしい顔をしていて最高だった。ここは全員がすごく色んな表情の日があって、全然観きれなかったんだけどね、現地に居ても。
 そうやって紬は丞と密の背中を押して、個性豊かな冬組を先導、というよりも「みんなで歩いて行きましょう」と支えながらこの1ヶ月過ごしてくれた。もちろん月岡紬としてはそれが当たり前で、そうでなきゃいけない。でも、最初で最後になった今回限りの顔ぶれが演じた冬組の中で、新入りである定本くんがそれを全うしたこと、全うするだけの努力をしてくれたこと。当たり前のことじゃないと感じた。嬉しかったです。エーステの紬は主演公演も控えているし、今後どんな姿を見せてくれるのか、この公演も全部全部抱えて次へ進む彼に期待したいなと思います。

○横田龍儀さん as 佐久間咲也

 とにもかくにも、咲也くんは強くなった。それを如実に感じた冬単だった。わたしは横田さんを舞台で観ることは本当に佐久間咲也くんくらいしかない。だからこそ、春単22からの咲也くんの変遷、たぶんもっともっと昔からどんどん伸びて来た人だと察すけど、そこまでは分からないので、自分の目で見ためまぐるしい成長が今回もはっきりと現れていて、観ることが出来てよかったなぁと思った。
 咲也くんは今回「大丈夫」という台詞やシーンをいくつも背負っていた。1幕の劇中劇前に綴とシトロンと千景に言う『大丈夫ですよ、GOD座の皆さんは何もしません』、2幕の劇中劇前の『冬組なら大丈夫です』。極めつけは1幕の小学校の学芸会の幕が開く前、支配人との短いやり取りの中で出てくる『大丈夫ですよ、冬組を信じましょう』だと思っている。この台詞、多分本当に公演期間中ずーっと変わり続けていた。最初は明るく元気よく、だんだん穏やかで優しく、終盤は力強く背中を押すように。丞とガイさんを筆頭に冬組のその直前のシーンがどんどん深まっていくのをちゃんと受け止めた上で咲也くんが繰り出す「信じよう」の表現はバリエーション豊か、1日たりとも同じものはなくて、彼がMANKAIカンパニー24人の最初の1人、全員の真ん中に立つ存在であることの意味や、そこに立ち続けてきた横田さんだからこそ醸し出される雰囲気や言葉の強さがあって、すごく好きだった。欲を言えば表情も観たかったシーンだったけど、顔が見えないからこそ、より一層感じたものもあったのかもしれない。
 咲也くんは生まれ育った境遇もあり「ここが俺の居場所だ」ということをものすごく大切にしている役者の1人で、今回の冬組のストーリーとは親和性が高かったのと、春冬は常に純粋無邪気枠の人員不足につき、大切な存在でした。心が真っ直ぐな人にしか発せない台詞もある。
 アドリブとしてはドラムロール担当(?)でしたが、シトロン大先生が千秋楽を前に「サクヤ、本当に面白くなったネー!最初は目も当てられなかったヨ」という評価をしてくれていたのが愉快だった。凱旋のブルスマで綴と2人きりになると「今日のドラムロールの反省」をしていたのが可愛かったです。

○前川優希さん as 皆木綴

 今日も今日とて苦労人、皆木綴。「綴の苦労性はある意味春組の宝」というのは原作にある台詞だけど、今回もウルトラマイペースでしっちゃかめっちゃかな春組を何とか真っ直ぐ歩かせようと四苦八苦していた綴。去年の冬とは変わって、千景以外は基本的に本当にサポートに徹した春組だけど、春組の中でもどこに飛ぶか分からない鉄砲である真澄と至(もとい高橋さんと立石さん)が居ない状態で、古谷染谷という手練れコンビの無茶に永遠に振り回されていた前川くんは本当に頑張っていた。遊ばれていたとも言う……。
 個人的に今回の綴は感情表現の豊かさが板の上にずっとあってすごくよかったなと思います。前川くんって別に何がすごい苦手とかじゃないんだろうけど、台詞の掛け合いの中に綴が含まれていない「そこに居る」だけの芝居に味が付くまでに結構時間が必要だとわたしは感じていて、「受ける」芝居が覚醒するまでにしばらく練る時間が欲しい人なのかなという印象なんだけど、今回は東京公演からちゃんと聞こえてくるやり取りに心を動かしていたのが分かった。優しくて心配性でしっかり者で、でも若い感性がある綴。前川くんが実際に冬組やサポートのキャスト陣よりも若いこともあるのか、佇まいがすごく劇中にぴったりと合っていて、とっても良いなと思いました。

○古谷大和さん as シトロン

 背負うものを1つ前の冬と春で結構解決してとっても身軽になったシトロン。本来の聡明さと無邪気さハイブリッド具合に拍車が掛かっている。そんなシトロンとして、生粋のエンターテイナーとして、この冬単も全力で盛り上げ隊長を担ってくれた古谷さんはいつものことながらあっぱれだったなと思います。
 シトロンの見せ場ってどこだったんだろうって思うほど毎公演爆笑をさらっていた様々な日替わりシーンの印象が強いけれど、個人的には1幕のガイとの小さなやり取りに日々変化を加えてくるのを見るのが毎回楽しみで堪らなかった。台本を読みながら歩くガイさんに声を掛けた後の『心配ネ』というたった五文字の台詞を、日によってサラッと言ってみたり、間に溜めを入れてみたり、ガイと芝居の話が出来る日々を楽しんでいるシトロンの高揚感やガイへの素直じゃない優しさが滲んで、どの公演も素敵だった。それから『ガイなら今頃ビロードウェイで頑張ってるネ、武者修行』のシーン。シトロンはいつもガイさんに当たりが強いし気の置け無さから来る天邪鬼な態度を取るけれど、本当は誰よりもガイさんを想っていて、前回はザフラに帰国できないように裏工作までして別れたんだったね、ということを思い出す台詞や表情だった。オタクって目の前に出されたものだけに真剣になりやすいし、ステではザフラ夏単verというコメディ回(?)を挟んだので忘れがちだけど、昨冬繰り広げられたザフラコンビの激重感情バトルのことを思い出すと、演劇に夢中になって上手く行かなくて悩み苦しみ模索するガイさんを想って微笑むシトロンの優しい声音、追ったり追わなかったりする視線の動き、嬉しそうな後ろ姿は、とても心に響くものがありました。

○染谷俊之さん as 卯木千景

 春単22の裏主演が密だとしたら、冬単24第2幕の裏主演はこの人だったんだよね、と、当たり前のようなそうでもないようなことを何度も感じた千景。正直な話、今冬千景が居るか居ないかはわたしは情報解禁があるまで懐疑的だった。だって原作のRisky Game、よく考えるとほとんど出てこないんだよ千景。カレー屋のシーンはあるけど、回想シーンにも基本居ないし。重要な一人ではあるけれど、連れてきたところで持ち腐れ無いか心配って考えていたところ、2幕開いた瞬間キャンディショップで流石に初日は悲鳴が出かけた。初日に『起きろディセンバー!』で幕開いた瞬間、客席に悲鳴を押し殺したみたいな吐息が充満して凄まじい動揺が広がったの、2度と味わえないだろうな。色々な初日はあるけれどあそこまで客席が飲まれるのは珍しいし、エーステ制作陣って期待に応えることに全く躊躇いが無くて怖い。
 密と千景の人生は劇中で描かれた通り、ずっと傍にいて、正反対で、あんまり分かり合えないけど一緒に暮らしていた家族だ。密とオーガストを繋ぐ話を描くに当たって、密の記憶を揺さぶり起こした千景は重要で、それと同時に彼ら3人の人生が少しずつ確かに影響し合っていることを描くのに必要なピースとして、やっぱり大事だったんだなと思う。例えば、オーガストと千景が同じ仕草で眼鏡を押し上げたり、お互いのことを想う台詞で指輪を撫でたり、千景自身が「オーガストの代役」として人生を生きている部分を染谷さんは全面に押し出して来た。というか、現在まで続いているオーガストとの繋がりを感じ取れる仕草や台詞をとにかく強調して来た。それが彼の今回の役目だったので。逆に密とは「正反対だ」という仕草を徹底していた。例えばスープを食べた直後の表情、オーガストに肩を抱かれたときの反応。素直ににこにことすべてを受け入れて「オーガスト大好き」を全面に出す密に対して、やれやれだとかしょうがないなと言う顔をするのがデフォルトの千景。昔も今も、心の広い人が代表を務める穏やかな家族の一員になれてラッキーだったね千景、と思う。例えば加入したのが春組じゃなかったら、こうは行かなかったよ。
 染谷さんという人はそもそも「滲ませる」ことが得意な役者だとわたしは感じていて、そこが卯木千景という役にしっかりハマっているからこそ、ステの千景はこんなに人気があるし、魅力的なのだと思う。影のある人間を演じるのが上手い。あと絶望の扱いを心得ている。現代日本に生きている人間って(人によるのは百も承知で)人生の中で命を脅かすほどの絶望とか慟哭とかを感じる機会と日々隣合わせの人はそう多くないと思うんだけど、染谷さんの手に掛かるとそれがどれほどのものか、客席が安易に想像出来てしまう。想像しようとしてしまう。すごい技術。わたしはこの冬単の間中ずっと、家族の回想シーン「その後」のことばかり想像していた。「遺された者」であるエイプリルのことを、と言うべきか。あんなに『いつまでも続きますように』と願った家族が、自分の居ないところで1人は死に、1人には裏切られたと聞かされて、どんな気持ちだったんだろう。受け入れるまでにどれくらい時間が掛かって、密を見つけ出した時はどんな気持ちで、どんな葛藤があって『特別な家族』に復讐を強く誓ったのか。今も尚、どんな任務をしているのか。あの家族のシーンの裏には、エーステが「A3!」であるからこそリアルに描かれることは今後も無いであろう、血生臭い世界の物語がある。個人的には密も千景ももちろんオーガストも、人を殺したことのある人間として捉えているけれど、染谷さんに限らず和田さんも植田さんもそういう面をちゃんと含ませて、その上で彼らが家族でいる価値や特別感を大切にしてくれているように感じたのが嬉しかった。

 閑話休題。染谷さんの千景は密に構わずに居られない、千景の過保護さも滲み出ている。今は立場が違うとか言いながら、すれ違う度にお互いを胡乱げに見る。OPで春組が袖から飛び出してくる時、下手に駆けてきた面々をにこやかに迎えながら密のことだけスッと目を細めて見るのが嫌そうで面白い。1幕劇中劇直前の幕前で、舞台の上手端に立っている千景が、全員の隙間をかいくぐって1番下手に居る小柄な密の顔をわざわざ確認する仕草も、千景なりの心配というか愛情なんだろうな、と思って面倒くさくて良かった。極めつけはやっぱりステオリジナルのシーン「いってきます」「いってらっしゃい」。
 色んな雰囲気の公演があったけれど、大千秋楽の「いってきます」「いってらっしゃい」はわたしが観劇したすべての公演の中で1番、2人が涙を堪えた公演だった。密があのシーンで言葉を詰まらせるように言うのは珍しかったし、それを受けた千景がぐっと堪える表情をして拳を握りしめたのが本当に植田染谷ペアの2人きりのラストシーンとしてすごく感慨深い。この話はXにも書いたけど、卯木千景というキャラクターがエーステに登場して2年。エーステ史で言えばまだかなり最近だ。折り返しにも満たない。だけど、エーステの卯木千景史の2年は、板を踏んだ初日からのすべての時間なんだ。その2年間ずっと、密は千景の「昔からの家族」として存在していたわけで。『12月17日、今日も寒い』から始まった2年間を思うと、2人だけに通じ合うものがあるのは当たり前だろうし、わたしはあんまりメタなことを作品の中に混ぜるのは好きじゃないけれど、最後に2人きりのシーンがあって良かったねって思ってしまった。
 全てを乗り越えて、リアムとしてリングを投げる密を見守った千景の、ふって緩んだ口元の優しさ、忘れたくないなって思ったりする。

 春組家族にすっかり馴染んで密や冬組を影ながら支える千景も、オーガストとディセンバーを守りたかったエイプリルも、どちらも大切に演じてくださった染谷さんに改めて感謝します。この先どんな月下組になるかまだ何も知らないけれど、染谷さんが植田さんから引き継いでいるんだから大丈夫なんじゃ無いかって、柄にもなく楽観的に思ってしまってよくない。でもこれからも見守っていけたら良いと、今は願うばかり。
 推しが舞台に登場するのって楽しいねって感じさせてくれて、また次も観てみたいと信じさせてくれてありがとう、そめさん。何度でも言ってしまうけど、それは当たり前のことじゃないから、ずっとずっと感謝しています。

○和田琢磨さん as オーガスト

 彼の実力を全く知らなかった訳じゃ無いのだけど、どうしてエーステは月下組を芝居の上手い演劇モンスターの殴り合いの場にしてしまうのか(最大限褒めている)、と初日を浴びて思考停止した頭でぼんやりと思った。初日のわたしが友人に繰り返した感想は「何を見せられたのかよく分からない」だ。キャパオーバーである。絶対和田オーガストのせいだと思う。
 2年前、声の出演をしていた時点でいずれこうなることは分かっていたんだけど、やっぱり実体のあるオーガストの破壊力は凄かった。アクリルは日々売り切れたし、客降りは最終日までオーガストが現れると客席から悲鳴が上がっていた。まあ、オーガストに関しては客降りというか心霊現象みたいなものなので悲鳴で正しいのかもしれないですが……(笑)
 劇団員より人気のある諜報員(故人)という訳の分からん状態になりつつあったけど、それも納得の圧倒的な芝居を見せた和田さん。ツンデレのエイプリルと感情の波に乏しいディセンバーを掌握したスーパー人たらしのオーガストを演じるにあたり、これほど適した役者は居ないかもしれません。
 和田さんという役者はとにかくナチュラルで、芝居の手数が細かすぎないところが逆に自然な役者だと思う。例えば同じように芝居の上手い染谷さんと比較すると(エイプリルとオーガストの性格差と言うことも出来るけど)、染谷さんの方が黙っているときに色んなヒントを仕草や視線で細かく混ぜ込んでくるタイプで、和田さんはもっとざっくりしている分、普通の人間としてより自然だ。キャンディショップでディセンバーの帰りを待つオーガストが外に迎えに出る前に、時計を見て時間を確認する素振りをするのが好きだった。それって「家族のお迎え」としてごく当たり前の動作だったから。最初にあのシーンを見た時に「なんでオーガストは突然店から出てきたんだろう?」と思ったけど、時計を見ていることに気が付いてから「帰宅時間を知っていて、迎えに出てあげたんだ」とほのぼのした気持ちで観る事が出来た。仕草って大切。もしかしたらすごく当たり前の事なのかもしれないけど、自然にちゃんと出来る役者って別にめちゃくちゃ沢山居るわけじゃ無いことを知っている。そうじゃないやばい役者も知っているし。
 
 密がRisky Gameの稽古をしながら『心に蓋をしよう』と歌い上げるシーン、密の投げた指輪をオーガストが避けて、そのまま落ちていくのを見守った後に笑みを深めるのはきっと「(僕との約束を守って)忘れることを決めたんだね」という忘却への肯定。指輪は約束の象徴で、あの時点でそれを投げる=忘れるという意味だ。オーガストは「都合のいい夢」のシーンでも分かるように『忘れちゃった方が楽』と考えていたから、2人の記憶を消そうとしていた。ツラく苦しい任務や知らなくてもいい世の中の悲しいこと、社会の裏側、2人の過酷だった生まれ育ち、そういうのを全て忘れて、ごく普通の平凡な一般人としてリスタートさせようとしていた。それは彼が『二人を組織に誘ったのは僕』という責任を感じていたからで、オーガスト自身は3人家族として暮らした時点で結構夢を叶えた気になっていたので、次は2人が幸せに生きる手助けがしたかったし、何なら3人で組織を抜けようという気概すらあった。それが叶わなかった時、自分の存在や夢が2人の人生を脅かさないように(命を狙われたりしないように)、組織に1番深く入り込んでいた自分を強制的に切り捨てる装置として彼が作ったのが「偽物の自害薬(記憶を消す薬)」だった。
 本当と嘘、記憶と忘却、騙し騙され、が螺旋を描く月下組の物語において、最初に嘘をついたのはオーガストだ。甘い香りのしない自害薬が本当に命を奪う自害薬だったら、ディセンバーもエイプリルも今頃こんなことにはなっていない。オーガストの仕込んだ優しさ由来の嘘に騙された2人は、そのせいで『色々あった』し絶望して泣いて苦しんでそれぞれボロボロになったけど、今も何とか一緒に生きている。
 ステの春組第4回公演エメラルドのペテン師で何度も擦られた台詞『騙される方が悪い』がRisky Game本編に入っていたのが印象的で、オズの時は「騙されるっていうのは人を信じているってことだ」と千景は結論付けた。そして密の演じたリアムは「騙される方が悪い?おもしれぇ!」である。この2つの台詞はきっと、立場は違えど千景と密2人分のオーガストへの気持ちだった。オーガストのついた嘘で世界がひっくり返って、オーガストの用意したイカサマ薬で人生逆転。最初は信じられなかった嘘を肯定し、そのイカサマに乗っかって新しい人生を生きる決意をした2人の成長。オーガストを信じているからこそ騙されて、オーガストの用意した自害薬で掴んだ新しい人生を、家族と共に生きていく。これはきっと、仕掛け人であるオーガスト本人も全く予想していなかった展開で、だからこそ都合のいい夢の中で彼はあんなにも嬉しそうで感慨深そうだったんだろうね。
 「都合のいい夢」の前、密が『最後の願いは叶えてあげられない』と歌った後、家族の歌は最初の回想シーンとは歌詞を変える。3人の小さくて切実な願いは、1人の命懸けだった祈りに形を変えて再度現れる。

当たり前の日常があれば それだけで……
家族なんて知らなかった 家族を知らずに生きてきた
でもきっとこれがそうなんだ
当たり前の日常の 当たり前の幸せ
当たり前じゃない 特別な家族
いつまでもいつまでも続きますように

2幕冒頭、キャンディーショップのシーンからの歌詞

家族なんて知らなかった 家族を知らずに生きてきた
でもきっとこれがそうなんだ
特別で大切な2人の幸せが
いつまでもいつまでも「続きますように」

2幕後半、崖の上のシーンの歌詞

 特別な家族がいつまでも続きますように、という願いが叶うことは無かった。だけど、オーガストの本当の願いである「2人の幸せがいつまでも続きますように」という願いなら、密と千景にもこれからも叶えることが出来る。
 このシーン、オーガストが『特別で大切な2人』という歌詞を歌う時に、千景と密の顔をゆっくりと順番に見つめるのがあまりにも愛おしいものを見る表情ですごく良かったし、歌い終わった後、冬組の後ろに消えていくオーガストがぐるりと順番に冬組の密以外の5人を見回して安心したみたいに笑うのが、遺していくオーガストの不安を冬組が取り除いてくれたみたいで、とっても温かいシーンだった。オーガスト、ステだとより達観して見えるけれど、原作情報をかき集めると恐らく千景・密とほぼ同い年なので25歳前後で亡くなっているはずで、遺していく方も不安はあるだろう。そう考えるとオーガストの享年よりも今の冬組はみんなほぼ年上だから、甘えん坊のディセンバーを送り出す先としてはぴったりだと思ったかもしれない。

 「都合のいい夢」のシーンで、ぼろぼろ泣く密を受け止めながら、ずっと2人の新しい人生の幸せを願ってくれたオーガスト。日々変化する植田さんの密を1番最後に受け止め続けた和田さんの芝居もまた、毎日変化して、もうオーガストも泣いてしまうんじゃないかと思うような日もあったりして。月下組最後の砦を務め上げたその芝居力と人間力に敬意を表します。1番最後の『僕たちは最強のチームで、家族、だからさ。ずっと、ずーっと』の言い方が本当に優しくて、和田さんのオーガスト・植田さんのディセンバー、そして染谷さんのエイプリルが家族だった日々のこと、ずっと覚えていたい。
 そして、ステでは削られてしまったけど、やっぱりどうしても大事だと思うので。『おやすみ、オーガスト』、どうか安らかに。

○裏方組

鯨井康介さん as 鹿島雄三
 
雄三さんって本当に生きてる。と、表現するのは言葉足らずだけど、雄三さんをステで見るたびに「えっ、今のって用意された台詞なの……?」と疑う瞬間が何回かある。今思い付いたから発言したのでは、と思わされてしまうという意味だ。劇団員と比べて遊びのあるポジションだということに加え、その時々の空気を掴んで自分がどんな風に出たら綺麗に進むか、時には空気を変えられるか、そういう操作を行うのがあまりにもスムーズで上手なので、たまに本当にびっくりしてしまう。
 例えば1幕の『役の掘り下げが甘い』という台詞。『甘い』という単語1つ取っても何種類あるんだという台詞回しを聞いた気がする。鋭く短く言い放つ、1音ずつはっきり言うことで圧を掛ける、短い台詞でも公演によって変化した雄三の指導や激励は、人間模様に注視しがちな物語の中で劇団員たちの演劇への向き合い方に意識を向けてくれる欠かせない存在だ。
 そして初代組の1人である雄三は今回レニとのやり取りがあった。2024年5月現在原作ACT4軸を生きる客席の人間は、これからレニや雄三、初代組にどんなドラマが巻き起こるかを知っている。それを含ませながら、でも出すぎることなく過去や繋がりを含ませた雄三の表情は切なくて、これからの物語が楽しみになった。
 これは余談ですが、雄三っていうか鯨井さんはダンスが上手でカッコいいので、ブルスマ踊っているのを沢山観ることが出来て楽しかったな。あと客降りで「こうか?こうだな、わかったわかった」って監督たちに付き合ってくれるのを見るのが好きです。雄三って優しい。

・田口涼さん as 松川伊助
 
Mr.エーステ、田口涼。この人に対してはもう何かを書くような段階には無いんじゃないかと思っている。今回も支配人は上手に監督を振り回し、劇団員を転がし、雄三で遊び、自由自在に動き回っていた。500公演って本当に一体どういうことなんだろう……。途方もなくて偉大な数字だなと思う。500公演、支え続けたということだ。
 支配人のアドリブも「やりすぎ」たら戻るし、手数が多かったら減らすし、公演の中でバランスを取っているんだなと言うことがすごく伝わって来た冬単でもあった。結構支配人の尺が短縮されたり、かと思ったらずっとやってる回があったりして、たぶん回によっての事情で任される時間が違うんだと思うけど、それに対応する瞬発力と安定感は流石としか言えない。今回は雄三さんが居て楽しそうなのもよかったし、春組を巻き込んだつもりが振り回されたりしていて、可愛かったな。でも春単22のような真剣なシーンの支配人もまた観たい。支配人を見るといつもそう思ってしまう。ACT3に期待しています。

○GOD座

伊崎龍次郎さん as 飛鳥晴翔
 
丞の古巣、GOD座の先輩兼同僚。晴翔もまた、現状最大の見せ場はACT3にあるキャラクターだけど、今回は丞の過去を象徴するキャラクターとして、GOD座の現トップとして、そのヒールなイメージと憎めないコミカルさを存分に発揮した伊崎さん。丞と二人の掛け合いやGOD座の回想シーンは伊崎さんがどんどん意識的に芝居を変えて色んな雰囲気を試しているのが分かってすごく面白かった。特に回想シーンの『友達が欲しいなら他へ行けば?』と2幕最後の『ちょっと良かったからって調子に乗るなよ!お前には絶対に負けない』の辺りは顕著だった。晴翔のプライド、嫉妬、それでも認めざるを得ないという演劇人としての称賛の気持ち。そういう、複雑な人間の心模様をきちんと表現して、優しさ際立つMANKAIカンパニーに対し、鋭い視線を投げ掛ける大事な役だった。
 丞があまり良い思い出としては語らないGOD座時代。ステだとカンパニーにとっても敵役としての面がまだ強いGOD座だけれど、晴翔の方が先輩なのに丞が晴翔を呼び捨てしていたり(年下だからかもしれない)、別に丞はGOD座の1から10まで全てに不満があった訳じゃないんだろうな、と感じられるのも実は晴翔がいるからだ。GOD座よりも方向性の合う劇団が存在した、というだけの話。レニの演出家としての腕や周りのレベルの高さに丞はそれなりに尊敬し、鍛えられて揉まれて成長したし、別にいじめられていた訳でもない(嫌味は言われていたが…)。丞の良きライバルとして、紬の対になる存在として晴翔は今後も欠かせないし、そのポジションをちゃんと理解して、時には砕けた状態で冬組に絡みに来るところも、伊崎さんの手腕は見事だなと感じる。大阪公演の最後5/11のマチネかな、紬に思い切り絡んで丞に怒鳴られていたのがすごく晴翔らしく紬らしく丞らしい、各々の解釈の深さを感じたアドリブだった。ACT3にて「Must be fabulous」が観られるのが楽しみだな。物語はそこを迎えられるのだろうか?それすらも未知だけど。

河合龍之介さん as 神木坂レニ
 
演劇を愛し、演劇の悪魔に未だ囚われる男。と、言うのが明かされるのはまだ先の話だけれど、今回のレニはACT3の前哨戦と言うべきか、様々な伏線を散らすだけ散らして去って行った部分は否めない。MANKAIカンパニーに対する神木坂レニの感情や立場を考えるにあたって、重要な公演の1つだったことは確かだ。
 そんな中でレニの見せ場の1つに1幕でガイへ演技指導をするシーンがある。どんなに否定的なことを言っても食らいついてくるガイの必死の懇願に折れ、建設的で現実的で再現可能なアドバイスをくれる。流石GOD座を率いているだけある。最も、GOD座にこの時のガイさんのようなレベルの役者が合格しているとは思えないので、MANKAIカンパニー時代に培ったものなのかもしれない。『自信の無さを隠すことを覚えるんだな』という台詞から始まる一連の流れはこの冬の中で1番変化があったシーンの1つだ。このシーンはガイ・レニ・監督が3人で居る場面なのだけど、最初の頃は少し気まずそうで、監督の視線を気にしていたけれど、大阪公演の終盤はガイさんの胸を拳でトンと叩いて鼓舞してくれた。今年の秋単で過去の太一を苦しめた姿とは真逆の、熱い演劇人としての顔。人間が多面的であることを示してくれるのがレニというキャラクターで、1つの面だけを見て他人を好きになったり嫌いになったりすることもある、というのを実感として教えてくれる。
 河合さんはレニの内面や経歴、これからの物語をすごく深く考えてくれている方だし、レニもまた雄三と同じで毎公演「今ここで思い付いた」ように台詞が繰り出されるのが臨場感があった。良い芝居をありがとうございます、といつも感謝した。
 これは余談だけど、顔が小さすぎてたまに遠近感が狂ってしまうのでびっくりしたな。

まとめのような蛇足のような話

 春組キャストの誰かも言っていたけど、今回の冬に繋がる春単が始まったのが1年前の5月。丁度1年掛けて、何なら秋の終幕からも4ヵ月空けて「まだこのセットでやってなかったのか冬組!」とびっくりしつつ、色んなものが満を持して始まった公演だったなと感じる。永遠に立川開催に囚われていた冬組が立川を回避したことも、不運の巡り合わせで1度もコーレスが出来ないままだった冬組単独ではじめて声出しが解禁されたことも、冬組がここに辿り着くのを待っていたように、色々なことが整った公演だった。4か所を巡る細切れのスケジュールについては、春単22と似ていたので、まあいいかと思わなくもなかったけど、凱旋はもうちょっと長く欲しかったです。
 そんなこんなで1ヵ月間、一生懸命冬組に向き合った日々でした。純粋に楽しかったし、観たかった景色を沢山観ることが出来た。でももっと知りたかったこともあるし、もっと掘り下げたいことも沢山あった。それでも観劇と普通の社会生活を往復しないといけない中で、自分ができるだけのことをやったつもりです。大楽の日にフォロワーさんと打ち上げをしたんだけど「いい千秋楽だったね」と言い合うことが出来て良かったなと言うのがすべての結論だった。

 わたしは今回の公演で『みんなが認めてくれる俺の芝居は、役者・御影密はオーガストがくれたものだから。過去の全てが今の俺に繋がっている。だから俺は、過去も含めて御影密として生きることに決めた』という密の台詞と、それを穏やかに受け入れる決意をした表情が1番好きだった。忘れたい過去、忘れないと前に進めないと思えるようなしんどい思い出、そういうものって別に組織に入っていなくたって、ある。でもそういう過去に限って、捨てられないもの・捨てたくないものと強く紐づいてしまっているんだよね。不思議なことに。捨てたくて捨てられなくて、ずっと苦しいことは沢山あるし、それが今に影響してくることも、普通に存在する。
 わたしはたぶん、密と千景が過去のどうにもならないツラいことや悲しかった出来事を乗り越えて来て、乗り越えた先の未来である「今」でもたまに暗い記憶に揺り戻されたり、完全に切り離すことは出来ない状態で葛藤したり立ち止まったりしつつ、そんな中で、確かな今を未来に向かって歩いているところが好きなのだと思う。忘れたい、忘れたくない、信じたい、信じられない。そんなことをぐるぐる繰り返し、罪を背負う彼らはふと、笑うことや楽しむことを躊躇う日だってあると思う。でもそれすらも人生で、生きていかなきゃいけなくて、そんな日々の中に救いも苦しみもあるのだと思わせてくれるから、彼らのことを愛おしく大切に、特別に好きだなって思う。
 過去の全てが今に繋がっている。その逃げられない現実を、その苦しくて切実な事実を、大切に抱き締めた密のことを改めて好きだと思った。この人を好きでいられて、この人の主演公演を大切に見守ることが出来て嬉しかった。本当に。観劇は一期一会だと知っているから、余計にそんな風に感じるんだろうね。そしてこの密を演じてくれる植田さんのお芝居と卒業を見守ることが出来て、本当に幸福だったと思います。
 「冬組と御影密をこれからもよろしく」ってお願いしてくれた、強くて優しい人。わたしにとって植田圭輔さんは、密に対する解釈をやめず、悩んで考え続けて、御影密を大切に演じてくださった俳優でした。こんなの、そう思うか思わないかは自分次第だよ。大切にしてくれてないって感じてる人には何を言っても基本的には通じない。だから、大切にして貰えたと感謝出来て嬉しい。

 未来のことは何も分からない。オーガストだってあそこで死ぬと思っていなかっただろうし。だから、何かを考えたりぼやいたりするのは、その日が来てからで良い。今はとにかく優しくあたたかく可愛い冬組を労いながら、静かに次の季節を待ちます。
 沢山の素敵な場面、表情、歌声、仕草、台詞。そのすべてにありがとう。そして寂しいけど、さようなら。でもやっぱり、本当にありがとうございました。終わることを惜しみ続けた分だけ、今回の座組のことが大好きだった。だからきっと、これからも愛してます。本当に本当にお疲れ様でした!!!!!!

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