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漢字が書けないナオと、鸛(こうのとり)の話

こんにちは。深夜にラーメン、なかだいらです。
このnoteでは長男ナオ、次男リョウが発達障害の診断を受けた流れ、その後バリ島で育て直しを行った体験の記録を、本人の許可を取ったうえでつづっていきます。
バリ島へ行ったのが2009年。まずはそれまでの日記を出していきます。#047

2007/7/30「ナオの漢字学習その後」

小4の長男ナオは、ひらがなすら「うーんと」と言いつつ書くひとで、小1の漢字以降ついて行っていない状態。文章の前後から推測して漢字を予想することはできるので、本を読むのは大好き。まさに過集中の状態。読めない漢字が出てくると聞きにくるのでためしに「DS楽引辞典」を買ってみる。これが大当たり。夏休みの宿題も国語は真っ白けの覚悟だったけど、ひとつひとつ調べながら取り組んでる。本人も漢字のページを埋めることができて嬉しそう。100万回繰り返し書かせても、書き順を語呂で覚えても、パソコンでオリジナルの教材を作っても、漢字が身につかないナオの場合、こういう補助用具の助けは必要と思う。自分の名前だけ漢字で書けたらまぁいいか、と思っていたけど、少しでも興味を持ってくれて良かったな。ナオが書字のことで自信を無くさないように1年生のときに「鸛(こうのとり)」という漢字だけ書けるように練習した。とっても画数の多い漢字。それをDSで書いて調べたりしてる。いい傾向です。

つづく

次回は「歩くようになったココや、友だちから金品の要求をされたナオの話など」をアップします。

■当時をふりかえって補足 2021.10.15
鸛という字を覚えたのはとても本人に良い影響があったみたい。「みんなが書ける漢字は書けないけど、みんなが書けない鸛は書ける」ということを、当時は心の支えにしていたようです。

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