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能登大震災から半年

先日、能登半島大地震支援のコンサートを聞きに行き
そこで現地のお話を伺ったのでシェアしたいと思います。


ボランティアの方がおっしゃっていたのは
壊れた家屋や店舗の片付けがなかなか進まないということです。
ボランティアであちこちの支援に行かれている方なのですが
「ここは特に遅い」と話されていました。
お正月飾りがされたままの家やお店の写真を
見せていただき、まるで時間が止まっているようだと感じました。

これは地理性の問題というのが大きくあると聞いています。
道路は復旧してきているのですが
もとより奥能登に向かう道が限られているためです。

また、地震で宿泊できる場所がなくなっており
ボランティアはキャンピングカーか
あるいは小学校の校庭などでキャンプをしながら
活動しておられるとのことです。

宿泊できる場所から移動するにしても時間がかかるので
現地でのボランティアの活動時間が限られているということもあります。

公費解体(壊れた家屋などを公費で解体・撤去できるというもの)は
まだ全体の4%ほどしか進んでいないそうです。
そのため、家々が崩れて、車が道を塞いだ状態のところが
まだまだあるとのことでした。

それなのに、無料の廃棄物回収が7月30日で終了してしまうということで
それ以降は個人は有料で廃棄をしなければならない
ということになっています。

市区町村レベルの職員さんたちや
現場で活動されている方々というのは
本当に一生懸命に対応しておられるとのことです。

けれどもそのボランティアの方は
「県や国レベルというのは、能登の復興をしようという気がない」
というように、苛立ちもあってそんな風に話をされます。
市区町村合併をする方向に話を持っていこうとするそうで
ある種の切り捨てであるという風に感じるそうです。

小中学校の14校に再開のめどは建っておらず
壊れたまま放置してある場所もあるそうです。
そのため人口の流出が止まらず
特に子どもさんがおられる世帯から
金沢(都市部)へ転居する人が多いと伺っています。

ボランティアの仕事も復興というよりも
転居するために壊れた家から荷物を運び出す
手伝いをするというものだそうです。

先祖代々その場所で暮らしてきた方々は
「住み続けたい」という風におっしゃいますし
二次避難をしている人たちも
「戻りたい」と口々に言われるのですが
なかなか戻る場所がないというような状態だそうです。

発災直後、地域の人たちが
慌ててバラバラに避難しようとした結果
どこに誰がいるのかわからないという状態なのも問題だそうです。

避難バスに乗るまでどこの地域に行くのか
伝えられなかったということもあったくらいに
現場は大混乱していたそうです。

そのため地元の人たちがNPOとともに一軒一軒訪ね歩いて
名簿を作成するということをされているそうです。
そしてその過程で
引きこもっている人が発見されるということもあるそうです。

一つ一つ片付けをしていかなければならないんですけれども
捨てられない、気持ちの整理ができないということを
目にすることもあるそうです。

壊れたものを捨てないといけないということはわかっているのですが
ボランティアの人から
「捨てますか?残しますか?」と聞かれるのも
辛そうにされている様子を見ることがあるそうです。

なぜなら突然奪われてしまって気持ちの整理ができていないことや
すべてが思い出に結びついてしまっているというところがあるからです。

その話をされたボランティアの方は
片付けを進めなくてはいけないということはわかっているけれども
最近ではその「もの」を目の前にして座って
持ち主の方と話をしていることが多いそうです。
「おじいちゃん、ポケモンカード集めてたんだ。へー」というように
一つ一つのものを見ながら話をするそうです。

本当に一つ一つ進めるしかなく
進んでいるという実感はなかなか得られないそうなのですけれども
「他の人も自分の見えないところで
きっとやってくれていると信じてやるしかない」
と地元の人は話されていました。

最近では、能登半島大地震のことについては
ニュースでも節目の時くらいしか
あまり取り上げられなくなったなと感じています。

地震大国の日本ですし、毎年のように豪雨災害があるため
「どこか別の地域で別の災害が起きたら
 能登は忘れ去られてしまうかもしれない…」というように
話されていたことが印象的でした。

そして能登で起きていることというのは
別の地方でも起きる可能性があると感じています。
国や県のような単位から見たら
コンパクトに人がまとまって暮らしているほうが管理しやすいためです。

地震じゃなくても上下水道や道路の老朽化が進んでおり
また災害が激化しているため
末端まで目が届かないというところがあるためです。

それはわかるのですけれども
昔から住んできた人にとっては
その土地から離されるということは身を切られるようなものだと感じます。

国や県に頼らずに市民ネットワークを構築して
その中でやっていく必要性を訴えておられる方もおられました。

ここまでなかなか復興が進まないというような話をしましたが
それでも毎週のように能登に通って
ボランティアをされている方々がいらっしゃって
本当に頭が下がります。

それから東日本大震災の時に活動したNPOによる支援も
力強く入っているとのことです。

そして鉄道が復活した沿線の駅では
飲食店が次々とオープンしているそうです。
生業を取り戻していくことで
「がんばっていこう」という気持ちになれるそうなので
ボランティアじゃなくて普通にランチを食べに来るというのでも
ぜひ来てほしいというふうに話されていました。

経済を回すということも
復興に向けてとても大事なことだと思います。

また生活が大変な中
今年はお祭りをあえてやると決めている地域がいくつかあるそうです。

夏には有名な「キリコ祭り」というのが各地で行われるそうです。
地域が活気づきますし
準備は大変だと思うんですけれども
その時だけは震災のことを忘れられるというふうに話しておられました。

私にできることは本当に小さいんですけれども
これからも自分にできることを考えてやっていけたらと考えています。

カバー写真:「©石川県観光連盟」
https://www.hot-ishikawa.jp/photo/index.html

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