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『すずめの戸締り』感想

新海誠監督の『すずめの戸締り』を観てきました。

他の方のレビューを読まずに、また前知識を極力入れずに観にいった感想なので、見当違いなことを書いているかもしれませんがご容赦ください。
ネタバレありますので、まだ観ておられない方はご注意ください。

語られない歴史

「History」という単語はHis(彼の)Stroy(物語)という意味であり、特定の人物が成し遂げたことが「歴史」として記録されるからだと聞いたことがあります。

『すずめの戸締り』はその逆で、語り継がれることも賞賛されることもない誰かの尽力のおかげで今日も私たちの何事もない一日が保たれているということの象徴のように感じました。

「戸締り」は、無秩序に大きな力をふるう自然界相手に、人間の小さな営みをなんとか守ろうとする行為であり、過去・現在・未来の人々の思いのように感じます。

(結局、ミミズは単に封じられているだけで、またいつでも動き出す存在なので)

扉を閉めるための文字通り「鍵」となるのが「そこにいた人たちの記憶や思いに寄り添うこと」というところにとても感動しました。

すずめがお母さんにもらった椅子のことを「いつから大事にしなくなったのかな」と言うシーンがありますが、決して忘れないと誓ったことも時間とともに薄れていく…震災の記憶が多くの人たちの意識から薄れていることのように感じます。

災害だけではなく、先の大戦の際、「もう二度とこのようなことをしない」と誓ったはずなのに今再び世界がブレーキを無くしていることも、その時の記憶、思いが薄れてしまっており、要石が緩んできているということなのかもしれません。

その時の記憶、人々の想いを共有し、自分の意志とすることで、この先も「何事もない」世界を守っていきたいというメッセージのように(勝手に)受け取りました。

二極のモチーフ

この映画には二極のものが多く出てくるなと感じました。
白黒、現世と常世、二つの柱、生と死…

白い「ダイジン」と黒い「ウダイジン」が変化(へんげ)すると白黒が逆転するのも、太極図的で面白いなと思いました。

また、子供のころのすずめが扉越しに振り返ってすずめと草太を見た時、
二人が女神、男神のようにも見えました。

そのことから映画全体が「現代の神話」であるようにも感じます。
映画の冒頭、すずめが要石を解除してしまいますが、やっちゃいけないことをやる、開けてはいけない扉を開けるのは神話あるあるなので。
(知恵の林檎を食べてしまうイブと、それに巻き込まれるアダムのような)

『ハウルの動く城』のソフィーもですが、すずめには意識を向けるものに命を吹き込む力があるように思います。
要石(ダイジン)を解除してしまいますし、
ダイジンが、すずめに嫌われたとわかったとたんに力を急速に失ったり、心配すると再び生き生きとしたりとするシーンがあります。

それに対する草太は、映画の大半の時間をバランスの欠けた椅子として過ごす残念なイケメンなのですが、能力はあるけれども行動が危なっかしいすずめを導く存在として描かれています。

生命エネルギーを与える女神と、そのエネルギーを導く男神というイメージです。

現代の男性が、口では「大丈夫!」と言いつつとても大丈夫じゃない状態で頑張っているということのイメージのようにも感じます。

ダイジンは何者なのか

弱ったダイジンが「すずめの子供になれなかった」と言うシーンがあり、なぜか不覚にも泣きそうになったのですが、(それまでは憎たらしすぎてぐぬぬ…となっていたのに)どういう意味なのかが、よくわかっていません。

すずめが大好きだからというような意味にもとれますが、何とも不思議な発言のように思います。ダイジンに命を与えたのがすずめということで、母親のような存在なのかもしれませんが。

悪ふざけであちこちの要石を解除していっているように見えて、結界が緩んでいるところにわざと連れまわしていたというようにも見えました。

ウダイジンは心の闇を引き出す存在ですが、草太の祖父は以前会ったことがある様子で、どこで?どんなシチュエーションで?会ったことがあるのか気になります。
また、ダイジンとウダイジンとで明らかに対格差があるのもどういう暗喩なのかなと思います。闇が光より広大ということでしょうか。


ものすごく壮大な話で、他にも気になるモチーフなど情報量がありすぎてまだまだ消化できず、ぼーっとしています。
これからいろいろな人の考察を読んでみようと思います。

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