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マニアックなスキルを持つこと


先日の母の日に、実家の母と福井県旅行をしていました。
三国というところを観光した時に
旧森田銀行本店という建物を見学したのですが
その時に見たものが印象に残ったのでその話をしたいと思います。

三国は北前船で栄えた港町です。
北前船とは江戸時代から明治時代にかけて
日本海側で盛んだった海運ルートでした。

対馬海流に乗って3月下旬に大阪を出港し
瀬戸内海、日本海の途中途中で商売をしながら北上し
5月下旬頃に北海道に到着します。

帰り7月下旬頃、北海道を出港し
8月、10月と途中の寄港地で商売をしながら南下し
11月上旬頃に大阪に到着するというのが
1年間の流れだったようです。

北海道へは米や酒、砂糖、瀬戸内の塩、衣類、菜種油などが運ばれ
北海道からは数の子、ニシン、ナマコ、昆布などが運ばれたそうです。

船での商売なので嵐に遭ったり座礁したりなどなど
危険はたくさんあるのですが
当時としては非常に稼げる仕事の一つだったようです。

そのため北前船で栄えた港町には
「ニシン御殿」ですとか「昆布御殿」みたいに呼ばれている
大きな古い家があったりします。

三国は北前船が寄港した場所の一つでした。
鉄道が主流になるまでは物資の運搬というのは海や川が中心でした。
私の祖母が女学生の頃は
運河のそばにお店を構えるというのは一種のステータスだったそうです。
今でいうと駅直結のビルの中にお店を開いたという感じだと思います。
鉄道が通るようになったらあっという間に
中心地が駅前に移ってしまったというふうに話していました。

今後もし車の自動運転が実用化されたら
「駅に近くて便利」というような概念は
変わる可能性があると言われています。
というのも街中を箱のようなモビリティが
たくさんぐるぐると走り回っているという状態になるためです。

もし私がどこか行きたいなと思ったらスマホか何かで呼び出したら
付近のモビリティが家の前に停まってくれます。
目的地に着いたらまたそいつはどこかへ走り去っていきます。
充電がなくなったら充電ステーションのようなところへ
勝手に戻って行って充電します。
こうして街の形がまた大きく変わるだろうと言われています。

話を三国に戻しますと北前船で栄えていた頃は
川沿いに蔵が立ち並んで非常に活気あふれる町だったようです。
旧森田銀行本店は、ガイドブックを読んでみたら
福井県内最古の鉄筋建築と書かれていました。
とても興味深く素敵な建物でした。

北前船で財を成した森田氏が明治ごろ
北前船がこれから徐々に廃れるかもしれないということを察知し
新たに銀行業を始めたとのことです。

明治時代の建築というのは東京駅もそうなのですけれども
とにかく西洋に負けないようにと
非常に気合を入れて豪華に頑丈に作られている建物が多いと思います。

この旧森田銀行本店も眩暈がするほど贅沢な作りでした。
カウンターは檜の一枚板、扉の取っ手は螺鈿細工
VIP室の床は寄せ木細工、天井や壁には意匠が施されていて
高い天井からはシャンデリアが下がっていました。

現代の私が見てもため息ものの贅沢空間だったので
当時の人たちは本当にびっくりしただろうなと思います。

そんな空間の中でひときわ目を引くのは
天井まで貫いている大きな柱でした。
一見大理石のように見えるのですけれども大理石ではなくて
当時建築に携わった左官さんが大理石を模して作ったものだとのことです。

「なんだ大理石もどきなのね…」と思いきや
ガイドさん曰く、このように左官さんの腕一つで
大理石風の造形をするという技術は
現在では失われてしまったものなのだとのことです。

「触ってみると温度が違いますよ」と言われて試してみたところ
確かに石と比べてヒヤッとしないというか
温かみがあるという感じがしました。
ブラタモリでも紹介されて、タモリさんも興味を示していたとのことです。

技術がこれだけ発達した現代で
今では再現できない技術があるということに驚きました。

以前テレビで「マツコの知らない世界」を見ていた時に
タイルについて紹介されていた回があったのですが
その時も、今では作れないタイルがあると紹介されていました。

タイルというと昭和の建物などで
よく水回りに使われている印象がありますが
美しかったり可愛らしかったり本当に様々なタイルがあります。
丁寧に彩色して造形して焼き上げたタイルというのは
一つの芸術作品とも言えます。

今では作れないということは
材料がなくなったというわけではなくて
職人さん一人一人の技術、特に「暗黙知」と呼ばれるような
レシピや文献に残すことができないような
微妙な勘どころが引き継がれなかったということだと思います。

「暗黙知をなくせ」というのは職場でよく聞く言葉です。
その人にしかできないものがあるというのは
その人が急に仕事に来れなかったり
急に辞めてしまうなどしてしまうと
誰も手がつけられなくなってしまうためです。

ただ結構そういう「暗黙知」というのは多くあり
ある人がいなくなってしまったことで
もうメンテナンスできなくなってしまったExcelなどが
サーバーに放置されていたりします。
私が新人の頃から暗黙知問題はしょっちゅう言われるのですが
解決された試しがないなと感じます。
工芸や技術の分野では、特にそういう暗黙知が多そうだなと思います。

私は職人さんという人種に憧れがあるので
テレビなどで紹介されていたらよく見ています。
陶芸、料理、細工、炭焼き、町工場、…などなど
職人さんの分野は様々ですけれども「匠」と呼ばれている人は
インタビュアーからの
「どうやってそのタイミングなどを見極めるんですか」
というような質問に対しては
「触ったらわかるんだ」とか
「見たらわかるんだ」とか
「音を聞いたらわかるんだ」というように答えるのですが
普通の人間には全くその違いというのはわかりません。
町工場の職人さんの中には
0.1ミリの誤差というのを目で見て検知できる人がいるとのことです。

伝統工芸の世界は「見習い10年」など言われたりするのですが
それだと新たに志す人にとってはハードルが高く
時代のスピードが早いため
そんなに待っていられないというところがあります。

現在AIでそれらの暗黙知をデータ化できないかという
取り組みは進んでいますが
それに間に合わず絶滅を危惧されている技術というのは
かなり多いのではないかなと思います。

先日NHKのインタビュー番組で
歴史学者の磯田道文さんが話をされていたことを思い出しました。
日本が明治維新で一気に西洋に追いついていった理由の一つとして
特殊技術…言い換えると一芸を持つ人たちが
たくさんいたためと答えておられました。

インタビューの中では
書道の筆の芯に使うイタチの毛を見つけるのが最高に上手な人
という例が出ていました。
この人は良い筆の材料になるイタチの生息地などに
やたらくわしいということで
「この人が見つけたイタチの毛の筆じゃないと」というふうに
マニアの中では言われているとのことです。

このようなちょっと変わった
一点突破型のスキルを持った人たちというのが
江戸時代頃までにはたくさんいたとのことです。
鉄砲が伝来した時
それまで日本人は鉄砲というものを見たことがなかったのですけれども
数年後には見よう見まねで同じようなものを作り出してしまいます

磯田さんは各一的な教育では
そのような一点突破型の人材は生まれないと話しておられました。
答えを頭に詰め込むこと
先生あるいは権威のある誰かの答えだけが「答え」
と教えられてきましたが
それではAIには勝てないとのことです。

磯田さんはもう一度
各自が特殊スキルの持ち主
言い換えると「何かのマニアになること」が求められていると
話しておられました。
それにはこれが好きというものを
突き詰めていくことが必要と述べておられました。

何かにトライしようとか何かをやってみようと思ったとき
ついそれは何か資格が取れたり、仕事につながったり
お金が儲かったり
それでいろんな人から認められるようなことじゃないと
いけないんじゃないかと思ってしまうのですけれども
そうではないということだと思います。

先ほど紹介した旧森田銀行の柱を作った左官さんも
大理石を模した造形ができることは
儲かるからやっていたというわけではなくて
いろいろ突き詰めていった結果たまたまできるようになり
普通に彼の仕事をしただけなのだと思います。

それが後の世には
もう誰も真似できないものになっていて
人を驚かせるものになっているというのは
面白いなと感じました。

改めて
「私が好きなものって何だろう、夢中でできることって何だろう」
というのを考えたくなりました。

そんなこと誰もやってないし
何の役にも立たないのだとしても
もしかしたらそれが
自分の特殊スキルになっていくかもしれないなと感じました。

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