『落下の解剖学』について(途中からネタバレあり)

白黒はっきりつけてにっこり笑って決着するインド映画に慣れてしまったせいか、#落下の解剖学 は本筋を面白いとは思えなかったんですよね、正直。ただ興味をひかれた部分はあって、それがフランスの裁判のやり方。アメリカと違って判事の許可を取らなくても発言できるらしくて、途中の口出しが多いの。

フランスでは「陪審員」ではなく、6名の「参審員」が裁判に参加して、基本的に裁判官と同等の権利を有し、罪責と量刑を判断するそう。だからこの映画では検察官も弁護士もひたすら彼らに訴えかけます。それが論理よりも感情優先なのよね。アメリカならもっと証拠や証言が必要とされるんじゃないかな?

そもそも訴追の理由が「こんな事件、自殺なわけない。犯人がいなけりゃおさまらん!」みたいな市民感情に応じた、みたいな感じでしたから。ごく僅かな状況証拠でもって妻を夫殺しの犯人に仕立てあげようとする。冤罪かもしれないのに。何故こんな恐ろしい事が起こるのか。それは差別意識が根底にあるから。

ヒロインはドイツ出身なんですよ。そう、長年にわたるフランスの宿敵。そのドイツ女がフランス人男と結婚してロンドンからフランスの田舎に引っ越してきた。夫婦の日常会話は英語だから、妻のフランス語はあまり流暢ではない。彼女は有名な作家。夫は優秀な教師だったが、作家になろうとして芽が出ず、今は自宅の改装や家事を引き受けてる。

まあ『TAR/ター』のヒロインみたいなもの。

隙あらば引きずり下ろそうとする者が大勢いる程、彼女は周囲、といよりうっすら世間全体からの「ささやかな反感」を買いまくっていたわけです。ちなみに『落下の解剖学』のヒロインはバイセクシュアルで一番最近の不倫相手は女性だったというオマケつき。夫とは長くSEXレス。

劇中証拠として提出されるのが夫がこっそり録音していた二人の口論なんですが、多分ここが一番ウケたんじゃないかな? 一家の大黒柱が妻の方で、収入の少ない夫がほぼ主夫として家庭を切り盛りすることの不満を爆発させてるんだけど、それ普通の「主婦」が黙ってやってる事ばかりなんだわ。

性別役割逆転の夫婦の末路が冷酷に描き出されてます。実は男女の立場を入れ替えればいささか加熱しすぎとはいえよくある夫婦喧嘩にすぎないんですよ。夫がかまってくれず、家事もしない事に対して妻が憤っている部分がほとんどだから。普通それを殺人の原因とはしない。激高しなければ愚痴のレベルだから。でも主夫だとその不満が重要視されるのね。男がこれだけ感情を露わにまくしたてているんだから、と。

そしてそれを妻(家計は彼女の収入が支えている)が論理的にあしらうと冷たいとされ、そんな冷酷な妻なら夫を殺しかねないという判断につなげられてしまう。 ここは男女の不均衡を見事に描ききった名シーンだと思います。脚本賞にそこが評価されたのかどうかは分かりませんが。

<この下、ネタバレです。映画の内容的に、バレてもあまり関係ないような気もするんですが、一応。>


前の方で「本筋」と書いた部分は劇中の殺人事件の顛末なんだけど、妻が夫を殺したかどうかは分からないままなのね。私は事件の前後の様子から無実と思っているけれど、それは観客それぞれに委ねられている。まあそういう体裁。

でもたぶんそれだけでは脚本賞は取れなかっただろうから、やっぱり男女の不均衡について鋭く抉った点が評価されたのだろうか。

あともう一つ、息子の証言がとても重要になる。
その証言を得るまでの展開が犬もからんでなかなか興味深いのだが、基本的にこの作品は「殺人事件の捜査」には焦点があたってないので、推理小説ファンには物足りなくはある。

重要なのは、愛犬を危険な目にあわせてまで実験した結果でも犯人を特定できないとなった時、自分(息子)がどうするべきか、どちらを選ぶか、自分で選択しなければならないという点。

そして一旦その道を選んだのならば、もうそのまま進むしかないという強い決意が要求されるということね。声変わりもまだみたいな少年にね。

ところでこの息子君は目が悪い。
その理由が劇中明かされるんだけど、父親に原因があった。裁判ではそれをヒロインである母親がしつこく責め続けたと検事にねちねち言われていたが、本人は最初こそ責めたがそれっきりだと否定する。検事としては要するに夫婦の不和の原因が息子君が目に障害を負った事故のせいだとし、それを根に持った妻が10年以上たってから夫を殺したと言いたいらしい(明言は避けてたような気がする)。まあ夫の不満の積み重ねがその時から始まったのは間違いないだろうが、それ以上に自責の念だってあったろうよ。少なくともこの夫婦は、視力に問題のある息子を冷たい世間から守るために全力をかけてきたのは間違いないのである。

可哀想なのは息子君で、両親の中が良くないことは知っていたが、その原因が自分にあったとハッキリ傍聴席できいてしまったのだ。息子君は悪くないのだが、子どもの常として両親の諍いの原因は自分にあると罪の意識を感じてしまう。だから自分も何かしなければならないと思い、その結果が愛犬を使った実験となった。

息子君としては父を失った上に、母親まで失いたくはない。でも殺人罪で有罪にされるとそうなってしまう。それだけは断固阻止しなければならないのだ。

それが彼の決断なので、実は彼自身が本当に母親の無実を信じているかどうかも最後まで分からない。だから観客も彼女が本当に夫を殺していないのかどうか分からないまま終わる。

ここまで来てそれか~~~~~!!!!!
とインド映画を見慣れた私は心の中で絶叫したものだ。

が、こうして書きだしてみると、本当に如何に優れた脚本だったかよく分かりました。

『落下の解剖学』、アカデミー脚本賞受賞、納得です、おめでとうございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?