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『GOAT』ガンディー

ガンディーはその壮絶な人生ゆえにわたくし感情移入したくないのであります。したくないんですが、しちゃうんですよ、映画見てるとつい。でも深みにはまりたくないのでサンジャイやジーヴァンの分析ばかりする傾向にあります。割とこっちは論理でもっていけるので。

しかしMSガンディーを一人の男性ととらえてその内面を分析するのは凄絶すぎて恐ろしくてしょうがない。そんな人物を演じきってタラパティ大丈夫なのかという気さえしますが、それたぶん同時にサンジャイやジーヴァンを演じる事によってバランスとってたんでしょうね。極端と極端にふれる事で、その中心でやじろべえの支点のように安定していられる感じ。SJスーリヤさんが『マーク・アントニー』と『ジガルタンダ・ダブルX』を同時期に撮ってたのもそれでバランスをとる事ができたからでしょう。悲嘆のただ中に、演技とはいえ身を置き続ける事は、人間の精神にとって負担すぎますから。

ガンディーも登場時の若ガンディーと16年後の渋ガンディーでは随分と違っています。20代といっても通用する若ガンディーは、これまで人々が映画の中に求めてきたタラパティそのものです。覇気に満ち魅力に溢れ万能感を漂わせる無敵の大将。愛妻家で子煩悩で信頼できる友人。最高の男性ですね。
職業はSATSのエージェントで、まあインドのジェームズ・ボンドです。その仕事を支えるのが持って生まれた彼の資質、ジーヴァンにも受け継がれた「サンジャイ」の部分。彼の上司の言葉を借りるなら「ライオン」にあたります。本人の言葉でいうなら「colour」、本性です。ガンディーは自分の本性が獰猛なことを知っていて、しっかり飼い慣らしてきた男なんですよ。

だから息子と違って「ジーヴァン」「サンジャイ」と分裂することなく一個の人格として強靱なまま。それがガンディーの強みです。恐らくは「仕事」というスイッチで切り替えることで本性を自由自在に発動することができるんでしょう。その職業意識によって同時に制御もしているわけで。

この基本的な部分には16年たってもまるで変化はないんです。それが分かっているから上司は彼の復帰をすんなり受け入れたのでしょう。

ガンディーにとって自分の過失から息子を失ったことは例えようもない痛手でした。それを乗り越えようとさえせず、悲しみと喪失感をそのまま受け入れて、自分に罰を与えるかの如く16年間世捨て人同然に生きてきた。だから16年後のガンディーは渋いというより枯れてるといった方が正しい。ジーヴィタという娘の存在があったからかろうじて自分が生きるのを許してる雰囲気。別居中の妻と毎朝顔をあわせるのだって、トラウマを日々再現しているようなもので苦痛の限りだろうに、敢えてそれを行っている。雄々しいというよりもはやマゾに近いとさえ思うのですが、その苦痛があることで、ジーヴァンを亡くしてからの日々を自分がのうのうと生きているという最も苦しい事実から目を背けていられるのかもしれません。

ジーヴァンが自分が目を離したすきに誘拐され、交通事故で焼け死んだと知った時のガンディーの叫びは悲痛すぎて、演技とはいえその状況を脳内で描いて自分をその渦中においてるタラパティが心配になる程です。「胸が張り裂ける」という表現がありますが、実際に心臓か脳の血管にダメージきたすんじゃないかと思う程悲嘆が激しいので。どのくらい叫んだのでしょうね、自分を取り戻すまでに。映画とはいえ、その場に親身になってくれる人々がいて良かったと思います。彼らがいなかったらその場でジーヴァンの後を追って自殺してたかもしれない。そのぐらいの心痛を感じるのです。

でもその場を生きながらえたとしても、ガンディーにはそれより辛い場面が待っているのですよね。ジーヴァンの死を、その責任の所在と共に妻に明かさなければいけないから。逃げずに一人でよくアヌの前に立ったものだと彼の勇気と男気には感服します。だってどれだけ責められるか分からないのに……。過失といってもちょっと目を離しただけなんですが、そんなの子どもが死んでしまったら母親には関係ないです。ガンディーにはそれが分かっていて、アヌの怒りを全面的に受け入れる覚悟で自ら告知に行った。言い訳もせずに罪を全部自分で引き受けて、許しを乞うことさえしなかったのかもしれない。

そんな激しい感情の嵐を体験したら、多分しばらくは虚脱状態になると思います。しかしジーヴィタという存在があったため、ガンディーとアヌは生きる必要にかられ、人生を全面的に投げ出すことはできなかった。そして16年もたつ内に娘への愛情から再び笑うこともできるぐらいには立ち直った。

こういうこと、全然言葉では語ってないし、シーンとしても数分なんですがタラパティの演技力で全部伝わって来るんですよね。

その後「過去16年間に何があったか」をナジールが語る場面がありますが、現在のガンディーの寂しげな表情と暮らしぶりを見るだけで状況は理解できるので、だめ押し的ではあります。入国管理してる時の声ひとつとってもハリがなくて、ただ黙々としなくてはならない仕事をしてるだけって感じですからね。かつては生気に満ちていたガンディーがね。

こんなに「枯れた」役というのもタラパティ初めてではないでしょうか。
老け方でいったら『ビギル』のラーヤッパン様の方がもっとお年を召してたようですが、あの方は全然枯れてなかったですからねえ。嬉々としてヤクザ稼業に精出してましたわ。『LEO』のパーティバンも老けて見えるのは白髪だけで、あとはプロポーションも動き方も青年と大差なかったし。まあガンディーも毛に白い物がたくさん混じっている以外「老け」てはいないのですが、とにかく表情が「世捨て人」なのが他の役と全然違うのですよ。


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