最悪のダブルマイノリティとして

先日もまた、首吊りに失敗した。

荒れ放題の部屋の中で、ロフトからビニール紐をストラップ状に吊るす。それで首を括り、はしごから飛び降りる。ところが、うまく締まらず息苦しいだけの状態が数十秒続く。結局、失神には至らず紐を切ってしまった。

あまりに情けない。自分が無能なのは自分が一番よく分かっているが、死ぬことすらできないまでとは。絶望感から、睡眠薬を酒でODして気絶するように眠ってしまった。


私はASD+ADHD混合の発達障害を持っている上、性同一性障害、最近の言葉(私はこの言い方が嫌いだが)でいうトランス女性だ。そんな現代社会における最悪のダブルマイノリティである私は、幼少期から常に差別や嫌がらせに逢ってきた。


私はとにかく人とのコミュニケーションが下手である。小学校の時は周りに自分を合わせられず、自己主張が強すぎて常に叩かれる対象となっていた。それから身体、特に手先を使う作業が苦手で、実技科目はいつもボロボロ。おまけに一人で読書をするのが大好きだったので、休み時間は図書室に引きこもっていた。

そうした状況を見て教師は「我慢しろ」「丁寧にやれ」「外で友達と遊べ」と言うばかり。何度も登校拒否を起こしたが、教師が家まで来たり、父親に無理やり連れていかれたりでまともに休ませてもらえなかった。


中学に上がっても、前述したような発達特性のせいで相変わらず苦行のような学校生活を強いられていた。また、小学校高学年頃から、性違和=二次性徴に対する嫌悪と恐怖が私を襲うようになっていたのである。強迫的に身体中の毛を抜いたり剃ったり、必死で高い声を出すようにしたりと。

要するに、中学時代は発達特性と性違和のダブルパンチであった。

通っていた公立中には文化部が男子禁制の美術部・家庭科部と並の運動部よりキツイ吹奏楽部しか選択肢がなく、しかも内申点を盾に取られて入部が半強制であったため、仕方なく運動部に入った。自分の性別に対する恨みが一つ積み上がった。

そこで待っていたのは、ありとあらゆるいじめの数々。私が運動音痴なのがバレた瞬間から、練習から常にハブられ、いざ入れてもらえたら晒し者にされ。逃げ出すと顧問の女からハラスメントを受け、部員からは虫を投げつけられ。払いたくもないバス代を払って練習試合に連れていかれたと思ったら、ずっと見学、ひどい時には会場に置き去りにされた事もあった。

一度、母親が退部のために顧問と直談判したこともあった。ところが、顧問は「どうすればみんな仲良くなれるか会議」を形だけ開いて、退部を拒否したのであった。

部活以外はそこそこうまくいっていた。人間関係と合唱以外を除いて。やはり、部活ほどではないが外見や声に対して散々罵声を浴びせられたし、オカマ呼ばわりもされた。私が本気で自分の性について悩んでいるとは誰も知らずに。教師も「お前は男」という言動を私に向けてきている中、相談しようなどとはとても思えなかった。

そして合唱。部活と並ぶ最大の苦痛であった。声変わりに無理やり抗った結果、ただでさえ声が出しにくい(カラオケでリハビリに取り組んでいるものの、未だに症状が続いている)身体なのに男子パートへ身体の性を理由に回され、ちゃんと歌えていないと名指しで非難されて居残り練習をさせられた。

家族には、部活や学校での不満だけは話す事ができた。しかし性違和については話せなかった。時は00年代後半、オネエタレントが大流行していた時代である。親もそれを見て笑い、「こうなったら嫌だねw」と平気で口にしていた。結局親も全幅の信頼には値しないと気付かされたのであった。

この頃、人生で初めて自死を考えた。部活に行かなくて済むように。毛布で首を縛っただけで、当然死ねなかった。


中学の三年間でボロボロになった私は、高校時代を自分の殻に閉じこもって過ごした。「合法的に」可愛いものを集められる美少女趣味や小学生以来続けていたポケモンカードに没頭し、現実の性違和から目を背け続けた。また、ヘヴィメタルに出会い、どうにか自分も髪を伸ばせないかと彼らに憧れを抱くようになった。

人間関係は、ポケモンカードで築いたもの以外存在しないも同然であった。教室では女子グループとつるんでいたものの、あくまで教室内だけでの話で、それ以上に仲良くなることはなかった。そしてますます自分の性別に対する恨みが募っていった。

それから、ファッションにも興味を持ったが、私が心惹かれたのはロリータや原宿系のゴスファッションであった。当然、男の姿では着ることができない。その現実を目の当たりにして、私はファッションに対する関心を失っていった。


これらを経ての大学生活。私は編み出した自分なりの処世術を実践することにした。

まず、性別の悩みについては隠し続けること。→逆埋没

それから、同じような属性(訳アリオタク)の集団に混じること。

訳アリオタクグループで逆埋没作戦は、なかなかうまくいった。おかげで、色々と疲れて無気力であったものの、普通に楽しい大学生活を送ることができた。

一方、逆埋没をしていると、自分と他の男オタクとの感覚の違いにカルチャーショックを受けることがままあった。例えば、女の子キャラに対する視線。私は憧れの対象として見ている中、他のオタクたちは性的な目で見ている。それから、18禁同人の話題。何がいいのか分からず、とりあえず頷くことしかできなかった。

それでも楽しい時間は多かった。4年に上がって就職活動が始まるまでは。就職活動はあくまで普通の男子大学生を演じていたが、どうしても面接がうまくいかない。質問が理解できない、ちゃんと答えているつもりなのに面接官が変な顔をする。約30社受けて、内々定が出たのは某メー子1社だけだった。幸い、同時に進めていた公務員試験が成功したため、こちらへ就職することはなかったのだが。ただし、再び破壊された精神が回復することは決してなかった。


就職して最初の配属は、黙々と進めるルーティンワークが業務の多数を占めるという理想的な担当であった。そのため、業務そのもので体調を崩しはしなかったが、相変わらず十代からの鬱状態が続いていた。そしてようやく、精神科の受診まで漕ぎつけたのであった。初診日が社会人になってからの方が障害年金の受給を狙う上では有利だし、生命保険への加入も済ませておきたかったのである。

この戦略的受診は一定のアドバンテージを得られたが、中高以来の鬱々とした状況を引きずり続けてしまったがために、治療に困難をきたすようになってしまった。結論としては、中高のうちに精神科を受診しておくべきだったと思う。


それから、就職後一年を機に一人暮らしを始めた。ようやく親から解放された私は、私生活に女性らしさを少しずつ取り入れるようになった、レディス服、小物、化粧品、少女漫画。そして新たな友人もできた。彼女らとは仲良くなれたが、交流を深めれば深めるほど、「自分は男である」という事実が壁として機能している事実に苦しめられるようになった。


これらの体験を総括して、私は

・発達特性に理解のある環境で生きたい

・女性として人生をやり直したい

との決意を固めたのである。


そんな私に待っていた現実。それは発達障害を理由とした職場でのハラスメントと、ネットを中心に吹き荒れるトランス差別による人間関係の崩壊であった。

コミュニケーションに難があると言っているのに用地買収を主業務とする事務所へ異動させられ、仕方なく総務に座ったものの同じくらい苦手なマルチタスクに忙殺される日々。これが原因で私生活は一気に崩壊した。

後者はオタク趣味で繋がった人間関係の崩壊の引き金となった。MtFを変質者の男扱いするような言説を無邪気に拡散し、私がそれに怒ると逆ギレされる。これで友人をごっそり失ってしまった。


今の私にはもう、何かをする余力など残されていない。トランスジェンダー×発達障害という最悪のダブルマイノリティに生まれた運命を恨むことくらいしか、私にできることは残されていないのだ。


早くあの世に行きたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?