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『魔法のコトバ』 1/3

「西本ォ!聞いているのか!」

「あっ、すみません…」

「すみませんじゃないよ、すみませんじゃ!全く何回言ったら分かるんだお前は。そもそもな…」

オフィスの最奥で上司に叱責されるのは慣れていた。ただ、他の社員達からの視線が痛くて、意識がそちらに引っ張られてしまう。興味がないくせにジロジロ見ないでくれ、という気持ちより、仕事の邪魔をして申し訳ないという気持ちの方がかろうじて勝っていた。

「会社は学校じゃないんだぞ。いつまでもお勉強の気分でいるなよ!分かったか?」

「はい、申し訳ありませんでした」

上司はため息とともに去っていった。取り残された後も、周りの視線が痛い。今日だけで何回「すみません」と「申し訳ありません」を言っただろうか。僕はまだぼーっとしていて、しばらくそんなどうでもいいことを考えていた。

「僕さ、東京で就職しようかな」

唐突にそう切り出すと、加奈は少し驚いたようだけど、笑っていた。

「いや、別に東京で何がしたいわけでもないんだけど…加奈がアメリカに行くんだったら、僕もなんかしなきゃなと思ってさ」

本音で喋っているはずなのに、なぜか口調が言い訳がましくなってしまう。バイオリン奏者として世界中を廻りたいという、加奈のキラキラした夢が眩しすぎて、ちっぽけな対抗心を燃やしている僕はまるで塩をかけたナメクジのように萎縮していた。でも俯いた僕を応援するように、彼女は明るかった。

「孝介が東京に行ったらさ」

「え?」

「きっと出世するんだろうなあ」

「どうかな。多分そんなことないさ」

「するよ。孝介は頭いいんだし。絶対上手くいく」

どうしてそんなにはっきり言えるんだ?現実はきっとそんなに甘くないのに。そう言いかけたけど、ぐっと飲み込んだ。彼女が大丈夫と言ってくれたなら、その根拠のない自信にすがりたいと思った。

"コンテスト"も次が最後か。寂しいよ。笑って送らなきゃいけないとしても。

昔のことをぐるぐると思い出していたら、いつの間にか最寄駅に着いていた。イヤホンから流れてくる流行りのJ-POPが、どこか遥か遠くに聞こえる。

「絶対に上手くいく」なんて、今なら嘘っぱちだって分かる。でもどうしてだろう。あの頃を思い出すと、なんだか素直に嬉しくなって、意味もなく足取りが軽くなった。

続く


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