【映画感想】『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』は誰のための映画なのか

映画の感想という記事の性質上、一部ネタバレを含みます。あと、記事内の一部表現に罵倒や卑猥な表現を含むので、そのような表現が苦手な方には合わないかと思います。

なお、本文の後に脚注がありますが、いろいろ脇道に逸れる内容になっているので、脚注を無視して一通り本文をお読みになることをオススメします。その後興味があれば、脚注も目を通していただけるとありがたいです。

◆前書き

 私は、自称「ちょっとした」任天堂ファンである。「ちょっとした」というのは、任天堂の株を買うほど入れ込んではいないが、据え置きハードはファミコンからSwitchに至るまで、携帯ゲーム機はゲームボーイから3DSまで、「ほぼ」網羅してプレイしてきた、という意味である。「ほぼ」というのは、バーチャルボーイ *1は店頭で展示されていたものを少し遊んだことがある、という意味である。
 マリオシリーズも、全てではないが一通りプレイしてきた。特にスーパーマリオブラザーズ3は1-2で無限1UPをした後にひたすら笛を取ってワールド8に行っては死ぬ *2ということを幼少期にやり続けていたし、スーパーマリオワールドは最速でスターロードに行って裏面解放して速やかにクッパを倒すということを繰り返していた。64マリオは120枚スターを集めたし、サンシャインも青コイン *3は諦めたが取れるシャインは全部取ったし、ギャラクシーは少し触っただけだが音楽が凄く良いと何度も思うことがあったし、オデッセイももっと月の裏 *4までクリアする程度にはやった。今回のマリオの映画を見るために仮に何らかの資格が必要だとすれば、例えばマリオシリーズをそれなりに知っておかないといけないとすれば、自分はその資格が十分にある。この映画はきっと、自分のようなビデオゲームファン、任天堂ファン、マリオファンに向けた映画なんだ。そして世代的にも、子供と一緒に観て楽しめる映画なんだ。そう思っていた。
 このような書き出しをするのはもちろん理由あってのことである。事前に耳に入っていた情報としては、「映画評論家の評判は酷いが、映画を観た人からは高評価 *5」「日本語と英語で脚本が一部違う」程度のものだった(後で調べたが、映画評論家の評判も一部低評価はあるものの極端に悪い評価ではなかったようだ)。「映画評論家の評判が酷いのはポリコレ *6を無視してるからでは?実際マリオに黒人は出てこないし」みたいな憶測も飛び交っており、まぁ実際ポリコレなんてブッチした方が面白い映画ができるのかもしれないな、と思っていた。この映画を見るまでは。

 いつものことだが前置きが長い。

 この記事で触れたいのは脚本の大筋の部分ではないので、あらすじなどは敢えてここには書かず *7、良かったところと違和感を覚えたところを、それぞれ列挙していく。


◆良かったところ


・マリオとクッパ以外のキャラの描写

 ルイージのライトの持ち方は、ルイージが主人公となって活躍するルイージマンションシリーズ *8をとても意識した動きになっており、またどれだけ怯えていてもしっかりとツールを拾い上げて立ち上がりトラブルに対処しようとする姿勢は、特に主人公となった後のルイージというキャラクターを描写する上で非常に重要だと思う。映画の中で単独での目立った活躍はなかったが、ヒーローになりうる素質を持っている。細かい描写でその可能性を示唆しているのは大変好感が持てる。
 ピーチ姫のアクション *9も爽快で良かった。正直この辺はポリコレ要素になると思うが、マリオよりピーチの方が強く描写されているのは、息子と娘と一緒に映画を観に行った身としては大変ありがたい。
 ドンキーコング周りのキャラ達 *10も活き活きとしていてよかった。ドンキーのキャラ付けってどの辺りで明確になったんだろう。やっぱり旧アニメなのかな。


・ゲームコミュニティへのファンサービス

 ルイージのスマホの着信音がゲームキューブの起動音 *11だったり、レトロゲームが沢山登場したり、ドンキーとマリオが戦うシーンにスマブラのモーションが出て来たり *12、もしかしたらマグナムキラーがピーチ城に突っ込むのもスマブラDXが元ネタなのかなとか、いきなりマリオが直線ドリフト *13し出して笑えたりとか、気付けた部分だけでもその程度はあったので、気付いてない部分でもっとオマージュはあったハズです。マリオファンという括りではなく、ビデオゲームファンが喜ぶ要素を作り手はよく理解していたと思う。


・往年の映画作品へのリスペクト

 勝手な解釈かもしれないが、レースパートでのバイクの描写は『トロン』 *14、マリオを追いかける装甲車は『マッドマックス怒りのデスロード』 *15、ピーチがアイスフラワーの力で戦うシーンはドレスのデザイン含め『アナと雪の女王』 *16へのオマージュだと感じた。マリオの単なる映像化ではなく、この作品が映画界への新たな挑戦である、というメッセージだと思う。新たなコミュニティを積極的に築こうとする姿勢は、前向きに評価していいんじゃなかろうか。


・声優に若手(?)を起用

 俺にとってはドンキーコングとは山寺宏一であった。実際、ドンキーのキャラクターは旧テレビアニメにだいぶ寄せてあった *17と思う。でも今作の声は違った。あまり聞き覚えのない声だった。調べたら「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」のダルケルの中の人だったので、もしかしたらそういう任天堂作品の縁があったのかもしれない。
 ドンキーコングのテレビアニメをやっていたのはもう20年以上前の話で、その時の山寺宏一は40歳手前、ディズニーアニメにも出まくってまさしくキャリア全盛期。今作でドンキーコングの声を当てた武田幸史も41歳。若手と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、これは映画キャラクターとしてのマリオを声優含めて息の長いコンテンツにしようという製作側の意図があることは想像に難くない。
 そういう観点で、俺たちの宮野真守がマリオになった瞬間に立ち会ったんだ、という点は感慨深い。宮野真守ももう39歳である。「キングダムハーツ」で俺たちが宮野真守演じるリクと出会ってから20年経った。これから先、メディアにマリオが登場する場合、宮野真守がマリオに声を当てる機会はずっと増えるだろう。これまでゲーム内でしか声を出さず、それも明確な台詞を持っていなかったマリオというキャラクターは、映画キャラクターになることで言葉を発することが可能になった。これが良い結果を産むか悪い結果を産むかはわからないが、喋るマリオが何かを生み出しうるという大きな可能性を提示したという点では、期待できる、夢がある要素だと思う。
 また、エンディングで次回作がある雰囲気を匂わせていたが、そもそもの舞台がニューヨーク *18でそこから異世界にジャンプする、という設定は、先々のマルチバース化を想定しているんじゃないかなとも思った。息の長いコンテンツになることを願うばかりである。




◆自分と合わなかったところ、つまり愚痴

 さて、ここまでプラスのことばかり述べて来たのは、この先のマイナスばかり述べると作品の評価として不公平だからである。断じて、悪い映画ではなかったし、映画マリオの評判を下げたいわけではない。でも結局今俺の言いたいことはつまり文句である。だからここから先は俺の全身全霊を込めて今作のマリオ映画について文句を書かせていただく。読む人も覚悟していただきたい。















書きますよ?


・BGMに80年代アメリカンポップスを起用

 「え?ここまで散々ゲームBGMのアレンジ使っといて、なんでいきなり80'sポップス *19を流すの?これ聞いて誰が得すんの?」というのが率直な感想。いやホンマに意味わからんのですよ。しかも複数のシーンで80'sポップスが流れる。端的に言ってクソ。
 俺が個人的に80'sポップスが嫌い、という点を差し引いてもやはりここで80'sポップスを敢えて使う理由が理解できない。挿入歌を使うにしても、新しく曲を作ることはできなかったのか?親世代への媚びなのか?それはそれで世代がちょっとズレてないか?いやもしかしたら俺の知らないところで現役キッズ達に80'sポップスがバカウケしている世界があるのか?それならそれでニューヨークのキッズがイヤホンで80'sポップスを聞いて楽しそうにしてるシーンでもワンカット挿入して欲しかったよ?それがあったとしても意味わからんけどな?
 映画的に新しいことにチャレンジする姿勢を見せておきながら、挿入歌の1点でなぜここまで保守的になる必要があるのか。こればかりは本当に極端なマイナス評価をせざるを得ない。映画マリオとして新しい主題歌を生み出すチャレンジもできたハズなんですよ。そこで及び腰になるのは残念の極み。



・クッパが基本的にキモい

 マリオシリーズのゲーム内でクッパがピーチを攫う理由については諸説ある *20わけですが、ゲーム内では基本的には「ピーチ姫とエッチなことがしたい」ではないハズなんです。ただその辺はオデッセイだとちょっと動機が怪しかったりするし、調べたら年代を経るに連れてクッパがピーチを攫う理由が女々しくなってきている感があるようでもあるので、最近のトレンドという意味では、極端に言えば「ピーチ姫とエッチなことがしたい」が動機であっても仕方ない部分があるのかもしれない。でもそうであって欲しくはなかった。
 映画の中のクッパはとにかくピーチに欲情している。ピーチ姫と会話するマリオに嫉妬するクッパなど見たくはなかった。クッパがピアノを弾きながらピーチの名前を連呼するシーンなんてもう共感性羞恥の極みである。見てる方が恥ずかしくて失笑しか出ない。俺は何を見させられているんだ。このカットがクッパがシコってる描写でも意味合いは変わらんではないか。しかもカメックに見られて逆ギレするし。クッパって何なんだ。クッパというキャラクターを何だと思ってるんだ。強くて悪くてカッコいいのがクッパだろう。
 そもそもゲーム内では特にピーチを攫う理由とかは説明されてなくてだいたいよくわかってないんだ、なんか強いヤツが悪いことしてるからマリオが懲らしめに行く、くらいのニュアンスで成立してるんだからピーチを攫うことに無理矢理動機付けなんてしなくていいんだ。敢えて動機付けするにしてもなんで動機がセクハラなんだ、セクハラ拒否されたらパワハラってただのキモいおっさんかよ。オデッセイのウェディングコスチュームを映画内で出す演出のための動機付けだったのかもしれないけどそれにしても酷い。基本的にクッパというキャラが大事にされてない。クソ。



・マリオがバカにされる

 もう何より納得できないのがコレなんですよ。
 まず冒頭、マリオが元上司にバカにされるところから始まる。
 え?いつの映画なん?今令和ですよ?「バカにされた主人公が反骨精神で頑張る」みたいな映画が人気だったのは映画がモテない陰キャ向けサブカルコンテンツだった時代の話ですよ?誰向けに作ってんの?マリオ好きはみんなナード *21で社会に受け入れられなくてコンプレックス抱えてバカにされるのを見返したくて生きてるとか思われてる?その認識でよくマリオを映画化しようと思ったな?俺はマリオが常に前向きに自信持って活躍するキャラクターだと思ってたから家族連れて金払ってポップコーンとドリンク買って映画館で観てるんですよ?ここについてはホンママジで勘弁して欲しい。なんでマリオの映画観に来てコンプレックス *22をほじくり返されにゃならんのだ。
 まぁ冒頭のスパイクのシーンについては、レッキングクルーに由来するキャラを登場させて往年のレトロゲームファンにサービスしよう、ということで最大限好意的な解釈をして許容するとしましょう。でもそれだけじゃないんですよ。
 ドンキーコングがネコマリオをバカにするんですよ。見た目で。
 見た目でバカにされたネコマリオがその後ドンキーコングをコテンパンにやっつけてスカッと勝利、という王道展開になるのは当然なんですが、え、別にネコマリオの見た目をバカにする必要なくないですか?
 いや、兼ねてから私もネコマリオ *23は見た目キモいと思ってましたよ。任天堂がニャニャニャネコマリオタイム *24とか言って謎にネコマリオを推してくるのも理解できません。脳みそ湧いてんのかと思ってます。でも俺の知る限り、子供達は誰もネコマリオの見た目をバカにしたりはしてないんですよ。
 「マリオがネコになるんだよ!面白いよね!」俺は子供達のその言葉を聞いて感銘を受けたんですよ。確かにマリオがネコになることに何もおかしいことなどないんだ。誰がネコになってもいい。鼻がデカい4頭身の髭のおっさんがネコのコスプレをしてもいいんだ。それで言えばそもそもスーパーマリオブラザーズ3で出てきたしっぽマリオもタヌキマリオ *25もカエルマリオ *26も見た目はかなりおかしいハズなんだが、当時の俺も面白いと思いこそすれ、ダサいとかカッコ悪いとか思ってはいなかったハズなんだ。世界は多様性に満ちている。そう子供達に教わったし、かつて子供であった頃の自分の気持ちを思い出させてくれたんです。それをね、映画の中のキャラが見た目からバカにするのはね、違うだろ。やっちゃいかんことだろ。ポリコレブッチぎった方が面白いかもって言ったけど俺が間違ってたわ。それはダメだ。絶対にやっちゃダメだ。この瞬間にマリオの映画は子供達のための映画ではなくなったんですよ。じゃあ誰のための映画なんだ。自分をバカにしたヤツを見返したくて燻りながら強い女の子に助けてもらいスターという努力で得られたわけでもない力で悪いヤツを倒した結果を見て満足できる80'sポップスが好きなゲームファンのための映画なのか?そんなヤツどこにいるんだ。仮にいたとしてもそいつとは絶対に友達になりたくないわ。映画マリオを見て「コンプレックスを克服できたのが良かった」みたいな感想言ってるヤツがいたらそいつとは友達辞めた方がいい。そいつにいつかスターでボコられるのは友達だと勝手に思ってるお前の方だぞ。



◆総評

 他にも、冒頭でルイージがスマホを落としたままカットが移り変わる場面で実はあの落としたスマホが何かの伏線になるんじゃないかと思ったら全然そんなことなかったから変に気にして損したしあのスマホは拾ってから場面が切り替わって欲しかったとか、飛行シーンのタヌキマリオの挙動に違和感があってこれは羽根マリオ *27がよかったなぁとか、細かいことはあるんですけど、許せない部分の許せなさがデカすぎて、そんなのは本当に些細なことになってしまった。
 結論としては、「俺のための映画ではなかった」ということなんです。
 テレビゲームに何らかの救いを求めて没頭していた過去の自分は、「バカにしてくるアイツらを見返したい」みたいな怨念じみたことも思っていたし、その時にこの映画を見ればマリオに共感できたのかもしれないけれど、今となってはそこまで強く誰かを見返したいみたいなことも思わなくなってきた(自分の価値に見切りがついた)し、最後にスパイクや父親がマリオを褒めてくれてもそこにカタルシス *28を感じることはなかった。スターでルイージも活躍できて良かったね、くらいの感想しかなかったんですよ。この映画のマリオから俺が新たに学ぶことは何もなかった。そういう意味で、「俺のための映画ではなかった」んです。
 じゃあ子供達のための映画だったのか、というと、勝手ながらとてもそうは思えなくて、その理由は上記で述べた通り、マリオを能力や見た目でバカにするとか、クッパがやたらセクハラするとか、あまり映画の中のキャラクターから学ぶことがなさそうだからなんですね。「バカにしてくるヤツを見返すために強くなれ」なんて、親の目線から今の子供にとても言えませんよ。強くなるのは己の身を守るためです、見返すためではありません。他人からの評価に囚われて生きていてもあなた個人の幸せには届きません。だいたい見返すにしてもスターに頼ってたら意味ないだろ(スターを得るまでの過程に、諦めないことや兄弟の絆を大切にすることのメッセージ性があったことは否定しませんが)。しかし昨日娘が「お父さんは、どうしたら自分とお兄ちゃんが仲良くできると思う?」って聞いてきたから、兄弟の絆 *29の意味を考えるって意味では子供に影響があったかもしれません。それ以外の要素はクソでしたけどね。
 で、この文章の最初の問いかけに戻るわけです。

・この映画は誰のための映画だったのか

 自分が書いたこの文章を見返すと、「バカにされて見返すことにカタルシスを覚え、80'sポップスを好み、セクハラパワハラをエンタメとして受け入れ、降って湧いたスターの力で悪役をボコすのが好きな人」のための映画ということになるわけですが、どうですかね。そんなに大きく間違ってはいないと思うんですけど。
 まぁ、観た人の中には、そういう表現がドンピシャにハマって最高だったっていう人もいるでしょう。しかし個人的には、マリオという世界的スターが主人公の映画としては、いささか品性に欠ける *30なぁ、という印象でした。
 自分の感想が作り手の誰かに届くのであれば、マリオはクッパ以外悪い人のいない世界で自信に溢れて生きていて欲しいですし、クッパはセクハラも嫉妬もしないカッコいい悪役でいて欲しい、というのが、ささやかな私の願いです。どんな出来であろうと次回作はほぼ確実に観ますけどね。でもだからといって作りの細かいところでアラが目立つのは本当に許せないなぁ。だからこそこの文章を書いてるわけですけど。

 映画マリオ世界の住人全てが、末長く愛されるキャラクターになることを、強く願っています。



本文終わり。以下脚注。

◆脚注


 *1バーチャルボーイ:スーパーファミコンより後、NINTENDO64より前に発売された任天堂の据え置きゲーム機。任天堂のハードはだいたい持ってる、みたいな話をすると必ず「じゃあバーチャルボーイも持ってんのかよwwwあんなん買ったのバカじゃねぇのwww」みたいなことを言ってくる輩がだいたい一人くらい出てくる。持ってるわけねぇだろバカ。
 ゴーグル型の本体を覗くことで立体視でき3D体験ができるという、昨今のVRゲームを先取りしたような画期的な設計だったが、画面は赤と黒の2色のみで見づらく、プレイするのがだいぶしんどかった。そういうこともあってか鳴かず飛ばずでほとんど出回らず、定価15000円だったのが2023年現在中古で100000円ほどのプレミアになっている。

 *2スーパーマリオブラザーズ3:「マリオブラザーズ」「スーパーマリオブラザーズ」「スーパーマリオブラザーズ2」に続くスーパーマリオブラザーズシリーズ3作目(マリオブラザーズから数えると4作目)。みんながよく知っている「テテッテッテテッテ♪」のイントロが登場するのはスーパーな方のマリオブラザーズの1作目であるが、3は1と2から一変してキャラクター描写の刷新、ワールドマップの導入、大量の良BGM、ステージを逆走できる仕様、豊富なパワーアップアイテムなど、前作までに比べて大幅にバージョンアップした伝説の横スクロールアクションゲーム。映画にも登場するタヌキマリオは本作が初登場。カセットにセーブ機能がないため、最初から始めてもすぐに前回到達したところまで進めるようにと、途中のステージを大幅にスキップできる隠しアイテムとして「笛」が配置されているが、隠しアイテムとは何なのか、当時のキッズはみんな笛の場所を知っており、当時の俺はそんな任天堂の配慮を露とも知らずひたすら笛を使って激ムズの最終ステージに突っ込んでは撃沈されていたのです。でも途中の巨大の国も好きだったなぁ。あと大人になってから最後までクリアすると最後のクッパ戦のBGMがめちゃくちゃカッコよくてビビる。

 *3青コイン:ゲームキューブ対応ソフト「スーパーマリオサンシャイン(以下、サンシャイン)」で実装されたやり込み要素。「サンシャイン」で達成目標として獲得できるシャインは、「スーパーマリオ64(以下、マリオ64)」のスターと同じ全120枚だが、「マリオ64」に比べて「サンシャイン」は個別ステージ数が少ない(=普通にステージクリアして獲得できるシャインが少ない)。ステージ中に散らばる青コインを集めて、青コイン10枚につきシャイン1枚と交換して、全240枚の青コインをシャインと交換して初めてシャイン120枚コンプリートが達成できるのだが、正直水増し要素が強く、全ての青コインを集め切るのは攻略情報を見ながらでもかなりの苦行である。ステージや操作が難しいのと合わせて、「サンシャインは難しい」と言われる元凶。

 *4もっと月の裏:Nintendo Switch対応ソフト「スーパーマリオオデッセイ(以下、オデッセイ)」に登場する隠しステージ。「オデッセイ」はスターやシャインに代わりムーンが登場するが、なんとその数全999(青コインと同様、一部水増し要素あり)。そのうち500枚集めると、もっと月の裏に挑戦する権利を得られる。7歳の息子には「もっと月の裏をクリアできたら新作ゲームソフト1本買ってあげよう」と言ってあるが、これは「そんなにポンポンゲームソフト買ってるとお財布がピンチなので勘弁してね」の意であり、実質的に7歳児にはクリアは無理だろうと目論んでいます。それくらい難しい。まぁ37歳児なら何回かミスするくらいでクリアはできます。ノーダメージクリア?ハハハ、バカ言っちゃいけないよ君。

 *5映画評論家の評価:大手映画評論サイト「rotten tomatos」では、日本時間5/11 7:45現在、視聴者評価96/100に対し、評論家評価59/100となっている。ただ、評論家評価は60が足切りで、それ以上は可、それ未満は不可、みたいな基準でとてもざっくりと目安がつけられているので、59なら評論家評価もそこまで悪くはないんじゃないか。あと日本で映画マリオが公開された4/28時点では評論家評価は53だったらしいので、少しずつ評論家評価も持ち直してきている。公開前の期待が大きすぎて公開直後の評価が厳しめになってしまった、ってのが実際のところではないか。

 *6ポリコレ:ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness)の略。直訳すると「政策的正しさ」。政策とは公的機関が定めるものだが、実際に行われているのはポリコレを盾にした(俗に言う「ポリコレ棒」による)私人同士の殴り合いである。私はそこまで詳しく調べてないが、特にアメリカの映画業界ではポリコレへの配慮がないと特定の利益団体から総叩きにされる傾向があり、その中でも人種についてのポリコレはアメリカの歴史と密接に関わっており、黒人のキャラの声は黒人の声優が当てるべき、みたいな流れもあるようだ。そういったポリコレへの配慮を「過剰」だとして批判する向きもあるが、果たして何がcorrectで何がincorrectなのかはイデオロギー的な観点からは画一的な判断が困難であり、映画においては専ら商業的な成功の是非によって「あの映画が成功しなかったのはポリコレへの配慮が足りなかったからだ」みたいな言説が見受けられがち、という印象である(要出典)。つまり「映画マリオの視聴者評価が高い」のが「ポリコレへの過剰な配慮をしなかったから」なのかどうかは「わからない」のである。また、今日におけるポリコレへの配慮が映画界のターニングポイントとなるのか汚点となるのかは後世における振り返りを待つしかなく、実際はそれもこの後の映画界の隆盛・凋落やその要因を適切にポリコレと結びつけて初めて意味がある評価となるわけだが、そういった因果関係を成立させることも非常に困難だと私は推測するので、個人的な結論を誤解を恐れず述べるならば「ポリコレは趣味」であり、それはこの記事の中で述べている私の意見も例外ではない。別に訴訟したりもせず、市民からの政策立案なども提言していないこの記事は「ぼくはそれをイヤだなぁと思いました」程度の趣味の作文でしかないのである。つまり「イヤなら見なけりゃいいじゃん」という意見に対して私は何も反論できないし、今のところ反論するほどの気力もありません。あしからず。

 *7あらすじ:脚注まで読み込んでいるそこのあなたなら既にあらすじなどご存じのことかと思うが、あえてここであらすじを書くと、
 ニューヨーク・ブルックリンで嫌味な上司がいる会社から配管工として独立起業してなけなしの資金でテレビCMまで打ち出したマリオ・ルイージ兄弟は、配管工事で手柄を立てるべく地下の排水溝を探索していたところ、謎の土管に吸い込まれ、辿り着いた異世界でマリオはキノピオに拾われ、ルイージはクッパの手下であるヘイホーに捕まってしまう。その異世界ではクッパがペンギンから奪ったスーパースターの力をちらつかせながらキノコ王国に向かう。ピーチはマリオと共にクッパに対抗すべく「いろいろあって」ドンキーコング始めジャングルエリアの面々の力も借りながら世界を駆け回り、「いろいろあって」ニューヨークでマリオとルイージがクッパと戦うことになってスーパースターの力を使ってクッパを倒し、嫌味な上司にも褒められ、独立に反対していた父親とも若いし、兄弟の絆を確かめ合うのでした。
 といった感じです。この映画の一番面白いところはあらすじとは全く関係ない「いろいろあって」の部分だと思うので、読んでいただいて大変申し訳ないのですが、この脚注で書いたあらすじでは映画の魅力は1ミリも伝わらないと思います。でもここを読んでるような人はみんなもう映画見たから知ってるよね。

 *8ルイージマンションシリーズ:マリオと一緒に出たり助けられたりしたことはあっても主人公にはなれず、任天堂のゲストキャラが多数集まる「大乱闘スマッシュブラザーズ(以下、スマブラ)」でも「永遠の二番手」と紹介されていたルイージが、なんと主人公で活躍するゲーム、それが「ルイージマンション」。最新作はNintendo Switch対応ソフトの「ルイージマンション3」。
 もともとはマリオの色違いでしかなかったルイージがマリオと明確に性能面で差別化され個性が出始めたのは「スーパーマリオブラザーズ2」から。マリオに比べてジャンプがよりゆっくりで高くなり、また走った後のブレーキが効きづらい、といった特徴は、ルイージがマリオと一緒に登場する作品においてたびたび受け継がれている。一方でルイージが単独主人公として活躍する「ルイージマンション」では、それまでの横スクロール2D平面や3D空間をジャンプで飛び回るマリオとはゲーム性が全く異なり、ルイージは掃除機型のオバケ退治マシーン「オバキューム」と懐中電灯型のライトを持って、オバケに怯えながらも、マリオや仲間を助けるために果敢に立ち向かう。ルイージが照らすライトはオバケの弱点であり、ルイージが前方をライトで照らす姿は主人公としてのルイージのトレードマークであり、そのイメージは映画マリオの中でもたびたび登場する。単なる脇役ではないのである。

 *9ピーチ姫のアクション:ピーチ姫がゲーム内で使用できるようになったのは、ファミリーコンピューター対応ソフト「スーパーマリオUSA(以下、マリオUSA)」が最初。実はピーチ姫も、彼女が主人公の「スーパープリンセスピーチ」というゲームが、かつてゲームボーイアドバンス対応ソフトとして発売されているのだが、「マリオUSA」含め、ピーチ姫のゲーム内でのアクションはスカートやパラソルでふわふわしたりと、割とお淑やかに動く。ピーチ姫がマリオやピカチュウその他ゲームキャラクターとバチバチの肉弾戦を繰り広げる「スマブラ」でも、どちらかというと女性らしい仕草で攻撃する(ビンタとか)ことが多いので、映画スクリーンの中で所狭しと活発に動き回るピーチ姫は、これまでのゲーム内に登場するピーチ姫とは趣が異なる印象が強い。
 なお、そんなふわふわしたピーチ姫を思うようにゲーム内で動かすのはどのゲームでも大変難しいのだが、ゲームキューブの「スマブラDX」の世界大会でピーチ姫が優勝した、と聞いた時には、高校生の自分含め同級生全員で驚いたものだった(優勝だったか高校生の時だったか、記憶と事実で若干の違いがある可能性あり)。

 *10ドンキーコング周りのキャラ達:スーパーファミコン対応ソフト「スーパードンキーコング」シリーズで登場したキャラクター達。もともとドンキーコングは、攫った女性を助けに来るマリオにタルを投げつけて邪魔をする敵キャラであったが、「スーパードンキーコング」で主人公となり、タルを投げつけて敵を倒すヒーローとなった。この「スーパードンキーコング」シリーズに出てくるドンキーコング以外のキャラクターも人気が高く、ディディーコング、ディクシーコング、ディンキーコングといった主人公達が、映画マリオの中ではマリオとドンキーコングの対決シーンでチラッと登場する。
 ちなみに、「スーパードンキーコング」シリーズに登場するドンキーコング以外のキャラクターは、開発したレア社のオリジナルキャラクターであり、少し前まで版権をレア社が持っていた関係で任天堂他作品への出演が難しい時期があったが、今は任天堂に版権が移っているとのこと。

 *11ゲームキューブの起動音:まず起動音って何やねんって話なんですが、ゲームボーイでいうところの、電源を入れた時に「NINTENDO」の文字が上からスーッと降りてきて「ピコーン」って特徴的な音が鳴る、アレです。ファミコンとかスーファミとかニンテンドー64には起動音はなかったんですが、SONYの初代PlayStation(以下、プレステ)って電源を入れた時にちょっとしたサウンドロゴみたいなのが流れたんですよね。多分それもwindows95あたりの起動音の影響かなと思うんですけど、そこからプレステ、セガサターン、プレステ2、ドリームキャスト、ニンテンドーゲームキューブと、「ゲーム機の起動にはサウンドロゴがあって当然」みたいな一時代が形成されていましたが、時代の流れでいつの間にかなくなっていた。というのも、特にプレステ2あたりから、ゲーム機を起動してからゲームソフトを遊べるようになるまでの時間が異様に長くなる傾向にあった(ゲーム機本体起動のサウンドロゴ→ゲームソフト起動時の権利関係のロゴ表示→ゲームソフトのデータをナウローディング→やっとタイトル画面でニューゲームを選択→オープニングムービー…で、僕はいつ操作できるんですか?という事態が頻発していた)ため、ゲーム業界全体として「ユーザーが欲しいのはドリルではなく1秒でも早いプレイ体験なんだ」という認識が改めて出てきて、最近の最新ゲーム機では、起動してもいちいちサウンドロゴは鳴らなくなり、我々は少し前に比べると速やかなゲーム体験を得られるようになりました。ただ、やはりその時代のゲーム体験をしてきた人にとっては、ゲーム機の起動画面というのはそれこそ何百回何千回と見ているものであり、振り返れば懐かしい、非常にノスタルジーを刺激されるものになっているわけです。
 で、ゲームキューブの起動音というのはまさしくそういうもので、当時のプレイヤーにとっては非常に懐かしく感じられるわけですが、実はゲームキューブの起動音は3種類あります。普通に起動すると通常の起動音なのですが、起動時にコントローラーのZボタンを押し続けるとおもちゃの音や子供の笑い声が入ったような起動音になり、コントローラーを4つ繋いで全てのコントローラーでZボタンを押すと「イヨォ〜ッ」と歌舞伎調の声が入った起動音になる。実はこの脚注を書くために調べるまで自分は起動音は2種類しかないと思っており、しかも映画内で流れた起動音がZボタンを押した時に流れるものだと勘違いしてこの記事本文に間違った記載をしていたため、こっそり本文を訂正しました。

 *12ドンキーコングのスマブラのモーション:映画内で出てきた中で自分が気付いたのは横スマッシュ(前方で両手をバチンと合わせて攻撃するヤツ)。他にもあっただろうか。あと俺がスマブラからの引用と思い込んでるだけで、もしかするとドンキーコングの横スマッシュ自体に何か別の元ネタがあるのかもしれない。

 *13直線ドリフト:「マリオカート」シリーズに出てくるテクニック。「マリオカート」シリーズでは、「カーブに突っ込む前にジャンプしながらハンドルを切るとタイヤが滑ってドリフトする」という仕様があり、うまくハンドル操作してこのドリフトを一定時間維持した後に直線走行に戻ると「ミニターボ」が発動して加速する。この仕組みのおかげで「マリオカート」は積極的にドリフトするゲーム性になっており、滑るタイヤから出る火花の演出で画面の見栄えを良くしたりドリフト音で耳を刺激したりで、ゲームを賑やかにするのに一役買っている。
 で、上記の通り、普通はドリフトするのはコーナーに入る時、のわけですが、ドリフト後に加速するミニターボを利用するために、コーナーに限らずコースの至る所で無理矢理曲がることでドリフトを駆使してミニターボを発動させまくるテクニックが存在し、それをコースの直線部分で行うことを「直線ドリフト」略して「直ドリ」と呼ぶ。非常に難しいテクニックであり、ある程度はハンドルを切る必要が出てくるため細い直線部分ではできず、また映画に出てきたレインボーロードはゲーム内だとコースから外れたら落下ペナルティが発生し大きく遅れてしまうため非常に大きなリスクを伴うのですが、映画内のマリオは初っ端から直線ドリフトをかましてました。頭がどうかしてる。クレイジーだぜ。

 *14『トロン』:1982年公開のディズニー映画。世界で初めてコンピューターグラフィックスを全面的に導入した映画として有名で、実写とアニメをうまく融合させた映画といった感じ。その中で特に印象深いのが、電子空間内で「ライトサイクル」というバイクに乗って走るシーン。メタ的な視点で言えば、ライトサイクルでやっていることは古くからある電子ゲーム「ヘビゲーム」(長い体を持つ自身の頭を壁にぶつからないように操作するが、曲がる方向を間違えると自分の体にぶつかって自滅してしまう、というゲーム。対人戦もでき、その場合は頭が相手の体にぶつかってもダメで、逆に相手の頭を自分の体にぶつけさせるために動きを考える必要がある)で、それをヘビをバイクにしてカッコよくデザインして、ゲーム内のバイク視点で見るとこうなる、って感じなんですが、光の尾を引くバイクが無限の電子空間を高速で疾走するシーンがとにかくカッコいい。『トロン』公開時には自分はまだ産まれてもいませんが、10代の頃に自分が見てもライトサイクルはやっぱりカッコよかったし、公開当時に見た人にとっては殊更カッコよく映ったのではないか。今になって見たらやっぱり古く感じるのかなぁ。
 2010年には『トロン:レガシー』という続編が公開されており、そちらはフランスの著名な電子音楽アーティストであるダフト・パンクがBGMを担当している。映画は見てないけどサントラは買いました。
 また、ゲームコミュニティにおいては、ディズニーキャラクターが多数登場するスクウェアエニックスのゲーム「キングダムハーツ2」に『トロン』の世界が登場し、ミニゲームとしてライトサイクルも出てくる…ハズなんだが、プレイしたのにあまり記憶にない。

 *15『マッドマックス 怒りのデス・ロード』:2015年公開の実写映画。え、もう8年前?マジで?
 原題は『Mad Max: Fury Road』なのでタイトルのどこにもデス要素はないんだが、なぜか日本語タイトルにはデスの2文字が入っている。いや、なぜかというか、実際の映画の内容としては、トゲやらヤリやらドデカいスピーカーやらをつけまくったイカれたデザインの装甲車たちが砂漠を縦横無尽に走り回り壊し壊されしていくので、そういう意味ではデス要素満載であり、日本語タイトルはそれからイメージされるものが映画内容とほぼ変わりないという点で秀逸と言わざるを得ない。
 この映画が公開されて以降、クレイジーなデザインのパワータイプの車が登場するゲームやアニメや映画が増えた気がする。そりゃそうだよな、見てて楽しいもんな。作ってる人も変な車出したいよな。

 *16『アナと雪の女王』:2013年公開の、ディズニーによる3Dアニメ映画。例によって、ゲーム「キングダムハーツ3」にも、その世界とキャラクターが登場する。
 実は私はアナ雪を見てもいなければ「キングダムハーツ3」もやっていないため何も知らないに等しいんですが、青いドレスを着たまま戦う女性の姿は多くの女の子を勇気づけた、と風の噂で聞いております。それはまさしく、映画マリオの中でアイスフラワーの力を駆使して仲間を救おうとしたピーチ姫と重なるのではありませんか。
 まぁでも日本ではその20年前からセーラー服を着たセーラー戦士が怪人を殴る蹴るでボコボコにしてたし、その後もプリキュアが無限にその数を増やしながら頑張ってくれてるし、殊更に日本でのアナ雪の影響を語る必要もないと思います。

 *17ドンキーコングの旧テレビアニメでのキャラクター:1999年〜2000年にテレビ東京系で放送されていたフル3Dアニメ。3Dアニメの黎明期であり、当然細部の表現などは現在と比べると雲泥の差なのだが、そもそもゲームの「スーパードンキーコング」に出てくるドンキーコングがそんなにリアルでない3D調だし、ゲーム内でのアクションの幅もそんなにあるわけではないので、ちょうどドンキーコングがゲームからアニメに出てきて感情表現豊かによく動く、くらいの再現性になっていた。今調べたら全話youtubeで公開されていた。多分違法アップロードとかではないと思う。なお、「旧テレビアニメ」と自分は書いているが、別に新テレビアニメがあるわけではなく、単にアニメが放送された時期が随分前なのでそのように書いています。
 ゲーム内のドンキーコングはセリフがないので、寡黙で何を考えてるかよくわからん、くらいのキャラクターだったが、アニメのドンキーコングは陽気でお調子者で力持ち、お人好しでちょっとオツムが弱い、と大変賑やかな性格付けがなされている。映画マリオのドンキーコングの性格もこれを踏襲しているのではないかな。

 *18ニューヨーク:「オデッセイ」でニューヨークをモチーフにしたニュードンクシティという街が登場するのに、何故わざわざ映画でニューヨークを舞台にしたのか、は疑問の残るところ。

 *1980年代アメリカンポップス:挿入歌は他にもいろいろあったみたいですが、自分が映画マリオを見てて「うわっ…」って思ったのは、
ビースティー・ボーイズ「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン(No Sleep till Brooklyn)」
ボニー・タイラー「ホールディング・アウト・フォー・ア・ヒーロー(Holding Out for a Hero)」
A-Ha「テイク・オン・ミー(Take On Me)」
の3曲。当時ゲームやってた人、ホンマにこんなん聞いてたんか?80'sポップスを聴きながらキラキラした人生を送ってたジョック連中がファミコンのゲームでストレスを解消していたとは思えんのですが。
ちなみにA-Haのテイク・オン・ミーはアメリカでのファミコンに当たるNintendo Entertainment System(通常NES)の発売日に全米シングルチャート1位だったそうです。知らんがな。

 *20クッパがピーチを攫う理由:クッパが登場する作品は多数あるが、ここではメインストリームであるマリオが主人公のジャンプアクションのみ取り扱い、RPG作品等の外伝には触れないでおく。
 まずクッパ初登場の「スーパーマリオブラザーズ」では、キノコ王国を侵略しピーチ姫を攫った、となっているので、人質と捉えるのが妥当か。
 「スーパーマリオブラザーズ2」は「1」のパラレルワールド説と「1」のマリオへの復讐説があるようだ。
 「スーパーマリオブラザーズ3」はキノコ王国だけでなくいろんな国を侵略しマリオが攻略していくその過程でピーチを攫ったとのことなので、マリオに追い込まれた結果やはり人質としてピーチを攫ったと考えられる。
 「スーパーマリオワールド」ではヨッシーが住むヨースター島でのバカンス中にヨッシーと一緒に攫われているようだ。詳細不明だが、ピーチが身を挺してヨッシーを守ろうとした結果、という推測もできる。
 「スーパーマリオ64」ではパワースターのためにピーチ城まるごとクッパが奪ってしまうので、ピーチはついでである。
 「サンシャイン」あたりから少し傾向が変わり、クッパは自分の息子の母親代わりに、とピーチを攫うが、当の息子は家族がマリオに受けた仕打ちへの復讐としてピーチを人質にとっていると自覚していたようなので、実質的には人質である。が、クッパのスタンスには変化が見られる。
 「スーパーマリオギャラクシー(以下、ギャラクシー)」では完全に「銀河征服してピーチと暮らす」のを目的として掲げており、これはもう子作りを視野に入れているとしか思えない。
 「スーパーマリオギャラクシー2」では、ピーチ姫のケーキが食べたくてピーチを攫ったとのこと。いや、なんかこう…うん、ケーキね、おいしいよね。
 そして「スーパーマリオオデッセイ」にて、ピーチ姫と結婚式を挙げる目的でピーチを攫い、結婚式の衣装や調度品を入手するために各地を襲う、という暴挙に出てしまう。
 こうやって振り返ってみると、暴力以外の要素でクッパのキャラを立てようとして「サンシャイン」あたりでややおかしくなり、「ギャラクシー」や「オデッセイ」でいよいよ性欲大魔王、夜のクッパおじさんに変化してしまったと見受けられる。力こそジャスティスの頃のクッパになんとかして方向修正してくれないかなぁ。

 *21ナード:nerd。学校内におけるヒエラルキーの階層の一部を指す英単語。日本語で言うところの「陰キャ」。対義語としてjock(体育会系男子)、queen bee(強くて綺麗なギャル)があり、またその中間層を表す言葉として様々なものがあるが、詳しくは割愛する。

 *22コンプレックス:もちろん私はnerdであり、ポップスなど聞くことはなく、学生時代はゲームのサントラとハードロックばかり聞いて過ごしていました。ポップスを聞いてるヤツは敵。

 *23ネコマリオ:WiiU対応ソフト「スーパーマリオ3Dワールド」で初登場した、マリオのパワーアップ形態の一つ。性能としては、通常マリオではできない前方範囲攻撃として引っ掻き攻撃が使えるようになる他、壁に爪を引っ掛けて登ることでより高い場所へ移動できるようになったり、また空中で引っ掻くことで斜め下へ等速直線移動するため、加速落下する通常ジャンプよりも移動距離を伸ばすことが可能。一方でネコマリオの外見としては「髭のおっさんがネコの着ぐるみを着て招き猫のポーズをしている」としか形容のしようがなく、電車の中で見かけたら間違いなく車掌に相談する程度に不審である。
 マリオシリーズではそれぞれの作品でパッケージイラストを飾るようなギミックやパワーアップ形態が登場するのが通例で、ネコマリオが今作での顔となっている。どうにも何かに媚びているような印象が拭い切れないのだが、何に媚びているのかは私にもわからない。
 そういったパッケージを飾るパワーアップ形態としては、
・「スーパーマリオブラザーズ3」のしっぽマリオ
・「スーパーマリオワールド」のマントマリオ
・「スーパーマリオ64」の羽根マリオ
などがある。
 その他作品では、「サンシャイン」はポンプ、「ギャラクシー」は星間移動、「オデッセイ」は帽子といったギミック要素がパッケージで強調されている。

 *24ニャニャニャ!ネコマリオタイム:Nintendo Switchを起動すると、左の方のゲームニュース欄によく見受けられた謎の文字列。というのはニャニャニャ!ネコマリオタイムというものをクリックして見たことがない俺視点の話で、実際はネコマリオがマリオシリーズのキャラクターたちとかけいあいを交えてゲームソフトを紹介する動画番組、だったらしい。2022年を最後に更新が途絶えており、事実上の終了になっているようである。

 *25タヌキマリオ:「スーパーマリオブラザーズ3」初出のパワーアップ形態。どうやら公式では「たぬきマリオ」ではなくカタカナで「タヌキマリオ」のようだ。同作においてはしっぽマリオの上位互換という位置付けであり、しっぽマリオになれる木の葉は割とどのステージでも入手できるのに対して、タヌキマリオになれるタヌキスーツはなかなか入手できないレアアイテムとなっている。しっぽマリオと同様にしっぽで敵を攻撃したり、空を飛んだり、ゆっくり落下したりする能力に加えて、一時的に地蔵に変身する能力を有している。地蔵に変身している間は敵をすり抜ける無敵状態になることができるが、地蔵状態では動くことができず敵を倒せない。敵と重なっている時に時間経過で地蔵が自動的に解除されてしまうとそのままダメージを受けて貴重なタヌキスーツが剥がされてしまうため、地蔵の使いどころはなかなか難しい。
 「スーパーマリオブラザーズ3」以降はなかなか登場していなかったが、近年になってたびたび登場し、近作「スーパーマリオ3Dワールド+フューリーワールド」ではパワーアップアイテムの木の葉を取得することでしっぽマリオではなくタヌキマリオになることができる。が、能力としては地蔵に変身する能力が失われており、実際には旧作のしっぽマリオと同等の性能である。また、地蔵に変身する能力は、タヌキではなく同作のネコマリオの上位互換である、まねきネコマリオに受け継がれている。
 日本ではタヌキという動物は馴染み深く、化けて人里に出たりといったタヌキならではの不思議エピソードも多数存在するが、欧米ではアライグマは存在すれどタヌキというものはなかなか見慣れないもののようである。そういう意味では「欧米から見たタヌキマリオというのはかなり神秘性が高いのではないか」という説が囁かれているのを見かけた。日本でもキツネのお面とかは何となく神秘性がある気がするが、タヌキとなると実際どうなんだろうか。

 *26カエルマリオ:「スーパーマリオブラザーズ3」のみに登場する、カエルスーツを着たマリオ。タヌキスーツと同様カエルスーツも結構なレアアイテムであるが、いかんせんカエルマリオの性能が水中移動に特化しており、地上でのカエルマリオは普通に歩くことができなくなるため連続でジャンプしないとロクに進めない、というデメリットがあり、かなり扱いにくい。

 *27羽根マリオ:「マリオ64」で登場したパワーアップ形態。正式な表記は「はねマリオ」のようだが、当記事内では読みやすさの観点から「羽根マリオ」の表記としている。
 パワースターを10枚入手すると行けるようになる「はばたけ!はねスイッチへ」というステージにある赤いスイッチを押せば、「マリオ64」の各所にある半透明の赤ブロックが実体化し使えるようになる。赤ブロックを叩くと出現する羽根帽子を取得すると、一定時間マリオの帽子に羽根が生え、その状態で3段ジャンプ(走りながら連続して3回ジャンプすると発生する特殊なジャンプ)することによって飛行シーケンスに移行することができる。飛行中は旋回や急降下が可能だが、高度を下げないと加速することができず、高度を上げると減速するため、基本的には飛行を開始した高度より上には到達することができない。そういった意味では完全に自由に動けるというわけではないのだが、逆に言えば、飛行開始地点より低い高度の3D空間内はほぼ自由に動くことができる。
 マリオシリーズにおいて空中を移動できるギミックや能力は他にもあるが、羽根マリオほどには自由に空中を動けず、せいぜい滑空(「3Dワールド」のタヌキマリオ)とか、垂直や水平方向に加速(「サンシャイン」のロケットノズル、ターボノズル)する程度である。そういう意味では、マグナムキラーから飛んで逃げる映画内でのマリオの挙動は、ゲーム内の仕様に照らし合わせればタヌキマリオでは実現できない動きであり、羽根マリオであれば違和感はないのだが…ゲーム内と映画内の表現をそこまで擦り合わせる必要があるかと言われると、特にそういうわけでもない。
 「マリオ64」では他にも、メタルマリオや透明マリオといった、制限時間のあるパワーアップ能力があり、代わりにスーパーキノコやファイアフラワーといった従来のパワーアップアイテムはなくなっている。メタルマリオはその重さで水の底のスイッチを押せるようになったりといったギミック以上に無敵になって走り回れるという、従来のスターに近い強化要素があるのだが、透明マリオは「一部の金網をすり抜けられるようになる」という地味な効果しかなく、マリオシリーズ内でも影が薄い。透明だけに。

 *28カタルシス:「浄化」を意味する哲学・心理学用語。語源は古代ギリシア語に由来し、アリストテレスが著書の中で「人はなぜ悲劇を見るのか?→悲劇を見て感情を呼び起こすことで浄化される(=カタルシスを得る)から」といった演劇論の中で言及したことに始まる。近代における精神分析学の父フロイトもカタルシスという言葉を使用したが、そこでは「代償行為によって得られる満足」といった意味合いになっており、本文で私が用いたのはこちらの意味。

 *29兄弟の絆:いや、大事だと思うんですよ、兄弟の絆。しかしこう、いろいろと思うところがあって、例えば法律上は「親と子」は直系の繋がりということで一番近い「一親等」という扱いになるんですけど、「兄弟姉妹」は親を介して間接的に繋がっている「二親等」という扱いなんですよ。親子の絆より兄弟の絆の方がナチュラルに強い、あるいは同等の強さがある、って言えるものなんだろうか。いや、兄弟の絆は親子の絆に比べて弱いからこそ大事にしないといけない、みたいな話なのかもしれませんけどね。私にも2つ上の姉と4つ下の弟がおり、今のところ関係性は良好なのですが、将来的にはどうか、例えば関係性が悪化した時に親子と兄弟どちらを優先するかと言うと、まぁもちろん自分の子供の方が優先されるのは当然として、親と兄弟っていうとどうかなぁ、自分は長男だしもろもろのめんどくささとかを考えるとやっぱり兄弟より親との関係性の維持を優先してしまうのかなぁ、などと思ってしまいます。うちの息子と娘もいつまで仲良くできるかわからないし、仲良くする必要があるのかどうかもわからない。できれば仲良くあって欲しいとは思うものの、いうて兄妹なんて他人なわけで、そんなのはただの親のわがままでしかないのかもなぁ。
 そういえばヒーローが肉親でユニットを組む時はだいたい兄弟姉妹のことが多くて、親子でユニットを組むことはあまり多くない印象です。現実だと音楽活動とかも兄弟姉妹でやってるのはあっても、親子ってのは少ない気がしますが、例えば肉親で形成された犯罪組織だと親子の方が多い印象。あくまで印象ですよ。ただそうすると親子関係っていうのは基本的に反社会的活動というか、社会から独立した何かをする時に優先されるものであって、社会にコミットしようと思うと兄弟姉妹で組んだ方がいい、みたいな傾向というかルールというか、そんな要素も見え隠れする気がします。親子ヒーローはアウトローな感じですね。社会は親子をそれぞれ独立させようとするのに、何らかの理由や要因がそれを拒絶している、ってことなんでしょうか。例えば親の性格がクソ悪かったり、子供側が親に一般的な親子関係以上に依存していたり。でも子供が親に依存するとすればそもそもその理由に親が関わってるはずだから、根本的には親の責任ってことになるのかな。ここでいう社会って何だろう。経済社会かな。ムラ社会かな。考えることにキリがないしこのままだと別の記事になってしまうので、またの機会があれば別に書きましょう。

 *30品性に欠ける:品性って何ですか。それは本当に必要なものなんですか。いやー書いた自分が言うのもアレなんですけど、品性って何なんでしょう、どうなんでしょう。例えば「マズいケーキを食べてる人が苦しんでるのを見て幸せになる」というのは品性に欠ける気がしますし、反対に「美味しいケーキを食べて幸せになる」のは、この文脈で言えば品があると言っても差し支えない気がします。それで言えば「みんなで一緒に幸せになろうとする努力」が「品性」の正体なのかなぁ。で、それが必要かどうかって言われると、うーんって感じにまたなってしまうんですけど、少なくとも俺の不幸を喜ぶような人の存在を俺自身が許容してはいけないと思うし、同様に自分含めたみんなが自身を不幸にする要素を極力排除していくようにすると、最後に大切になるのは上記の意味での「品性」なのではないか、って話に、なりますか、なりませんか。どうでしょうか。


以上、全ての脚注が終わりました。ここまで読む人なんて本当にいるんですか?読んだ人は今度俺と出会った時に出会い頭に「うんち」って言ってみてください。それを言われた頃には、こんなのを書いたことを俺自身が忘れて「はぁ?何がうんちやねんキモ」って言うと思います。ここまで読んでいただきありがとうございました。

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