絶賛、ペットロス中。

先週の金曜、2021年9月3日の午後、愛する娘、うらんが息を引き取りました。
14歳と7ヶ月。

私は在宅勤務で、隣の部屋でヘッドフォンをしてミーティングに臨んでいました。
ミーティングが終わって部屋から出た時に、夫が「うらんが息をしていない」と言いました。
慌てて抱き上げると、まだ少し温かいものの、完全に「ここにはいない」というのが分かりました。
ひとりで死なせてしまった。
うらんの耳はピンと伸びていて、私の声を聴いていたんだろうね。

それから、中野区にある、哲学堂動物霊園にお電話をして、葬儀の手配をし、まだ仕事が残ってたので、心ここにあらずで18時まで過ごし、実家の母や姉にうらんのことを伝えました。

夫が駅前の花屋さんに行って、ひまわりを買ってきてくれました。
うらんの血統書上の名前は「ダンデライオン」。
ひまわりです。
そこにお花屋さんのおばさんが、ピンクのバラを持たせて下さったので、眠るうらんの隣にお供えしました。

主人がお花を買いに行ってくれている間に、うらんの体を拭いて、爪を切ってあげました。
爪切りが大嫌いなうらん。
サロンで切ってもらっていた時は、トリマーさんお二人と、私たち夫婦の4人がかりで切っていました。
でないと暴れてけが人が出るので。
そのサロンのホームページに「凶暴なわんちゃんはお断りさせていただきます」の記載が出てからは、私か主人が、騙し騙し切っていましたが、こんなにスムーズに切らせてくれるのが、最後の爪切りになるとは。

その日はそれほど泣いたりしませんでしたが、夜になって、だんだん色んなことが怖く、悲しくなりました。
うらんのいない、今後の生活の想像ができない。
最初の家で3年、今の家に引っ越して11年余。
リビングにはいつもうらんがいて、私は思ったよりもうらんとアイコンタクトして生活していたんだな、と思い知らされました。
ごはんをあげたり、シーツを替えたり、そういう当たり前のことを、もうしてあげられないこと。
大きく変わってしまうだろう日々の生活に、恐怖を感じました。

うらんのいるリビングのソファで眠りましたが、どうにも寝つけず、ぼーっとする時間があると色々考えてしまうので、目が覚めては動画を観て気を紛らわし、そのうちうとうとしては目が覚めて動画を観る、の繰り返し。
そのまま朝になりました。

斎場へ向かうため、家を出る時に「ここがあなたのお家。ママとパパとうらんのおうちだから、見ていこうね。」と言って、主人の部屋、洗面所、お風呂場、私の部屋、ベランダを見せてあげて、同居のグッピーたちに「行ってきます」を言って家を出ました。

哲学堂動物霊園までの車の中で、うらんを抱きしめながら、それまでそれほど泣かなかったのに、急に込み上げてきて、うらんの顔に涙がかかっても泣き続けました。

斎場でお別れをしました。
ぬいぐるみなどは一緒に連れて行けないけど、お花は少しだけ持たせても良いとのことだったので、ひまわりを抱っこさせてもらって、旅立って行ったのが、最後に見た、うらんの姿でした。
私はうらんが見えなくなるまで、何度も「うらーん、うらーん」と名前を呼びました。
ひまわりを抱いて眠る姿は本当に愛らしかった。

イタリアングレーハウンドは元々痩せた犬ですが、亡くなる前は3キロ以下だっただろうな。
健康な成犬であれば、5キロほど。
皮膚の下の骨が分かるほど痩せていて、お骨になったうらんは、「あー、ここがあそこの骨か」と、わかる感じでした。
それでも私の口から出た言葉は「これ、本当にうらん?」でした。
だって、さっきまで抱っこしていたあのうらんだとは、信じられませんでした。 信じたくありませんでした。

お骨を骨壷に入れてもらい、お線香をあげて、いくつか供養の手続きをし、哲学堂を後にしました。

本当に手のかからない子で、うらんは全て完璧なタイミングで旅立ちました。
本来、私は土曜日は終日、スピリチュアルカウンセラーとしてカウンセリングルームに出ているのですが、その日はお休み。
平日こそ在宅勤務ですが、仕事内容的になかなか休みずらく、日曜日も勉強会と、忙しくしていますが、勉強会のない週でした。
おかげで全てのことをスムーズに成し遂げることができました。

亡くなる前日の朝、最後に自分の力でケージから出てきて、ごはんを待ってるうらん。
催促をしてくれましたが、でももうほとんど食べられませんでした。

かわいいと思わなかった日は、14年間、1日もありませんでした。

私たちの元にやって来てくれて、本当にありがとう。

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