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ついに明日

明日、ついにその日がやってくる。後楽園ホールで行われるキング・オブ・DDT2024準決勝・決勝戦。クリスは2連覇、そして史上初の外国人2連覇のチャンスを手にしている。去年は、すごく自信があった。自分の時間だった。今年は、優勝する自信に変わりはないけれど、自分のプレーの他の部分に疑問を感じている。

佐々木は、私は面白いチャンピオンではなかったと公言している。KO-Dオープン級王座を保持していた頃を振り返って、本当にインパクトを残せたと言えるのだろうか?退屈だったのかもしれない。日本語で自分の気持ちを自信を持って伝えられないから、冷たくて面白くないのかもしれない。そんな外国人に日本のプロレス界は務まらないのかもしれない。

今、MAOはDDTに革命を起こせるのは自分の勝利だけだとも主張している。親友の一人だと思っているMAOにとっても、今存在するクリス・ブルックスはDDTに何も残されていないというのが彼の意見なのだろうか......。まあ、MAOのことだから、彼の頭は空っぽで儚い。ほとんど何も考えずに発言していると思うので、自信と思い上がりかもしれないし、正しい部分もあるのかもしれない。つまらないチャンピオンだったのかもしれない。DDTに提供するものは何もないのかもしれない。

私は普段、自分自身を最も厳しく批判していると思うし、もちろんKO-Dオープン級王座を保持していた時期には、みんなの期待に応えなければならないというプレッシャーを感じていた。にもかかわらず、他人が何と言おうと、私はKO-Dオープン級王者であったことを心から誇りに思う。両国のリングに立ったとき、私はたくさんの笑顔、泣き顔、幸せそうな顔を見た。ファンの皆さんも、仲間のレスラーたちも。その瞬間、自分がおもしろくないとか、元気がないとか、そんなことは感じなかった。

入江と対戦したとき、頭突きを食らって仰向けになり、リング上の巨大なスポットライトを見つめたことがあった。メロドラマ的と思われるかもしれないが、「ここで死ぬかもしれない」と思ったことを覚えている。あの瞬間は本当にそう思ったが、あのベルトのために死ねるのは幸せだった。それくらい私にとって意味のあるものだった。

続いて赤井との試合。KO-Dオープン級王座奪取への最初で最後のチャンス。それも誇らしく感じた。僕らにしかできない試合、DDTでしかできない試合ができたと思う。年齢も性別も何もかも、プロレスに国境はないということを示したと思う。

そして、最後に両国大会で上野に負けたこと。あそこでも記憶に残るものを作れたと思います。私たちが見せたものは、人々を感動させたと思います。愛が憎しみと同じくらい、いや、憎しみよりも強い感情であり得ることを示したんだ。

リングの外でもポスターツアーをしたり、チャンピオン時代には地上レベルで会社を宣伝することに全力を尽くした。私は目立つためにベストを尽くそうとした。会社から華やかなインタビュー場所を提供されても、私はそれを断り、いつもスタッフやお客さんに支えられ、応援されるバーでインタビューすることを選んだ。私の試合前VTRはゴールデン街のHOD、新宿のえびす講、両国国技館すぐの路上で缶ビールと公園のベンチで行われた。私はあなたが理解し、感じることのできるチャンピオンになりたかったのです。

退屈だった?私って刺激に欠ける?DDTに提供するものは本当に何も残っていないのだろうか?もしその主張が本当なら、私に何が残されているのだろう?私は、かつて偉大さを味わったものの、停滞し、不満足に陥ってしまった人間にはなりたくない。機械の単なる歯車になることほど、感動に欠けることはない。昨日トイレの個室に入ったら、DDTのポスターが貼ってあった。私は目立つように描かれていたが、それは珍しいことではない。実際、それが普通になっている。大好きで尊敬している会社の重要な一部となる道を見つけたことに喜びを感じたが......

本当に深い内省の時なのだろう。世論調査を見れば、今年は観客が全勝優勝を応援するお気に入りの選手がいることは明らかで、昨年と違って今回は私ではない。

それでいいのだ。昨年は不安から、人々の応援に煽られて全勝する道を歩んでしまった。今、人々の応援が重要でないわけではないが、本当に今ある戦争は、人々が私を除いてくれると感じるかどうかではなく、自分自身との戦争なのだ。自分自身の不安、失敗、失望との戦いだ。鏡を見て、「自分には何も残っていないのか?」と問いかけ、もし残っていないとしたら、次はどうするのか?

明日は、今考えている質問の答えが見つかることを期待している。それではまた次回。

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