三浦綾子さんの世間への影響力
三浦綾子さんの秘書だった宮嶋裕子さんの講演会が、5月27日、大阪クリスチャンセンターであって、そこに出席した。
大阪講演会代表の、高原幸男牧師(日本ミッション)があいさつで、1999年の綾子さん没後から3年目に大阪の牧師が三浦綾子読書会を始め、それが全国に広がったことを語った(後で追加 読者の方からご指摘あり、大阪の牧師でなく、長谷川与志充牧師が2001年の7月に三浦綾子読書会を立ち上げたのではないか、とのことです)。
いま大阪で3つしか読書会がないことと、もっと多くの読書会を開いて欲しいことが、今回の講演会を開催した目的だと語った。
大阪にたくさんできた読書会が消滅していき、たった1つ残っていた時機、その読書会の開かれていた教会の牧師・横谷俊一さんが今回、司会を務めた。
正田早苗さんも登壇し、思い出を語った。氷点を読むよう友達に勧められ、綾子さんについて知りたいと思ったのがきっかけでクリスチャンとなり、後日、綾子さん夫妻が住んだ家を牧師館として夫婦で住んだ思い出を語った。
綾子さん夫妻との交流と、綾子さん没後、読書会設立に全国を駆け回った夫の正田眞次牧師をしのんだ。しかし彼が2015年?夭折してのち、宮嶋さんに励まされ、後押しを受けて、綾子さんとその文学について自分も語っていくようになったことを語った。
宮嶋さんは、綾子さんが若き日に国民学校(小学校)教師として教えていたことと、戦後の教育のどちらが正しいか深く悩み、虚無に陥って、そんな中、病を得、そこからキリストに出会って行ったストーリーを改めて語った。
綾子さんが名ストーリーテラーであるが故に、物語を追うことに引き込まれ、細部に秘められた深い描写、深い言葉を見落としがちであることを指摘し、そこも読み解いて欲しいと語った。
病床にある時から、文字通りの意味でのとりなしの祈りを捧げてくれる人たちの祈りに支えられていたのだと語った。
1枚の手紙を書くと3日寝込んでしまうような病状の中から、文によって神を伝えることが始まったことを話した。
大きな出版社から、『道ありき』がたくさん売れて、もっと書いて欲しいと促されて続編、続々編を書き、それが三部作になって、キリストに救われた証しが世に広まったことの意義を語った。
『氷点』の主人公、陽子という名前を付けられた人が全国にたくさんいることを語り、その影響力の大きさを改めて指摘した。
綾子さんは物語に没頭するあまり、男女の関係でも突っ込んで書こうとするのを、光世さんのブレーキが効いて清潔な文章に保たれた、と笑わせた一方、自殺した川端康成氏のことなど挙げ、作家という孤独で多忙な仕事の大変さを祈って支える人々がいたことがどんなに大事だったかと語った。
読書会が始まって、10年の時点で、洗礼に導かれた人が100人に達していたことは確かだと語った。
重篤の中、唯一病室に入ることを許されていた親しい元?朝日新聞旭川支局長が「三浦綾子重篤」とすっぱ抜いてしまい、それが大事となり、一時は恨みに思ったが、多くの読者からの便り、思いが寄せられるところとなり、本人が語っていたように、「死ぬという仕事」のために、それは神の成したもうたことと思い至ったことを語った。
約240人が集い盛況だった。
▲宮嶋さんは、三浦綾子さんに似てサービス精神たっぷりで、講演の結びに独唱を披露した。顎癌で三分の一も取った人が講演するだけでも奇跡的だと主治医に言われたいう。実は大変な痛みと違和感があるというが、全くそれを感じさせなかった
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