GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏物語 『光る君へ』27
夜の石山寺 にて、
(なぜか…独りになってる まひろ。お供のみんなや、他の参詣者ちは…どこに…?
「タイトル」
「偶然」の出会い ( ということ) で、二人は 外へ。
昨年の 地震・大水のこと「あんじておった。」と言う道長。「おやせになりましたね。」とまひろ。 史実資料的には、この頃すでに 道長は体調不良を起こしていた。 政務による過労も加わって。
道長は、「手に余る度毎に まひろに 試されているのや のように思う。」と、あの日の約束に言及。すかさず「私は試したことなどは」と、(甘えたり、試したり…(当時の…)女性にありがちなそんな手口は使わない!ってまひろのキャラで。怒りだす…) リフレイン。「すぐに腹を立てるところは変わらずだな。」と言う道長に「サブローの頃も、怒こること嫌いだと言ってた…。」と思い出すまひろ。
道長が「1度だけ腹を立てたことあった。」と。(道長の言う様に(「妾ではイヤ」に「どうしろと言うのだ!」ってあの時…。) を 思い出した…=) 二人が 別々の 世界に 別れた時のこと。「偉くなられて人の心が読めるようになられた。」と言うまひろに「偉くなったからではない。」と道長。…そう、哀しみを知っているから。という人物設定で。
「 越前守に苦労かけておる。」という道長に「朝廷の(あなた様の)お仕事大変さを越前で知りました。」と。ねぎらいも。
『宋』の言葉も学んだ。というまひろ。「昔から賢いと思っておったが。」「もっと話してくれ。」に、越前での思いを漢文で宋の発音で「越前にはうつくしい紙あります。私もいつかあんな美しい紙に歌や物語を書いてみたいてす。」と語る。 これが、後に道長からの「紙」支給に繋がっていくのは間違いなくて。
「おまえは宋に行っていたかも。」と思う道長。「戻って来て良かった。」に、まひろの「えっ」って顔。で、気まずくなり、「供のものと来ています。もう。」と挨拶。道長も「引き留めてすまなかった。」「おすこやかに。」「おまえもな。」と、去って行く。
早足の道長だったが、二人とも…、立ち戻って「ふたりのテーマ」曲で、駆け寄り、がしっと抱き合い、口寄せからの…(やっぱり)一夜を過ごす。
(「お寺で!」という感想多数ネットに。本当に…。) 良縁、縁組み祈願の『石山寺』…当時のようす、実際どうだったのでしょうか。
道長「もう一度オレの側で生きること考えぬか。」って。…無理。
(歴史、学説、研究者や学者さんちの 想像しても言えない大展開…全開で、道長像も、式部の人生も大きく違っていくみたいです。)
山に「桜」満開の春。
帝「なぜ懐妊のこと告げなかったのだ?」と職御曹司にお渡り。
定子は「お喜びくださるとは思えませんでした。子を産むことなど許されないこの身。」と外圧恐れて。「朕がなんとかする。安心して生め。」と。
道長、晴明の「予言」中ってた。と。
実際の「定子」に関しては、「二条」の実家の焼亡、「四脚門さえない」『平生昌』の屋敷に移されたり、そちらへの行啓を邪魔立てされたり、失速する中関白家への酷い扱いが加速していて…。清少納言も(定子の側近からの嫌疑があったのか、一時宮中を出ていたり…も、ドラマではスルーされてココに至る。)
土御門邸に、倫子に召された「赤染衛門」は「姫様にお教え」の係。
倫子は「勉学は要らないわ。「艶」と「明るさ」が欲しい。みんなの注目を集める妃でないと。」と。
(後の「紫式部」抜擢に繋がる話し…。波乱はあるのだろうけど。)
赤染衛門の「嬌態」?指南より、倫子は「花を見て、わーキレイ」と声に出して言ってちょうだいよ。という事なのに。衛門「閨房ノ心得」何度も伝えました。艶を…と仰せだったので。と。倫子は「ケイボウ以外に知恵はないの?」って。
今のまひろの屋敷…は、為時邸の場所のまま…か?
驚くイトさん、宣孝が来る。「11月の加茂の祭」で『人長』を舞う事と「宇佐八幡の詣で」命ぜられたと。「道長様のご推挙。これもまひろのおかげ。」と…。今回のミヤゲは「大和の墨」と「伊勢の紅」…って、「伊勢」と言えば、「白粉」だろうに。…と思いましたが、
『伊勢白粉』は「水銀」から造られた白い粉で、江戸時代の『お伊勢参り』で全国的な名物に。平安時代の伊勢の特産品…ではなかった模様。
あの国宝『源氏物語絵巻』にも「顔」の白さを描くために(化粧に使っていた「水銀白粉」をそのまま絵の具として)使っている部分もある。という事実から、そしてその実物が伊勢に近代まで残り伝わっていたので、「墨と白粉」って黒白対比…も面白かっただろうに、と思ってしまいました。 …でもなぜ「伊勢「名物」が「紅」なのだろう?「文献」に、『伊勢紅』出てくるのだろか。)
まひろは、久しぶりの宣孝、石山寺の一夜に=うしろめたさ…で、いつになく「殊勝」?に。「心を入れ替えました。」と今さら「夫」の人となり認識の心中。
久しぶりもあり、和やかな一時、「憎まれ口もたまにはな。」と、まだ「留守中」のこと知らない宣孝。
まひろ独り、筆をとり「とののくせ」を書く。-睡眠時無呼吸症候群。
そんなある日、イトに「気分がわるいの。」と。「ご懐妊。」なのこれ!って。まひろ~。イトさん指おって「お生まれは師走。という事は、授かったのは2月…。」殿様お見えの遠退いた頃の…。と慌てるイトさん「このこと、黙っておきましょう。」と。
『源氏物語』での同様の「誕生」には、「物の怪のせいで産まれるのが遅れた」とかの言い訳が使われてある。「どうするまひろ」。
宣孝と一緒にごはん。「(持参の)鮎、口にあわぬか。」に、「実は子が出来ました。」と報告するまひろ。「なんと、この歳で。」と喜ぶ宣孝が「いつ?」と聞く。まひろ、正直に!「おそらく暮れに。」と。宣孝はまったく顔色も変えず「豊前におるが、傍についておれんがよい子を生めよ。」と。(都を離れる宣孝。産まれ月…誤魔化せるのに。)
その夜、横で睡眠時無呼吸症候群の宣孝を見ながら「気付いてないはずがない。」とまひろ。外に出て、半月の下。「気付いている夫に、(=桐壺帝だ。そう、『源氏物語』の藤壺の苦悩。) 「あなたの子ではない」というのは「無礼すぎる。」かと言って「黙っている」のも「罪深い」という葛藤。ほんとうに…恐ろしい事であるが、ただ怯えてはいない。
夜中、起きた宣孝のまひろへの優しさに、思い悩みを「殿、お別れしとうごさいます」と(泣き声まじりで)切り出す。「そなたの産む子は、誰の子とてもワシの子だ。」「一緒に育てよう。それで良いではないか。」という宣孝。(「誰の子でも」が効いている。)
「おまえへの思いはそのような事で揺るぎはせぬ。」「おまえを失うよりは良い。」「左大臣さまもますます大事にしてくださるやも」と。超オトナ?対応。いや、本当に「まひろ」全てを愛してるんだ~。「ワシに福を呼ぶ子かもしれぬ。」って、ポジティブ(すぎ)思考。
婚姻の日の「不実 お互いさま。」が「こういうことでもあったのだ。」って「達観」。 ( は、大石さんがこの展開と決目た時に「見とおした」事。という『源氏物語』も含め「物語(論)」という物を織り込んだ…文学の罠に…気付けば、絡め取られているみたい。スゴい(源氏物語と、紫式部と)。
「別れるなど二度ともうすな!」で、微笑みあう。
秋、土御門邸。( の庭の「黄色い花」は何? また下手造りの女郎花か?)
輿入れ前の持参の品準備。
道長『屏風歌』のアイデア。「行成に書かせよう。」って考える間 ( 自体不用で ) おかしい。当代、筆耕は、行成以外居ないだろうに。
故実に聡い実資は「歌は詠まぬ。」と。当時『屏風歌』は「歌人」という職能者の仕事…的な捉え方があり、下級貴族の仕事と考えられていた。親戚でもない上級公卿が「詠歌進上」には抵抗があって「公暁が屏風歌を詠むなど先例なし。」と辞退した。の通例に反して…道長の許に「花山院」からの歌まで。これらの進詠歌は、一条帝へと圧力となる事、道長はわかっていて。
完成した「屏風」を、気になって見に来て「院までもか…」と( 乗り遅れに) シマッタ!な実資 ( 秋山 好演!)
長保元年11月1日 彰子「入内」。
妊婦まひろ、大きなお腹のカット、一瞬。(は…要ったのかな。)
職御曹司、祈祷中。伊周と隆家が「鳴弦」。そうか…「魔除け」に「弓の弦を鳴らす」「蔵人」を使う=召し出せる=公人でない定子なんだ。で、兄弟が担当ね。
の中での出産。無事に皇子誕生。は、彰子入内から6日後。
帝は喜ぶ。
東宮 居貞 親王 は「皇子か」と、「次の帝は自分…」という期待がまた遠退いたかと思う。叔父である道長に「残念だな」と言うが道長は、「姫の入内、意味はございます。傾く帝のお心をお留めしお糺しするのは私の娘以外には出来ない」と明言。
「早く(産まれたばかりの)皇子を皇太子に」と焦る伊周。(バカじゃね…と)隆家に諭される。
「けんかしないで」と定子。
東三条院・詮子、帝に「おめでとう。」「…あたしが手塩にかけてお育てした優れた帝が…」とか言う母に、息子の帝、本音、確執、爆発=思ってきたことブチマケル。「そういう母上が嫌で中宮にのめりこんだ。」んだー!と。これは痛いね。「この母をそういうふうに?」とショックな詮子。=父の操り人形で政の道具だった私の辛さ…を言うが、返して帝「朕は、母上の操り人形でした。父上に愛でられなかった母の慰みものでごさいました。」って…。「(でも、今も ) 母上のお顔を、たてるために 女御の顔を見に行く。」って、その日『女御宣旨』。
夜の儀式ー帝と彰子の「初顔会せ」。公卿参列。
「幼き姫に、このように年寄りですまぬな」って一条帝。(愚帝…か)
一通りの儀式挙式は済ませたものの道長、不安は解消してなくて、「よりによって宣下の日に皇子が生まれるとは。体調も良くないのだ。」と晴明にこぼす。 晴明は「女御さまを、中宮になさいませ」と『中宮』システムの隙を突く発案=『一帝二后』やってしまえば良いのです。と道長に。
まひろ(も)出産。 で、つづく。
にしても、内容の多さ濃さに対して、平安の雅どこ吹く風…なテンポの速さと、驚き隠せぬ展開で、疲れる…夏の夜の夢。(ちょっと悪夢)
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