GENJI*REDISCOVERED  今日の源氏物語    『源氏物語絵巻』25帖『蛍』之一

画像1 『蛍』 蛍のシーズン、いえ「季節」といわなきゃ、も終盤…ですね。「ホタル」には「ゲンジボタル」と「ヘイケボタル」があって、発生時期が少し違うとのこと。夏の初めの一時の自然の光景。と言いつつ…何年、見られてないかな…。光る虫…は、今でも不思議の存在てすが、人工的な光源の少なかったかの時代に、今より存在感がかなり大きかったことでしょう。
画像2 『源氏物語』のズバリ『蛍』帖。当時の5月のお話し。「粗筋」は、自分の娘だと偽って邸内に住まわせている-実は義兄(元)頭中将と「夕顔」と呼ばれる(自分が最期を看取った)女の間の子「玉鬘」の姿を、弟の兵部郷宮に「蛍」の光で見せる企みの光源氏です。誰彼から玉鬘に来る「文」に光源氏は「兵部卿宮」の文にだけ返事を書かせます。
画像3 薄暗くなり始めた殿内、几帳を廻らせた中に「玉鬘」を連れ出して、訪ねて来た兵部卿宮と几帳を挟んで対座させます。その時、光源氏が、几帳の一枚に隠し入れていた「蛍」を放って、パッと明るくなった光で「玉鬘」の顔を露に宮に見てとらせます。袋にしていた垂れを解いた光源氏は、さっさと逃げて部屋から居なくなります。この企み、お付きの女房たちは知らされていたのでしょう。宮の持成しも準備されていて。
画像4 宮は、光源氏に呼び出されて、今日やっと、いよいよ、噂の「玉鬘」に会える…とは思って来ていますが、まさかの「蛍の光」に照らされた姫の姿を目の当たりにする-出来るとは思っても無かったでしょう。『源氏物語』中有名なこの場面、劇的な企み事。…いま現代でも「ライトアップ」とか「電球の装飾」は人目を惹く一大イベントなのですから。夜が暗かった当時、光を操ることは特上の持て成しだったはずです。このエピソードから兵部卿宮は以降「蛍兵部」とも呼ばれます。
画像5 さっさと逃げて居なくなる光源氏。昔から「なんでこんなことするのだろう…」という疑問は言われて来ました。アワヨクバ自分の物にしたい玉鬘を、何故周りの若い者たちの興味の対象にしようしようとするのだろう…と。「蛍の光」演出は、実は当時、少なからず行われていたみたいです。『源氏』以外にも数例、書かれたものが在ります。今よりはたくさん居たのだろうホタルと、その光の利用とか、当時の読者(お話しを聞いた人たち)は、「あ、アレやったんだ…」みたいな感じ。であったかと思われます。
画像6 蛍と一緒に描いてあるのは「立葵」平安時代には中国から既に来ていたようです。華やかな姿。蛍と同時季の花。パッと伸び現れてさっと咲いて消える立葵は、蛍と良い相性です。この部屋を「立葵で飾る」とは出て来ません。ですが…ずっと後の『藤袴』帖で、玉鬘が宮と交わす歌に「光に向かう葵」という言葉が出て来ます。突然のこの「葵」…、中にはこの文字列を「向日葵」と読んで、「ヒマワリ」を「源氏物語の植物」って纏めている本もあったり。几帳の端に「花」を飾るのは「薬玉」の例があります。
画像7 突然の光!に、玉鬘は驚いて、扇で遮ります。…兵部卿宮の視線なのか、輝く蛍の塊…なのか、を。ですが、兵部卿宮の目には美しい玉鬘の横顔が、鮮烈な光景として残ります。この対面で、兵部卿宮はますます玉鬘のことに執心。しかし玉鬘は、つれない対応に済ませます。 玉鬘は「山吹色」のイメージを紫式部から与えられています。夏の設えの部屋の中、たそがれの暗い室内、帳から放たれた瞬間は閃光とも言える輝きだったでしょう蛍の放つ明かりでの光景、ビジュアル的にも見事で素晴らしい紫式部の描く物語です。

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