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GENJI*REDISCOVERED       今日の源氏物語  『光る君へ』28

まひろの赤ちゃんからの第28話。
オムツ替え「私はやってみたいの。」と、乳母アサのはらはらを他所にまひろ。
弟惟規君、赤ちゃんのそこここが「宣孝様に似てるね」と言うが「もうやめて」と遮るまひろ。…そこでの惟規の「無理してないよ別に」と言ったのは? よく判りません。
弟君も宣孝の子でないこと、道長の子どもかも…と気付いている。としたいのか? 何故? どういう意味?の「ふり」台詞なのか。
『源氏物語』にもある「で、どういうこと?」なみたいな書き方、のような展開だけど、こういうのがこの頃ちと鼻につく。大石「台本」ちょっと付いていけてないかなー。
弟君は、過去のサブローとの事…知ってたり、石山寺のこと知らなかったり。で…。
「タイトル」  今回の演出家は  中泉 慧  氏
(大好きな)弟 道長 へ 東三条院 詮子、「スゴいこと考えるようになったわね。」と『一帝二后』案に。
「女御で捨ておかれた私から考えたら、悪い話しではないわ。」と。
それを「文」にして帝へ。と頼まれる詮子。
道長は「女院さまのお言葉に帝はお逆らいになりますまい。」と ( 思っていて、) の 依頼だが、「そうね。」と言う詮子の内心は、過日の一人息子の帝の言葉に悲しさを深める。
その文を見て 帝 に「そなたの考え」と尋ねられた 行成、答えられない。(って…、帝が読まれる前に、蔵人頭 行成は 手紙を読んで=内容を知っているのか?「内覧」に次ぐ「伝達係」だから、中味は見ていて 当然なのでしょうか。) 
帝は「(前例も聞いたことないし…) 妃 を 二人たてるなど受け入れられない」と「定子を…」の一人推し帝。
帝前下がって 行成、道長には「お考え頂けそう。」と。(ここでは)「嘘」を言わなきゃならない 行成…。
土御門 邸第、( 彰子に 帝のお目が留まるように…と、) 女院を訪ねて 倫子「 帝の お好きなものは」とリサーチ。が、詮子は「よく知らない」と。 -そういう親子でした…今更ながら。詮子 は 倫子に「(あなたは)知しっているの?」と素直に 不思議でもあって。 兼家家(詮子)…というか、内裏での皇太子の養育と、家督から遠かった 道長家(と倫子)の 子育ての違いは大きい。に答える倫子 。詮子女院 微笑むが、今更かわいそう。
宮中『藤壺』、彰子の御殿
赤染衛門、渋い色の着物…重ねてる。喪服か?と思うくらい。 (「歳」嵩重ねるほど「袴」が朱くなり…とか言われるのに…) (「定子サロン」の華やかさとの対比…でなのか…)
彰子の女房になっている。古歌の指南中に 帝 お渡り。
彰子…すぐさま上座を退いて空ける…のが遅れて。に周りはらはら。 帝は「よい」と。
宮中に時間をつぶす…行き先無くて…もあって…だろうが、少し興味もあってか…「そなたに朕の笛をきかせたい。、」と柱にもたれて笛を吹く。「絵に描きまほし…」良い姿。 
彰子、頭をかたむけて=笛に耳を向けて聴いている。 帝 は不審に思って「なぜ 朕を見ないのだ?」無視されて?る!と思って「こちらを向いて聞いておくれ。」にお付きの 衛門も焦るが、彰子「笛は聞くもので見るものではございません。」と正鵠を射る。「これはやられてしまったな。」と帝、…新鮮な視点、真摯な拝聴に気付く。
(もしや、他の妃(の入内理由とは違う何かが…と、帝、思ったかどうか…だが、)「そなたは中宮になりたいのか?」とダイレクトな質問。彰子はいつもの「おおせのままに。」と。帝続けて「だれの仰せのままだ?」と。にただ「仰せのままに」と。(彰子にしたら、「あなたの他に居ないでしょう」なのだろう…。とも…。)
(「帝」…と言えばよいのに。)
帝は、「少しかわいそうになった、我が身をみるようで。」「形の上で妃にしてっても良いのやもしれぬ。」「左大臣とあらそうのは辛いゆえ。」と行成に洩らす。
その「み言葉」の報告に「よくぞ。(お心を動かしてくれた!) 礼をいう。」と 行成に 道長。
(自分の働きでなく、彰子本人の有り様による 帝 の気持ちの変化…なのに。行成 ズル!…と思わなくもないが。)
「四条での勉強会より今日までの 恩…、立身は俺が…、子らの立身は俺の子らが…。」と報恩を言う道長、倒れて、行成に抱え支えられる。「人は呼ぶな!」と言いながら。
まひろ邸、「子守り」。雪。自ら赤子をい抱いて漢文を聞かせてる。周りは「姫さまてごさいますが。」と呆れている。
長保二年 ( 西暦1000 年)、正月、雪。
晴明が占う「立后の日は2月25日。」
道長 、日記 ( 後に伝わる『御堂関白記』) に、一旦記入するが、「まだ詔下りてない!」と消す。(跡のあることからの台本か。)
行成、呼ばれた 帝から( 彰子の中宮宣旨)「まだ心が決まらぬ」って…。いまさら。「定子が傷付く。」って言い出す 帝に、いつもと変わって行成 ( 泣きそう)「しもじもの者と同じ心持ちではダメ」「皇后が 神事をつとめる習わしが挙行出来ないのもダメ」「神への非礼での神の祟り」「左大臣さまとてそれで娘を差し出された」「一刻も早く」と一気に。
そうソコ!『一帝二后』へのいろいろな説明出ているけれど、ドラマでの説明以上に「剃髪した=「仏」道に入った中宮が取り仕切れない「神奉り」の不催行の不敬、神への無礼による祟り」は、当時、国体を揺るがす状態であったはずで、道長の ( 晴明による…)対応策は、望ましい見事な仕事であった。(から、公卿たちにも受け入れられた。いわば「生け贄」。)
「(この状態では、)世は荒れ果てましょう。(帝も)判っておいででございましょう。」と行成「お覚悟」嘆願。
帝は受け入れる…従うしかない。
(この収まり方で、先の行成への「いいのかな」も解消。いや「お見事」「おそれいりました」で。)
豊前から宣孝、まひろ邸に戻る。
みやげ→(今回は)「皆」に。「父上だぞ。」「てれるな~。」「抱いてやってくださいませ」と喜ばしく。
「名を。」「二た月も名無しでおりました。」もちろん決めていた宣孝は「カタコ」と。まひろの「何ソレ」って表情は視聴者の?を代弁。「かしこいそなたの子だから「賢子」」と。 良い名で良かった良かった。
道長に、宣孝、「奉幣使」から都に戻った挨拶。
馬の献上。「先日子がうまれた喜びも込めて。」と道長に。
道長疲れてる。(まひろの子が、自らの子ども…と道長に判らせるための宣孝の行動…) (やっぱりゲスい。とも言われてる。)
『立后の儀』のために彰子が一旦宮中を出た隙に!帝、定子を内裏に!呼ぶ。敦康王子の顔を見るため。
その夜、帝「二后」のことの赦し乞う。
定子も「私こそ、我が家のことばかり考えていた。」と詫び、「お気になさらず。彰子さまを中宮に。主上の立場の磐石のため。」と。
「自らも「家のために」入内した身。「彰子とかわりません」って台詞、すみません、なぜか…消化不良というか、よく判りません。ここで、何を言わせたいのか。何を言っているのか。…いろいろの解釈とか分析とか、やめときます。
「朕のことは?」ってバカ殿か。「偽りであったのか?」ってなんだかなー展開にもなり。
「人の思いと行いは、裏腹」とか。言っといて
定子に「彰子のさまとご一緒の時は私のことはお考えになりませんよう。どうか。」と言わせる…そのための説明的な台詞…なのか、混沌、なんだかなーのあと、また聞こえない台詞!(肝心ワードだった? 土曜の再放送まで待ったが聞けなかった…) NHKの、ご担当、「編集」し終えた「V」チェックしないのかな…? 放送でちゃんと伝わるかどうか。(撮り直しとか無理なのでしょうが。)
宮中正殿、『立后の儀』 日中、
実資 詔 。
夜、殿中。あの?屏風の前。外は  雪 舞ってる。
「冠」を頂た彰子。立ち会う倫子嬉しそう。
高松殿 明子、次はこの子も…って張り切っていて、自らの子らへの教育成果をみせる。
道長「疲れている。こんどゆっくり。」と言った矢先倒れる。(心臓発作か。)
邸に戻らぬ道長、倫子、百舌彦に「今宵も高松殿か?」と苛立っているところに 使者。
倫子→第二夫人の家 高松殿 へ。
「殿、殿。」と手をとり、明子に「ウチの主人が、お世話になります。」と。薬師の話しも先に聞いていて、明子からの話し「不要」とマウント取らせない。「うちでお倒れになればよいのに。」って!
「動かしてはよくないと思います。わが夫をこちらでご看病よろしく。」と本妻強し。
宮中、騒いでる。道長の不在は困る。
赤ちゃんに漢文聞かせてるまひろに、宣隆「迷ったが左大臣、倒れられてご危篤」と。「出来る事われらには無いがの。」の後の赤ちゃんカット…。
水に月。まひろ「行かないで」の一念の祈り。
道長の夢。「戻って来て」とまひろの幻影。
目が覚めて、明子「アキコにございます。」って、道長が「まひろ」と口にしたの…聞いてた?!
土御門邸 に戻った道長。なんかぼんやりしてる。倫子ら居並ぶ家族を不思議な顔で見つめる。「心配をかけた。」に倫子「何もしておりません。でも必ずお帰りになると信じておりました。」と「絆」強調。
夏、清少納言 が付き添う 定子 三度目の妊娠。食べられない定子に納言「あおざし」という麦の菓子勧める。敷紙を切って歌を書く定子。
みなひとの、はなやてふやといそぐひに、わがこころをは、きみぞしりけむ。
「そなただけだ。私の心を知っているのは。」と。二人して来し方を振り返り、これからを「いつまでも。」「すえながく。」「いつも」「いつも」と→「退場フラグ」! 笑いあう定子と清少納言最後のカット。
( アオザシを口にして、少し元気が出た…とハハッと笑う定子の発声の品の無さ…というか、時々見せる「素」表現…なのか(の演出)
は、定子のヒトトナリ…(の表現)なのでしょう。
(一条帝への顔と、清少納言との顔が「違う」というのを強調しすぎる感あり…。)
『枕草子』で清少納言に書き残された、加飾されたり、隠匿された、定子の事実のややこしさが、(脇役であるドラマの時間への押し込め…もあって、) バタバタ、ややこしく終わりました。
時間、一気に冬へ。
暮れ、伊周と隆家が鳴弦していて…、定子出産。で、亡くなる。
傍らの「几帳」に定子の結び留めた「文」。
悲しい 辞世の歌に 伊周 「あいつのせいだ。左大臣の大事にしているものを、これから俺が悉く奪ってやる。」と道長への怨みを口にする。
定子の「夜もすがら、ちぎりしことを忘れずは、こひむ涙の 色ぞゆかしき。」
(平安時代、仮名の歌、「濁点」は打たれてなくて。上の歌の「忘れず」の次「は」なのか「ば」なのかで…「歌意」が変わる…難しさ…)
帝、泣く。
道長も呆然。
まだ何も知らない賑やかなまひろ邸。で「つづく」

ところで、「几帳」問題、
定子の「文」が結びつけられていた「几帳」
というもの、平安時代の貴族の館の典型的な、代表的な調度品です。重い箱型の土台から、2本の柱…棒か立ち上げてあり、その2本で支える横棒から、布を垂らして、間仕切り、目隠し、風避け等々として使われた道具です。
季節季節で、垂れ布を替えて、機能的にも視覚的にも活用された必需品。
国宝『源氏物語絵巻』にも、たくさん描かれてあります。
なのですが…それら「描かれてある」几帳は「横棒から直に布が下がっている」のですが、
今、販売さらている物、大河で映る物は、どれも「「棒を通した布」に縫い付けられた吊り手を、横棒に掛けた」もので、
そう、絵巻の「布の取り付け方」が、…あ、二段階のを大胆に省略して絵にしてる?とか、
絵の様な取り付け方…そんなのどう出来たんだろう?と不思議、疑問に気付かされます。 「几帳」のどうだったか…は、また改めて。

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