日記:2024.02.19

対話。

2月18日、『夜明けのすべて』を観た。普段ならそのまま観ずに公開期間が過ぎるタイプの映画なのかなとぱっと見は思ったけど、三宅唱監督だし(『ケイコ 目を澄ませて』が記憶に新しい)、上白石萌音・松村北斗という座組、そしてTLの評判も良かったので朝イチの回で観てきた。結果としてオールマイベストになるくらい大切な映画になったので、あの時踏み出して良かった、というやつ。

冒頭は上白石萌音演じる藤沢さんが、雨が降りしきる駅前ロータリー、そのバス停のベンチでPMSの症状の影響で倒れ込んでしまうシーンから始まる。PMSという単語とそれが意味するものは辞書的に知っている、という状態ではあったものの、わたしはその当事者ではない側の性別の身体を持っている人間なので、どうしても真に「共感」することはできない部分でもある。が、PMSの症状や薬の副作用などで前職を辞めざるを得なかった時の心の塞ぐ感じは、直接それを体験していないのにズンと心にのしかかるものがあったし、松村北斗演じる山添くんが栗田科学に来ている境遇であるとか、環境の変化とままならない心・身体、そうした点が自身をがんじがらめにしていく感覚が、そのままイコールではないにしても、ちょうどここ数ヶ月労働環境が大きく変わりしんどい自分と重なった部分もあった。

この映画はどこか傷ついた人が登場している。弟を亡くした栗田社長、姉を亡くした山添くんの元上司、PMSを抱える藤沢さん、パニック障害を抱える山添くん。見えないしんどさや不安を抱える中でそれでも人生は続いていく、という現実の重苦しさを感じる一方で、それでも人と人が理解し合おうとすることの営みの温かさにまっすぐ向き合うような、真摯な映画であった。藤沢さんがお菓子を社員さんに配ったり、自転車を山添くんにあげたり、更には山添くんの髪を切るという行動は、手を差し伸べるという行為そのものであり、一歩踏み込むことで次第に藤沢さんと山添くんがお互いのよき理解者として「救け合う」ことができるようになっていく、そしてその2人もまた日常に溶け込み時が進んでいくという描き方が心地よかったし、原作にはなかったプラネタリウムというモチーフが、宇宙という特大スケールの中に浮かぶ惑星が各々の人生のようにも感じられて印象的だった。

好きなシーンというかカットは、山添くんに漬物をあげようとする藤沢さん、会社に忘れ物をした藤沢さんに自転車を漕いで届けに行く山添くん、日曜の夜の会社での会話、いつの間にか栗田科学の作業ジャケットを着るようになったところ、仕事の話を楽しそうにする山添くんの姿を見て泣く元上司、だとか。丁寧なんだけどさりげないというか、そこにあるそのものを尊重しているカットが多いと感じるのは三宅唱という作家の特徴なのかな、と思うなどもした。光が印象的な今作。映画館を出たあとには日差しがいつもより暖かく感じたし、一番仲が深く感謝している友人のことを思い浮かべる、そんな映画だった。


夜咄。

ここ3週間、毎週土曜日に日プ振り返りスペースとしてFFの方とほぼリアルタイムで同時視聴しながら悲喜交交も織り込んでの会話をやっている。1回あたり6時間喋っているので、フルで聞いている人はおそらく自分たちしかいないであろう空間。基本は(ほぼ)同時再生している本編に対するリアクションなんだけど、各々の実体験だったり通ってきたコンテンツからの援用だったり、コンテンツを通して発見した自分自身、みたいな話もできる非常にありがたい場だな……と改めて思っている。録音はしていない。でもお互いの間に積み重なっているものがあると感じている。


談話。

2月18日、note記事を軸にアイドルを「読む」読書会的な会に参加した。各自が持ち寄る参考文献(?)と各々の実体験・バックグラウンドから出力されるパフォーマンスへの眼差しの違いそれ自体がとても興味深く好奇心を刺激されるたいへん良い会だった。わたし自身は社会学をやりたかったけど入れなくて史学科から文化人類学的方面に興味を持ったクチなので、振りコピがある意味で文化人類学的という指摘がしっくり来ていい体験だったと思っている。ステージの、身体の躍動の一回性そのものを記述することはできなくとも、限りなくそこに近づこうとする営み自体にわたしは尊さを覚える人間なので、みんな書いて!わたしも書くので!という気持ち。


台湾。

3月2〜3で台湾行くのでおすすめスポットをもしご存知でしたら教えて下さい。

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