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雨が降り止まなきゃいいのに:日向坂四期生楽曲『シーラカンス』感想

はじめに

 日向坂46のみなさん、9thシングルリリースおめでとうございます。本稿は4月19日(水)発売の9thシングル『One choice』に収録されている四期生楽曲『シーラカンス』について、その感想を書いていくものになります。すでに公開されている四期生ぽかぽか写真館のインタビューにおいても各メンバーによる解釈だったり印象が語られていましたが、ここでは個人的な思い入れだったり飛躍・接続も含めた個人的な「読み」だったりを書いていきます。こう見たら面白そう、とかこうだったらいいな、みたいなのも含んだりしつつ。あくまで「考察」ではなくいちオタクの感想として受け止めていただければと思います。それではどうぞ。

楽曲面

歌詞

<ストーリー>
 「雨の雫 頬に感じた 雑踏の中 空を見上げ」のフレーズで始まる今作。降り出した雨という描写はこれから起きる状況の変化を予感させています。続くフレーズからは後ろから不意に傘を差し出す誰かがいる、振り向いてみたら名前も知らぬ女性がそこにいた、というシチュエーション。傘を差し出したのが例えばクラスメイトや幼馴染ならよくある場面ですが、ここで傘を差し出してきた女性は「名前も知らぬ」という状態です。
 けれども「その眼差し どこかで会ったような 懐かしさは なぜ? 君は誰ですか?」で、かすかに記憶の奥底に眠る感情に気づいたところでサビへ突入し「シーラカンス 生きた化石のように ハートの底にいたんだ ずっと忘れていたよ こんなエモい瞬間」と、「僕」が「君」にかつて抱いていた気持ちを完全に思い出していく移り変わりが描かれています。「エモい」の使い方については後で触れるとしても、この楽曲の肝である「「君」への眠っていた恋心」を生きた化石であるシーラカンスに仮託して表現しているところは、『ブルーベリー&ラズベリー』で「似てるような 全然似てない僕たち」を表象したようにフックのある固有名詞に楽曲のコアイメージを付与していく、非常に康的な詩世界の構築です。そしてわたしはこういうのが大好き。
 また「中学生か 高校生か ずいぶん前の恋する痛み」とあるように、今作の主人公は『ブルーベリー&ラズベリー』で「あと半年で卒業式って」とカウントダウンしていた頃からは成長しており、B.L.T.5月号で小西夏菜実さんがインタビューで触れていたように四期生自体の成長も重ね合わせることができるのではないかと思います。

 ただしひとつ書いておくと、傘を差し出した「君」はかつて恋心を抱いていた「君」と同一人物か?というと必ずしも一致していないというか、時を超えた再会とも取れるし、久々に感じた「恋心そのもの」かもしれないし、という。余白のある表現なのかなと思っています。

 2番においてはカフェのテントに慌てて逃げ込み雨宿りをする「僕」、その隣に傘を持っているのに隣りにいる「君」の情景。雨宿りというシチュエーション、でも雨が止むと一緒にいる口実(理由)がなくなってしまう、だからこそ「雨が降り止まなきゃいいのに」と思うこの感情は、古来より短歌にも詠まれてきたものでもあります。そしてこれは後ほど触れますが新海誠的な読み方もできるのではないかと思っています。

雷神の 少し響みて さし曇り 雨もふらぬか 君を留めむ

『万葉集』 巻十一 柿本人麻呂

 個人的に本作の中で好きな歌詞は「大人への氷河時代 自然淘汰されないまま 忘れさられ ここで蘇るとは ミステリー」という部分です。大人になっていくにつれて失われていく、気持ちがどんどん忘れ去られていく点を氷河時代の厳しい自然淘汰に例えることで描写するとともに、純粋なあの頃の気持ちは決して「絶滅したわけじゃない」ということが描かれます。そこでふとしたきっかけで思い出した過去の気持ちは「ねえなんか嬉しいよ」という直球の感情表現で表されるとともに、最終的には「僕」が「君」に話しかけようとする所でこの曲は締められます。そこで不意に動いた「何か」とは?という問いには、個人的には自らの意志で踏み出すことにより変わる運命であり自身の気持ちの拍動なのではないか、という回答をわたしは提示したいと思っています。

<「エモい」の語法>
 おそらく今作の歌詞の評価の分水嶺となるのがこの「エモい」というフレーズの使われ方かと。結論から言うと、わたしとしては「ダサいな…」とは最初感じたしいまもそれは拭い去れていないにしても、総合的な効果をも加味すると決して悪くはなかったのかな、というのが着地点です。
 「エモい」が使用されるのは「ずっと忘れていたよ こんなエモい瞬間」という箇所であり、「瞬間」にかかっている形容詞としての働きになっていますが、まるでずっと生きた化石かのように忘れ去られていたが確かにそこに(3億5000万年前と変わらない姿で!)あった気持ちのタイムスケールと、「瞬間」に対してかかる刹那的な「エモい」という「何とも言い表せない気持ち」を表する際のタイムスケールとの対比が読み取れるかなと思います。ときめきという感情(常に変わるもの)とシーラカンスという変わらないもの、という意味でもこの使われ方は結構好きです。
 ただやっぱり発語してみるとダサさは拭えないですね…笑 詞で読む分には良いんですけどこれは「歌詞」なので歌い手が音声で発語することが前提、ということを踏まえるとぐぬぬ…となります。この「エモい」の使い方もフックの使い手である康手法、といえばそれまでですがね…そしてこういうのを愛好してきたからいまもこうして追いかけている、というアンビバレント。

<『シーラカンス』と新海誠>
 上記で予告的に触れましたが、ここで新海誠作品との接続を試みてみたいと思います。ほぼ飛躍ですけれども。

−雨宿り:『言の葉の庭』
 上記で触れた柿本人麻呂の短歌が引用されている『言の葉の庭』は、「雨宿り」というシチュエーションにおいて展開される男女のラブストーリーです。雨の日の午前中、庭園でのみ逢瀬を重ねる2人。カフェのテントに逃げ込んで「君」と雨宿りして「雨が降り止まなきゃいいのに」と感じる「僕」。明言はしない、けれどもそこに気持ちが表象されている「雨宿り」に込められた感情を感じ取れます。

−天野陽菜=正源司陽子:『天気の子』
 完全にこれは名前の文字列から受ける印象の話ですけど、「祈るだけで晴れにできる能力」を持つ天野陽菜、日向坂46に加入し本作でセンターを務める正源司陽子。この世の理と太陽。能力とその代償、というのも非常にアイドル的でもあります。あと陽菜は制作初期の設定では陽咲(ひなた)って名前だったらしいです。因果!!

−忘れ去られていたことを思い出す:『君の名は』
 「僕」は名前も知らない女性に傘を差し出されることで眠っていた記憶を呼び覚ましていきます。最終的に気持ちを自覚し「話しかけようとしたら 不意に何か動いた」ところは瀧と三葉の再会と重なります。このとき、すでに雨は止んでいます。

メロディ

 はじめに言っておくと音楽理論とかコード進行の知識は無いのでその側面からは掘り下げられないのですが、聴いてる時に感じた印象ベースで書いていきます。
 この曲の全体は4:36、MVだと4:58。イントロは時計の秒針にも似たオルゴール的な音からMVで言うところの皆が目を覚まして拡がっていく部分からサウンドも開けていく作りになっています。これから始まる物語の序章として申し分ないイントロです。
 歌い出しの「雨の雫顔に感じた 雑踏の中空を見上げ」は跳ねるような節回しで雨に振られたときの雨音をリズムで感じるとともに、「後ろから不意に 傘を差し出す 誰かがいて 振り向いたけれど」までは前半の跳ねるようなリズムを継承しながらも、「名前も知らぬ女性だった」から場面の転換を感じられるメロの切り替えがあります。
 サビの「シーラカンス 生きた化石のように ハートの底にいたんだ」から続いていくメロディはサビまでの盛り上げ的展開からするとワントーン落ち着いたような印象も受けるのですが、「あの頃と変わってないときめきを見つけたんだ」という歌詞からすると、いままで秘めていた(忘れ去られていなかった)ものの表出という温度感では妥当な感覚があります。

 2番は「なんか変だよね 不思議な感じ」が1番のサビのそれとも違う節回しで、主人公の心情の進展といいますか、ワクワクの度合いを感じられる音像だなと。「このドキドキは何?どうなってしまうの?」からのダダダダダダダッというリズムは今にも駆け出しそうになるような青春感。

 総体的な音像の印象としては『ブルーベリー&ラズベリー』が序章としての期待感、サビの転調による目まぐるしさにより「アイドル」になった四期生たちの光輝かしい今・これからを切り取っていたのに対し、『シーラカンス』においてはボーカリゼーションの安定感が増している(=上手くなっている)うえに個々人の歌声の記名性が高まっている(ユニゾン中心の作りではあるものの)点でも成長が伺えます。Aメロの「僕が参ったなと思ってた時」なんかは坂っぽいな〜と思う音の置き方だったりしてニッコリ。メロディの展開も緩急があるというか、秘めていた・眠っていたものをぱっと花開かせるような情景を想像させたりと、柔らかくも芯があり、それでいて爽やかで陽の光を感じるようなメロディだなと思います。9thで一番好きな楽曲ですメロディとしても。

MV

設定・構成

 個人的に観たら毎回泣いてしまうMVというのがありまして。これが来るまではその枠にいたのは『ゴーフルと君』だったんですけど、2023年4月現在は『シーラカンス』が君臨しています。ちなみにかつては『思ったよりも寂しくない』とかが入ってました。何が言いたいかというと、それくらい個人的に刺さっている、という事ですね。

 本作MVは学校パートとメインのセットにおけるダンス歌唱パートという構成においてはブルラズと共通しています。ただしブルラズは学校の中でストーリーを展開しているわけではなく歌詞世界の表現を学校というセットで表現している、それに対し『シーラカンス』における学校パートは明確にストーリー(=演技)パートとして進んでいます。そのため、構成として比較できるのは同様の構造を持つ乃木坂5期生の『バンドエイド剥がすような別れ方』なのかなと思います(画面の中の「乃木坂46」を見つめる菅原咲月)。期別楽曲2曲目という立ち位置に於いても。

 バンドエイドは菅原咲月という主人公が「乃木坂46」を通してひと夏の間に仲間と友情を築き上げる物語であったのに対し、『シーラカンス』における正源司陽子を始めとする12人の日向坂四期生は、「空を駆ける青い鳥」(劇場版(概念)のポカ?)の存在を追いかけていくことで次第に仲間が集まっていきます。躓いて転んでしまったとしても手を差し伸べてくれる仲間の存在を実感し笑みを浮かべる正源司陽子のその表情は、ぽかぽか写真館での本人のインタビューにも表れていたよう思われます。

正源司:撮影に入る前、監督さんから今回のMVのコンセプトを説明していただいたんですけど、私の設定には過去の自分と重なる部分がたくさんあって。それは、楽しいことは好きなんだけど、どこか馴染めないところがあったり、ちょっと完璧主義なところもあって、うまくいかなくて落ち込んでしまったり……そんなときに日向坂46というグループを見つけて、そこに向かって走っていく。「あれ、監督さん私のこと知ってたっけ?」と驚くくらいに自分とリンクして、びっくりしました(笑)。

https://www.hinatazaka46.com/s/official/gallery/4th_photo_st_29?ima=0000

 青い鳥は幸せの象徴であるとともに、日向坂のオタクとしては青と黄色の憎めないアイツ(CV:若林)を想起させますが、MVの中で各地に散らばっていた(教室だったり図書室だったり、帰り道、あるいは茶道部の部室だったり)四期生たちが青い鳥を見つけるために集まっていくその様は、そのまま現実としての日向坂四期生(日向坂が好きで集まってきた12人)の表象と言えるかなと思っています。

好きポイント

ここからはMVの好きな場面に対しスクショとコメント形式で書いていきつつ、感じたポイントなどは最後にまとめて箇条書きで書いていきます。

正源司陽子のソロカットに題字の「シーラカンス」。
日向坂のフォント周りはかなり冴えたクリエイティブな気がする。
目を閉じて眠っているときの呼吸の様にも感じられるような動き
もしくは脈拍かなとも思った。
最初のパートでは各々が各々の方向に指をさして駆け出していく
正源司。教室にて。
藤嶌渡辺。図書室にて。かほりなシンメすばらしいね…
石塚岸小西清水山下。通学路にて。この直前に部活で走っているであろう人たちとすれ違う時に「オッ」ってなってるたまちゃんかわいい。そして後列のりおななである。
竹内平尾平岡宮地。茶道部部室にて青い鳥を目撃。コミカルな演技が似合う4人組だ。
振り返るこにしの美。ずーりおがスクバをこうやって背負ってるの解釈の一致。
この視線の合わせ方なんすよね(動揺してSiriが起動していた)
気にしていないふりをしていながら実はめっちゃ気になっている、のが渡辺→藤嶌なのだと思う。
透明感半端ない。朝ドラのオファーをすぐにでも!!!!
(本人も演技やってみたいと「情報Ⅰ」で書いていたりしたので)
シーラカンスのヒレのようなカノン。ダンスうまくなったよね
個々人のイメージに沿った振り付けがなされているパート。全体を捉えるのがむずすぎる。
しょげこは空手の型、はるはるは三線、ずーりおはチア、すみちゃん(宮地)はバトン、あたりは読み取れる。
全編を通してはるはるの表現力が光っていたと思う。
動きにも一瞬の表情にも感情を載せられているしそれがビビッドに伝わってくる。
息を呑む綺麗さ。
ひとり駆けていく正源司。期待していない自分を彷彿とさせる。
しょげこもこっちおいでよ!!そしてりなしの視線はかほりんなのである。

・白衣装→青衣装への変化
 これがこのMVの中での嬉しいポイントでもかなり上位で、ブルラズの純白衣装からだんだんと色づいていく過程、とも読み取れるし、白衣装を卵として青衣装は自身が青い鳥=日向坂になった四期生、という風にも読み取れたりするのかなと思います。ラスサビへの盛り上げ方もそうですけど、青衣装へ変化した途端これまでより一層弾けるような笑顔になっている四期生たちのパフォーマンスが煌めいていて。ライブではどんな感じになるのかな、というのも楽しみなパートでもあります。

・ダンスパートのセット
 全体的に白身を帯びた大理石の小ホールのような空間で、外から陽光が射し込むなかセットの後方には木の枝のような装飾物、そして蜘蛛の糸や卵?のような意匠を感じさせる白い風船が配置されています。楽曲タイトルこそ『シーラカンス』ではありますがMVにおけるモチーフは青い鳥であるので、こちらはダンスパートのセットを鳥の巣に見立て、背びれを動かすようなダンスは卵から孵化した雛鳥たち、と読み替えることもできるのかなと思います。

・フォーメーション
 ここまで一部を除いてほとんど触れてこなかった。センターしょげこのカードは思ったよりも早く切ってきたなという印象はあったけれど、MVのストーリーだったり表情管理だったり、佇まいで成立させられる存在としてその役割を十二分に果たしていると思っています。
 かほりなシンメは年少組という側面もあるでしょうけれども、りなしはダンスを習っていたがゆえの表現の基礎力がありますし、かほりんはおもてなし会で「ダンスが苦手で…」と言っていたとは思えないほど思い切りの良いダンスをしていました。若干のフィクショナルなダンスをする部分があるものの、本人は非常に地に足ついた性格(とわたしは勝手に読み取っている)という点で、かほりなのシンメは楽曲に鮮やかな色味を付与しているように思います。
 2列目は左から竹内宮地山下清水。きらりんは一瞬の表情で引き込む魔力があるし、ずーりおのブレないハッピースマイルなパフォーマンスはこちらも対照的で見応えがあります。そして今作のパフォーマンスの核となっている宮地山下シンメ。代々木でのブルラズ初披露からすでに観客に「魅せる」方向でパフォーマンスに臨んでいた2人。ダンススキルも表現力もある、その上でそのスキルをフル活用した上で楽曲の世界観を全力で楽しんで表現している、そんな印象を受けました。跳ねるような振り付けひとつとっても足の上げ具合、指先の伸ばし具合、表情の変化、探さなくても自然と目で追ってしまう、そんな引力を持つパフォーマー2人を文字通りの「中心」に置くことで楽曲が説得力を増しているなあと感じます。
 3列目は平岡平尾小西岸石塚。最奥のこにしが世界観をぶらさずに守ってくれている安心感があります。左サイドの平岡平尾は「動」もさることながら「静」の表現でこちらを魅了してくる。ひらほーの歌声めっちゃ聴こえてくるね?というパートがあるし(勘違いだったらすまぬ)、「ここで蘇るとは ミステリー」のみっちゃんで国が建ちます(?)。岸石塚は完全に「動」と「動」。とくにたまちゃんは冒頭のフレーズで羽を開いて閉じるような振り付けの時にほんの一瞬だけ早く動いている、ようにも見えます。今にも走り出したくなるような、そんなワクワク感を演出ではなくこぼれ落ちるこのような動き一つで楽しさを伝えてくれます。岸くんもほんとうにいい表情するようになったね…!とサトミツになっています。

 ここで推しメンであるこにしの話をします。彼女は直近(4月19日時点)に更新したブログの中で楽曲パフォについて以下のように述べていました。

・パフォーマンスの時に意識していることは?
→楽曲そのものの世界に入り込んで、その曲のひとになる。届けるぞ!というつよいきもち。です。

https://www.hinatazaka46.com/s/official/diary/detail/49956?ima=0000&cd=member

 彼女が四期生おもてなし会ではこん好きを披露したことが記憶に新しいですけれども、シリアスで繊細な表現が求められるあの難曲を見事に表現したとともに新しい解釈を加えていくような側面をも見せてくれて、今作の特典映像(TypeD)であるおもてなし会メイキングを見てまた泣くという。
 対して今作は明るく爽やかで青春感を纏うとともに、ブルラズのときより成長した楽曲の主人公とともに大人びた姿を見事に演じて/表現していました。2023年1回目のブログでは「カメレオンアイドルになる!」と宣言していましたが、かわいいも美しいも格好いいもはたまたその他にもいろんな表現を身に着けて最強になっていくこにしをわたしは楽しみにしているよ!という気持ちです。

「日向坂四期生」という存在

 「日向坂四期生ってどんな子たち?」と四期生を知らない/見たこと無い人に対して一言で表現するならば、「雄英高校ヒーロー科」なんじゃないかと思っています(ヒロアカ)。先輩たちに憧れ、「自分も日向坂になりたい」落ち込んでいる人を救いたい」という動機でアイドルになる子がいます。

 これは何度か書いてるし何度でも繰り返すんですけど、正源司陽子というアイドルは緑谷出久を重ねてみてしまうところがわたしはあります。上記のドキュメンタリーでも触れられていたように、彼女がアイドルを志す根底には「つらい思いをしている人の手をとって一緒に前を向いて歩いていけるアイドルになりたい」という想いがあります。「救けて勝つ」を地で行く少女。奇しくも(?)ハマスタで元気玉を発動した丹生ちゃんの口から幾度となく「ハッピーオーラ」という単語が出てきたのは印象深く、9thというこのタイミングで「ハッピーオーラ」というコアの価値観に立ち返るとともに、『青春の馬』に込められた「誰かを応援する」精神は四期生にも楽曲パフォーマンスを通じて引継がれていたのが、今年の「4回目のひな誕祭」だったんじゃないか、と思っています。四期生も、先輩たちもそうだったように希望の世代だよ

おわりに

 というわけで、『シーラカンス』の感想をなんとか書き終えました。9thで一番好きだし2023年坂道楽曲でもトップクラスに入る予感があります。いつか夏ライブ(やるかな)で披露される日を心待ちにしています(もしくはTIF2023??)。「いつだって、未来は味方だ」!!!!!!!!!

おまけ/参考

<おまけ>
・冒頭の歌詞で最初に想起したのは『世界には愛しかない』の2番冒頭のポエトリーである「空はまだ明るいのに 突然雨が降ってきた 僕はずぶ濡れになりながら 街を走った」の詞でした。

あとはタイトルからの連想など。

<参考>


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