Sound of Silence:櫻坂三期生楽曲『静寂の暴力』感想
はじめに
本稿では櫻坂46の6thシングル『Start over!』に収録されている三期生楽曲(かつ共通カップリング)である『静寂の暴力』について、楽曲の感想やそこから感じた櫻坂三期生の可能性、といったものを書いていきます。すでに『Start over!』については下記の記事で書きましたが、スタオバが良かったし三期生曲も楽しみだな〜なんて友人とプレミア公開を待機していて、いざこのMVを食らって概念的な意味で殴られてから、しばらく2人で余韻を味わう時間がありました。1発目が重たかったのでしばらく2周目以降に取り掛かれなかったくらいには自分の中に残っていたし、本稿を書いていく過程でも食らっているかもしれません。そんな筆者の感情も含めて残していきます。それではどうぞ。
↑スタオバnote。
↑櫻坂三期生おもてなし会note
楽曲面
歌詞
「静かすぎる時間は嫌い」から始まる今作。康の筆の迸りを感じる。この「静かすぎる時間」の中で「呼吸さえもできなく」なる「私」。続く節では「なぜ人恋しいのか」とひとりごちています。今作に通底するのは孤独と、そこから抜け出して自己主張したい、誰かと心を通わせたいという叫び、という様にわたしは読み取っています。
孤独に関しては「灯りを消した部屋の天井」だったり「し〜んとした無限の空間」だったり(ブルームーンキス以来の「し〜ん」だ、と思った)、暗闇や無音、広がり続ける空間に誰もいないというイメージを想起させるワードが随所に散りばめられており、そうした中で「心の声」や「弱音」といった音にならない声や感情を吐露するも、「暗闇に吸い込まれるように全て無になる」という無力感に苛まれていく。この状況こそ「静寂は一つの暴力だと思う」わけです。ただしそこで「光を否定され」ても、「私のそばに誰かがあなたがいてくれたら怖くない」と放ち1番が終わる、という流れになっています。押しつぶされそうな孤独の中でも、誰かを、あなたの存在を感じていたいという悲痛とも言える感情が吐露されていました。
静寂、あるいは沈黙、無音、あたりで想起したのはジョン・ケージの『4分33秒』、そしてサイモン&ガーファンクルの『The Sound of Silence』です。ミュートかましたジョンケージ(これはDos Monosの『medieval』の一節)。
4分33秒は有名な作品ですけれど、これは完全な沈黙などなく、むしろ「静寂という名の音が存在する」と読み替えることもできなくはないかなと。無響室に入っても自身の身体の音(神経系と血液)が聞こえたエピソードのように、孤独な空間においてはむしろ自分という存在の「音」が際限なく響くというか。だからこそ他者を求めるのがこの『静寂の暴力』の「私」なのだと思います。
またサイモン&ガーファンクルの『The Sound of Silence』は下記に歌詞を一部引用しますが、この「”Fools” said I, "You do not know"」から始まるブロックの「Silence like a cancer」だったり「But my words like silent raindrops fell」のように、拡がっていく「静寂」と届かない「雨粒のような声」にはリンクする部分がありそうな気がします。MVでも雨が象徴的ですし。
歌詞の本筋に戻ります。2番は「街はもう眠ったか?それとももう死んだのか?」から始まり「世界からノイズが消え 誰も孤独になるよ」と続きます。ここでの「誰も孤独になるよ」という言い回しは違和感も含みつつ、誰も(彼も)的な意味合いでわたしは受け止めています。1番では内面世界あるいは自らの半径数メートルの世界(部屋の天井のように)だったのに対し、2番では「世界」や「この世」という空間的な広がりと「自分以外の何者か」という他者性を描き出すとともに、「私」は「一人じゃない そう信じたい」という他者への希求が見て取れます。
「何にも起きてない」からのブロックからは1番と展開が異なり(何メロなんだっけか)、「時計の針がくるくると虚しく回ってる気がする」し、「ベッドにどんどん沈んでいくような」、身体的かつ具体的な固有名詞の描写で聴く人と孤独との距離を一気に近づける効果があるかと思います。「唇が乾いてしまうくらい無口な筋書き」のフレーズはこの歌詞の中でも随一で好きな部分です。
2番は1番には存在しなかったポエトリーも入ってきており、「喋りたい願望を捨てて沈黙を愛せるか?」「どうしても考えてしまう」「私から何を奪うつもり?思考を停止させる 静寂は暴力だ」と発語しています。まず「喋りたい願望」があるということ、そして私から声や思考を奪う静寂のことを「暴力」と表していることからも、「私」はやはり自らの意志でこの静寂に抗い、沈黙を破って叫びたいのだ、という帰着が見て取れます。「静寂は暴力だ」のポエトリーで楽曲を締めるという構成。かなり面白い。
またラストのブロックでは「ブランケットを頭からかぶってしまおう」という部分で自らと外界を遮断し殻にこもる描写を、「ブランケット」という「愛情」の温かいイメージと紐づく固有名詞との関係性でもって表現しているところも興味深く、「自分から叫びたいよ」というフレーズから始まる部分ではこれまで主張していなかった「私」の意志や感情がいちばん強く発露しています。
『Start over!』が自己に向き合い新たな自分をやり直す楽曲ならば、『静寂の暴力』は孤独から脱却し他者との繋がりを求めるという、ベクトルは逆でも進む方向は同じ、という意味では6thの共通カップリングであるのも頷けるなあと思った歌詞でした。
曲
MVでは冒頭の環境音や雨音といったノイズが入っていますが、楽曲本編のイントロはシンプルなピアノフレーズで始まっています。さらに歌唱に入るとメロディはかなり後ろの方(体感)に潜んで拍を刻む程度になり歌声を主旋律(合ってるかな)として「声」を際立たせていたのが印象的です。ここでまだ冒頭。「星の降る夜」から「部屋の天井は」まではさらにシンプルに数音のピアノフレーズのみ、恐ろしく音数が少ない中で楽曲を成立させています。こんなに引き算することあるんだ。その後のパートからサビに向かってはビートも早くなっていくので展開としては定石ながらも、サビの「静寂は一つの暴力だと思う」からは後ろにクラップ音をリズムとして響かせてゴスペルのような、教会音楽のような奥行きと響きを感じさせるとともに、暗闇で響き渡る静寂をメロディーとビートの畳み掛け、最後の「怖くない」でフッ…と浮遊感を残して1番が終了。
2番冒頭は同じ展開ながらも明らかに使っている音の数も増えるしリズムパートの主張というか主旋律への合流が感じられ、さらにラストに向かうに連れて「世界」のノイズと自分の中の「声」が混ざり合いながらどんどん大きくなっていく、という印象を受けます。ストリングスもピアノも「私」の声に聞こえてくる。最後のポエトリーパートでは雑踏のようなノイズがそのまま楽曲のトラックとして残っています。ここに「世界」と「私」の接続点が示されているんだな、とか。
トータルで聴いたときに、この楽曲は静謐な儀式であるかのような音の運びと、冒頭の静→終盤にかけての激情のグラデーション、そして余白がもたらすノイズといった点が『静寂の暴力』というワードから受け取る印象とも相まってインパクトを残しているのではないか、とわたしの中では結論づけています。
※ちなみに下記は記事を書いているときに見かけた動画です。めちゃくちゃ面白かった。わたしは音楽の専門家ではないのでこういったコード進行や音楽理論的な視点、またプレイヤーとしての視点などからの分析によって視界が開けるのが新鮮かつ楽しかったです。
MV
ダンス
これ↓も記事を書くまでの間に観た動画で、こちらはプロのダンサーによるダンサー視点でのリアクションなので、非常に興味深く面白かったです。まずは観てください。余談ですけど、こうして櫻坂に限らずいろんなエンタメを観ていく中で、その楽曲だとか表現を理解したいという意味で特にダンス(する方)に最近は興味があります。身体の躍動ってめちゃくちゃワクワクするじゃん、というある種の原初的な欲求と言いますか。
※7月7日時点で『摩擦係数』のリアクションも上がってました。
あと『ワンダンス』。以前遠藤光莉ちゃんがそこさく(か、けやかけか)で紹介していたのを思い出して最近読み始めましたけど、音楽とダンスの関係性だとか踊る時の没我の感覚だとか、身体の躍動そのものを画とストーリーで表現していて引き込まれますし、「音を拾う」という感覚は『静寂の暴力』冒頭のピアノフレーズを思い出したりしました。
なので上記のリアクション動画に技術的観点の解説を見るとして、ここからはシンプルに1点だけわたし自身が感じたことを。上記はわたしのツイートなのですが、初見の段階で歌詞よりも音に振付が為されていると感じていた点は、下記の山下瞳月さんのブログで「振り入れのときインスト音源でみんなで振りを合わせた」と書いていたところからも実証(?)されていたというか、これまでの楽曲の中でも異質なコレオになっている気がしたのはそうした制作面での手法の違いもあったりしたのかな、なんて思ったりしています。ターンも多く激情でコンテンポラリー的な要素も多分に含んだこの振付を加入約半年の新メンバーたちが踊っているという事実にも驚きますし、それだけ三期生は信じて託されている、そしてそのセンターを任せられる山下瞳月という逸材。新しい期の2曲目にこんなん来るとは思わないじゃん、という、驚きから始まりましたけど、おもてなし会やツアーを経ての経験値は着実に実を結んでいるのだなあ、と感慨深くなりましたね……。
好きポイント
ここからはMVの中でも好きな場面をスクショとコメント形式で書いていきます。ストーリーというよりはダンスメインで、基本は体育館のような空間でサウナ着のような衣装を着て踊っている中、時折衣装が変わり演技要素も入ったシーンがカットインしてくる構成なので、場面場面で色々触れていければと思います。
「あれこれ弱音思い浮かべても」からの手の細かい動きはキャプチャがむずすぎるので断念しましたけど、だいぶえげつない速さでいろんな動きしてる。しかも前後列で微妙にニュアンスの違うところから最後の止め。身体の制動が凄い。個人的にはえんりこ(遠藤理子ちゃん)が遜色なく2列目中心で谷口愛季ちゃんとのシンメになっているのもブチ上げ。
また「光を否定された」でターンからのフロアに伏せまた天に手を伸ばす振りも、「私のそばに 誰かがあなたがいてくれたら怖くない」につながる他者への希求なのだと思います。
櫻坂三期生定点観測
上記でも書いたかもしれませんが、これを新しい期の2曲目に持ってくる方もやる方も肝が据わっているというか信頼を感じたんですよね。それにスタオバで夏鈴ちゃんだったように、山下瞳月ちゃんにはこういう曲を表現させたい、というのがめちゃくちゃわかる一作だったと思います。
定点観測。櫻坂三期生は2023年1月からvlog→ドキュメンタリーの順番で公開されていったことで、大まかな個人像を掴むと同時に総計2時間ほどに渡るドキュメンタリー群でチームとしての櫻坂三期生としての解像度を上げた状態で、3月のおもてなし会にて客前初披露、という流れがバッチリハマった感があります。おもてなし会は三期生が好きな人達が来ているので盛り上がりも当然ではあるんですが、先日の春ツアーでの三期生パフォーマンスにおいても会場全体が歓迎と盛り上がりのムードで包まれていたのが印象的でした。結果としてツアー途中からスペシャルBAN(三期+1,2期)が披露されるなど、「思ったより三期行けるぞ」という共通認識がチーム櫻坂の中でも生まれてのあの光景だったんじゃないかと思います。ちょうど横浜3日目のスペシャルBAN初披露に居合わせたこと、ずっと忘れないと思いますね…。
また個人的に推しメンは村井優ちゃんなので今回フロントだったのが嬉しかったのもそうなんですけど、それ以上に彼女自身が課題として挙げていた感情表現、ここのクオリティが上がっているというか、ダンサーからアイドルとしての、櫻坂としての表現を掴み始めている感触があり大変感慨深いものがありました。彼女はオーディション最終日に応募した、きっかけは天ちゃんのCM、とつい先日のSHOWROOMで話していましたけど、こうした「文脈の外」から「アイドル」という越境の領域に足を踏み入れる人の挑戦にたまらなくブチ上がるところがあるので、今後も村井優ちゃんのことは応援していきたいなあと思います。期別センターをやる日もそう遠くないんじゃないかなあとか。
他のメンバーについても一人ひとり書きたいくらいではあるものの文章が長くなりすぎるのでこのあたりに留めるとして、ただ「櫻坂三期生」としてのチーム力はツアーを通しても強固になり、かつ全員のパフォーマンス平均値が確実に底上げされているのは火を見るよりも明らかだと思います。三期生加入以前はどんな子達が来るのか、グループのカラーはどうなっていくのか、なんて思ったりもしましたけど、三期生ちゃんたちは見事にグループに溶け込んだばかりか、すでに同じ青写真を描いているようにすら見えます。As you know?加入半年ちょっとなのに。スタオバの売れ行きも好調だし、ということでこの勢いをそのままに夏、そしてアニラZOZOマリン、そして、という流れに乗っていければ良いなと思っています。はやくAnthem timeで灰になりたい。
おわりに
というわけで、『静寂の暴力』とそこから見る櫻坂三期生について書いてみました。乃木坂はその内側の営みそのものを、日向坂は観客にエネルギーを、櫻坂は表現を届ける、という主軸(と受け取っているもの)がありつつ、グループとしてのベクトルを共有しながら三期独自の表現も突き詰めていくことができるのが櫻坂三期生たちだと思うので、このまま突っ走っていってほしいなあと切に思います。6thは欅坂に回帰しているなんてのは微塵もなくて、培ったものに向き合い、解釈し前を向くという営みをやり抜いた結果としてのスタオバであり静寂の暴力なのだとわたしは解釈しています。今後も期待しかないです。
※静寂の暴力のパフォーマンスを早く浴びたい、三期生TIF出てくれたのむ。
おまけ/参考
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