プレゼンテーション1

サンフレッチェ広島 歴代外国籍選手列伝 成長期(2003年~2011年)編

話題のやつにサンフレッチェ広島のそれがなかったので作りました。ただ、クラブ史は25年を超え、1つにまとめるのは困難ですから区切りが必要。というわけで勝手に次のように区分しました。

・黎明期 Jリーグ創設前の東洋工業時代(~1992年)
・創世記 Jリーグ参入。初のJ2降格まで(~2002年)
・成長期 小野監督・ペトロヴィッチ監督体制(~2011年)
・全盛期 森保監督体制(~2017年)
・過渡期 森保監督退任後、現在まで(~2019年)

今回書くのは成長期の範囲。そして次回が全盛期と過渡期↓。

本来であれば黎明期や創世記についても書くべきなのでしょうが、如何せんその頃は試合を見ていてもそこまで熱量を持って見ていたわけでもありません。しがないライトサポーターの一人なので、他の方にお任せいたします。

※表記について
名前(国籍/所属期間/リーグ戦出場試合数/同ゴール数)という書き方。
ちなみに、J1とJ2は区分せず、合算していますので悪しからず。

※記入順について
加入年に書くスタイルでやっています。スペースの関係上、一人三行で何とかまとめたい。無理な時は無理だけど。

①2003年シーズン(J2リーグ優勝)

初のJ2降格を喫した我が軍にとって1年でのJ1復帰は至上命題。そこで、外国籍選手についてもFW・MF・DFにテコ入れがありました。

DFリカルド(ブラジル/2003年~2004年/69試合2ゴール)

仙台ではJ1昇格に貢献した昇格請負人。スピードがあってカバーリングに長けておりJ2ではド安定。これならいける!と翌年のJ1まで引っ張ったら上手くいかず、J1の壁ってたけー…となった。後に京都に移籍してそちらでも昇格請負人をやってた。顔がシュッとしてる印象が強い。

MFサンパイオ(ブラジル/2003年~2004年/55試合5ゴール)

国内外からオファーがあったのにJ2に降格するクラブを選んでくれた広島のレジェンドの一人。ピッチ内外で強い影響力とリーダーシップを発揮。若い選手が多いチームを引き締めてくれた。2004年の契約満了時にスタッフ入りを要請したが、これを固辞して退団(後にサンパウロに移籍)。彼の偉大さを語るにはスペースが足りないので、あとは本を読んでください。

FWマルセロ(ブラジル/2003年/32試合14ゴール)

シーズン途中加入し、FWの柱として期待された。加入後は出場停止を除く全試合出場したものの、終盤チームが低迷したこともあってか1年でお別れ。なお、32試合14得点のうち5点はPKなのでPK職人のイメージが強い。

②2004年シーズン(J1リーグ年間12位)

ひやひやながらJ1復帰を果たした。FWだけ補強すれば去年からの積み上げでいけるいけると思ってたらJ1はそんなに甘くなかった。

FWチアゴ(ブラジル/2004年/10試合2ゴール)

ポストプレーヤーほしい!という願い叶って獲得した192cm大型FW。しかもフットサル出身で足技も巧み!いける!と思っていたがキャンプから怪我が続く誤算。1年でお別れ。ただ、ボールコントロールはマジで上手かった。後に岡山に加入するが、そっちでもケガばっかり。水が合わんのか…。

MFベット(ブラジル/2004年~2006年/55試合3ゴール)

サンパイオの後釜として獲得したボランチ。出場停止は多かったもののピッチ内では期待に応えていたが、ピッチ外で大問題を起こして契約解除。後にも先にもこういう事件は起きてない(はず)ので、ある意味記憶に残る選手。

③2005年シーズン(J1リーグ7位)

前年の反省を生かし、小野監督のコネを使ったレンタル補強体制を整えた1年。外国籍選手もFWとDFを獲得しました。

DFジニーニョ(ブラジル/2005年~2006年/35試合1ゴール)

広島史上最もイケメン(異論はry)。エレガントな守備が特徴。2005年前半戦はリーグ最少失点を記録するなどハイボールに強い小村徳男とのコンビはリーグ屈指だった。2006年は吉弘の台頭などもあって移籍することになったが、その美しさは今も語り継がれている(主に私によって)。

FWガウボン(ブラジル/2005年/33試合9ゴール)

ポストプレーヤーがほしい!という再度の願いが叶って獲得した187cmの長身FW。ただあんまりポストやってた印象はない。夏場に骨折したり、前田俊介や大木勉にポジションを奪われたりした結果、またもや1年でお別れ。後に甲府に加入したが、マラニョンとかがいてあんまり活躍できなかった。

FWジョルジーニョ(ブラジル/2005年/4試合0ゴール)

夢のC契約選手ガチャ(当時は外国籍選手はA契約3名まで)で引いてきたのはピチブーの弟。なんかすごそう!と思ったけど特に印象を残すことなくお別れとなった。まさかこれが来年の布石とは誰も想像しなかったのである。

④2006年シーズン(J1リーグ10位)

今年こそはと意気込んで導入した新戦術フラット4(中盤が横並び)!これでタイトル争いや!そう思ってた時期が私にもありました。

FWウェズレイ(ブラジル/2006年~2007年/56試合33ゴール)

ジョルジーニョのお兄さん。「いくら当たりFWが引けないからって33歳のロートルはないだろ」、「弟がダメなら今度は兄とか」みたいな批判もあった気がしますが、佐藤寿人とのコンビネーションは最高クラス。CKからの直接ゴールも圧巻でした。ちなみに、現在も使われている弓矢のゴールパフォーマンスを始めたのはウェズレイ(だったはず)。

FW趙佑鎮(韓国/2006年~2007年/0試合0ゴール)

本人は「チョ様」と呼んでほしかったそうだが、「超人」のほうが定着してたと思う(読み方から)。ジョルジーニョに次ぐC契約ガチャ。「調子が良ければ100m10秒台で走れると思う」というふんわりコメントが可愛い。

DFダリオ・ダバツ(クロアチア/2006年~2008年/18試合0ゴール)

クロアチアから連れてきたペトロヴィッチ監督の教え子。右ストッパーとして活躍が期待されたが、度重なる怪我と大怪我もあって出場機会は少なかった。森崎和幸がグロインペイン症候群になったとき病院を紹介してくれたような記憶があるけど違ったかな?

⑤2007年シーズン(J1リーグ16位・天皇杯準優勝)

ペトロヴィッチ監督を緊急招聘して乗り切った昨年。もう監督交代とかは財政的に無理やねん…ってマジで!?緊急補強は一人だけしか無理よ?の年。

DFイリアン・ストヤノフ(ブルガリア/2007年~2010年/85試合6ゴール)

千葉のお家騒動で放出されたところを強奪。直接FKの精度もさることながらライン裏に繰り出すロングフィードは絶品。タイミングよく走りこまないハンジェが怒られまくった。また、足とかが接触しても必ず頭を押さえるので、「イリアンが頭抑えてるときは大丈夫のサイン」というのが広島サポの共通認識だった。ブルガリア料理屋さんを山口で開業中。

⑥2008年シーズン(J2リーグ優勝)

二度目の降格を喫してしまい、1年でのJ1復帰が至上命題とされたシーズン。最優先にテコ入れすべきはFWとなりまして。

FWステパン・ユキッチ(クロアチア/2008年/11試合0ゴール)

映像を見た瞬間その風貌からヤバい奴が来たと話題に。グラサン写真もあったはず。しかし、見た目に反してナイスガイ。ゼロックス杯(当時はJ2でも出場できた)で大活躍して優勝に貢献した…までは良かったが、ケガなどで出場数は伸びず1年で退団。きちんと爪痕は残した気がするけど。

⑦2009年シーズン(J1リーグ4位)

1年ぶりのJ1。前年でも明らかにネックとなっていた右WBを優先補強ポイントとして獲得を目指した。

MFミハエル・ミキッチ(クロアチア/2009年~2017年/221試合8ゴール)

広島に舞い降りた天使。出場試合数を見ればわかるように、00年代~10年代における最高の外国籍選手であり、同一クラブで9年連続出場は当時史上最長タイ(現在はC大阪のキムジンヒョンが更新中)。広島を愛し、広島に愛された選手だった。

ネット上には残っていないが、ミキッチのプレーで最も印象的な試合はデビュー戦でもある2009年の開幕戦・アウェイマリノス戦。今まで見たことのない圧巻のスピードで右サイドを切り裂き、チャンスを量産。ただし、「得意だ」と豪語するCK、PK、シュートが明後日の方向に飛ぶ。元FWなのに滅多にゴールしないのでミカがゴールすると「年一!」と喜ばれた。

スピードスターに対して他チームは対策を重ねていき、突破してクロスを上げることが困難になると、ミキッチは左足の抜き切らないクロスの練習を重ね、選択肢を増やした。そういう努力家なところが長く広島でプレーを見られた理由だと思う。

彼が愛された理由はそれだけではないし、彼だけでなく彼の家族もまた愛されていたと思う。これ以上書いたら大変な量になるのでこの辺でやめておきます。続きはフットボール批評で。

⑧2010年シーズン(J1リーグ7位・ナビスコ準優勝)

ストヤノフとミキッチの2人体制。つまり新加入なし。

⑨2011年シーズン(J1リーグ7位)

ペトロヴィッチ体制最終年。「結果を出すべし」となったのかは定かではないけど、外国籍選手を2人獲得してお金かけて本気を出した。

MFアンテ・トミッチ(クロアチア/2011年/9試合1ゴール)

ストヤノフが抜けたためリベロ候補として獲得。186cmと大型で期待されていたが、ケガとかもあって出場機会は限られてた印象。というかあんまりリベロに向いてなかったと思う。後に愛媛に加入したがそちらはボランチで頑張ってた。クロアチアの大学を出た頭のいい人で、ザグレブの経営者になるのでは的な噂を聞いたような聞かなかったような。

MFムジリ(ジョージア/2011年/34試合6ゴール)

33歳ということもあり、走るという点では微妙なのだが大事なポイントを押さえて着実に結果を出すタイプの「仕事人」。ジョージア(当時はグルジア)出身のJリーガーは今のところムジリだけという点も特筆すべき。

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とりあえず2011年までは頑張った!次回はこっち。


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