嘘から始まる真の恋?-映画『ライアー×ライアー』感想文-

自担であるSixTONESの松村北斗さんがW主演を務めた映画『ライアー×ライアー』を鑑賞したので感想を綴っていこうと思います。途中ネタバレがある為ご注意下さい。

1.森七菜ちゃんの演技がめちゃくちゃうまい
 私的森七菜ちゃんの印象といえば朝ドラ『エール』の梅ちゃん。しかし、職場の勤務時間が通常に戻り途中から朝ドラを見なくなってしまい、巷で話題となった『この恋あたためますか』も見ていなかった為彼女の演技をきちんと見るのが今回が初めてだった。彼女の演じる湊・みなの表情が豊かで本当にラブコメ初挑戦か!?と驚いた。特に透のど直球な愛情表現を受けて困惑する姿が見事だった。また、テンポのいいお芝居で見ているこちらが引き込まれた。福田雄一作品に呼ばれるようになったら更にコメディエンヌとして化けるだろうし、この人はドラマよりスクリーン作品に出続けるべき女優さんだなと思った。


2.松村北斗の醸し出す透の切なさとわんこみ
 北斗くん演じる透は湊に対する素っ気無い部分とみなに対する愛情表現ど直球なデレの部分の落差が大きい人物である。特にみなに対する愛情表現が子供というよりもはやわんこのようなのだ。おたくによるフィルターがかかるが、松村北斗のおたくの大部分は主ステージ上での彼のことはえっちなお姉さん、普段はわんこ(しば犬)だと思っている節がある※諸説あり。普段から松村北斗=わんこと思っているおたくでもあの無邪気な笑顔はずるい。また、透目線での物語が進む後半パートでは透の切なさのようなものが見てとれた。女たらしって言われてるてるけど、後半パートの切ない表情を見せる透を見たら高槻透というキャラがより一層愛おしく思えるはず。


3.耶雲監督作品特有の映像美と小物づかい
 私が初めて耶雲監督を認識したのは映画『百瀬、こっちを向いて。』である。もともと原作小説が好きで見ることになったのだが、作品の内容はともあれ印象に残っているのは映像美だ。『百瀬、こっちを向いて。』も10代の男女の恋模様を描いた作品だが、10代特有の儚さと初恋の切なさが映像美によってより際立っていた。北斗くんも舞台挨拶午前の部で耶雲監督の映像美について言及していたが、水族館や木の下のシーンは特に印象的だった。
 また、百瀬の話になるが百瀬と徹子がお手洗いで化粧直しをするシーン。メンソレータムのリップを塗る百瀬に対し、サンローランのリップを塗る徹子。このシーンだけで百瀬と徹子の貧困差、持っているものと持っていないものの差が浮き彫りになり、秀逸な描写だなと思った。ライアー×ライアーでは真樹ちゃんが湊にギャルメイクをするシーンが印象的だった。漫画では湊がデフォルトのお団子頭を下ろしてギャルメイクすることによりみなに変身していたが、対して映画では化粧するシーンを小物共に見せることで劇的な変化を表現した。また、湊でいる時は露出の少ないTシャツやオーバーオールを基調とした服装に対して、みなでいる時は脚を出してギャルっぽさを出してる。ギャルは冬でも生足だもんね!脚を出すみなのファッションに対し、真樹ちゃんは肩や腕を出していた。脚を出す=JKぽっい、肩や腕を出す=大人っぽさの対比がうまく表現されているなと思った。


4.脇を固める個性豊かな俳優陣
 『ブラック校則』のことね役のイメージの堀田真由ちゃん。キャスト発表された時は、堀田真由ちゃんがギャル!?と思ったけど真樹ちゃんめちゃくちゃハマり役だった。実写版真樹ちゃんはそんじょそこらのギャルとは一線を画してガチゼミに入って夜遅くまでグループワークしてそうだし、インターン行きまくって早期に広告代理店あたりから内定もらってそう。姐さんだった。
 烏丸くん役小関裕太くん。小関くん演じる烏丸くん漫画から出てきたのか!?と思うクオリティ。犬山城めぐりの夜のシーンの湊に対する嫉妬心と未練タラタラ感がさすが。
 会長役の板橋駿谷さん。坊主じゃない!?仏像好きというよりもはや戦国武将好きなのでは…と思ったけど見事に会長役演じきってくれました。ドラマ相棒に出でくる舞台出身の俳優さんみがすごかった。



5.物語の余韻に色を添える主題歌『僕が僕じゃないみたいだ』
 『僕が僕じゃないみたいだ』を初めて聴いた時からこれは透目線で描かれた曲なのではないかと思っていた。みなと出会い変わっていく透。しかし、これは湊・みな目線も当てはまる曲のように思える。みなとして透と付き合うことで、透の見た事ない表情や言動に心動かされる湊。まさに自分が自分ではないみたい。切なさと爽やかさが相まったこの曲が物語の余韻に色を添える。ちなみにエンドロールまでが映画だと思っているので、これから観に行く人はエンドロールで席を立たず最後まで観てください。


◎原作と映画での相違点◎
・真樹ちゃんの懐かしの制服を湊が着て渋谷に行った→真樹ちゃんの撮影バイトの手伝いの為湊が制服を着て渋谷に行った
・湊と烏丸くんのお城めぐり先が彦根城ではなく犬山城
・会長がぽっちゃり、坊主姿じゃない
・桂くんの透がバレンタインでもらうチョコハンターという設定が明かされていない
・塚口先輩、周先輩が登場しない
・湊と烏丸くんの別れがクリスマスからハロウィンに変更
・透が日本史研究会に入らない
・湊とみなが同一人物であることが烏丸くんにバレるタイミングが異なる。湊がみなの姿で透とデート中に烏丸くんが遭遇し後に湊から説明。→烏丸くんが高槻家にやって来た夜に公園で湊が烏丸くんに説明
・湊とみなが同一人物であることが透にバレる経緯が異なる。透がみなと別れ湊との姉弟仲がよくなった時期に透が湊の部屋でみなの携帯を見つけてしまう。→お母さんの発言からみなと湊が同一人物ではないかと怪しむ。透がみなの携帯に電話したところ隣の湊の部屋からみなの携帯が見つかることで発覚。

 既刊10巻の漫画のストーリーを2時間にギュッと圧縮するには取捨選択や改変が必要な部分もあるが、許容範囲内ではなかっただろうか。耶雲監督はじめ原作がある作品を映像化することが得意なスタッフが集まったように思うので、原作に対するリスペクトが感じられた。ただ、少し残念に思った点が透の人としての成長があまり描かれなかった点である。
 原作7巻にあたる映画後半で透の嘘と真意が明らかになる。なぜ、透が女癖の悪い男になったのか。それは透が湊のことを好きだったからだ。連れ子同士の再婚でお互いの顔合わせや馴らしの為に湊親子と会ううちに湊のことを好きになる透。家族になって一緒にいられるのは嬉しいと思ったものの湊への恋心を隠すことにした。幼少期は一緒に遊んだりお手伝いしていたのに、次第に湊に対し素っ気ない態度をとっていく透。中学に上がり流されるまま素行の悪いことで有名な先輩と初体験をし事後を湊に見られててしまったことで、湊は潔癖症になり露骨に透を避けるようになる。そうして、来るもの拒まず去る者は追わず何股もかける女癖の悪い男に透はなってしまったのだ。そうなっても心の底では湊が好きで頭のいい湊に追いつくため高校も大学も同じ学校を選んだ透。めちゃくちゃ健気なのだ… ただ、女癖の悪さ故に友達は桂くんのみ。サークルにも入っていない。原作ではひょんな事から透が湊と同じサークルに入るのだが、そこでの交流を通して友達ができたりコミケや合宿など大学生らしい生活を送るようになる。
 また、中学〜大学初期(みなと付き合う前)の透は女癖が悪い=寄ってくる人なら誰でもいい。本当に愛していないという自分を大切にしていない交際を続けてきたのだ。それが、みなと出会って遊びの女の子を切る透。自分の好きな人に似ている人と付き合う事で結ばれない好きな人を投影している恋愛は健全とは言えないが透は変わっていった。そこの所の心理描写や成長をもっと丁寧に描いて欲しかったが、尺の関係上仕方ない。

おわりに
 長々と書いてしまったが、本作はラブコメが苦手な人でも観れる映画である。少女漫画原作の映画化というとキラキラして甘酸っぱくて見るに耐えないという人もいるだろう。しかし、本作はそんな人でも見れる作品となっている。いわば『50回目のファーストキス』とボーイ・ミーツ・ガールが合わさったような物語である。
おたくとしては自担がコロナ禍の中一生懸命撮影してできた作品なので是非とも多くの人に観てもらいたい。