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号外!!!1971年12月14日東京カテドラルの結婚式で横木の撮影してくれた写真が半世紀後に届く、こりゃ凄いタイムマシンだな

1971年12月14日は冬晴れの寒い日であった。東京カテドラルで結婚式を挙げたのである。東京カテドラルと言うのは私はそれなりの関係があってまず建設中の丹下謙三の建物をずっと音羽5丁目2番地の2階から見ていたことがある。まさかあんな形のモダンな教会になるとは思わなかった。

それに関連して許可を得て東京カテドラルを撮影していたらそれの関係で当時の土井枢機卿がバチカンに行く時に完成したカテドラルの写真を持参すると言うので私のプリントした何十点の写真を持っていらしたことがある。だから私のその当時の写真はバチカンのどこかのライブラリーでいまだに保管されている可能性が高い。

東京カテドラルの結婚式は当時はちゃんとカソリックの事前の教育と言うものが何回かあってその費用というのが30,000円であった。私の日本デザインセンターの初任給が35,000円だから結構高価だった。と言うよりかこれが常識の費用も含まれていたのかどうかのそこら辺はもう忘れてしまった。

家人の場合はミッションスクールを出ているからキリスト教には近しい存在であったかもしれないが私の家は真言宗であるから全く関係ないわけだ。数百年前だったらまさに宗教戦争になるところだな。カソリック世界から見るとファーイーストのこの国はつい最近まで宣教区ではなかったか?

でもその後オーストリアのウィーンに住んだから考えてみれば1971年の結婚式の後にずっとカソリックのパワーの県内にいたからまんざら無関係と言う事でもないのか?

今ではスーパースターフォトグラファーの横木さんであるが当時はまだ無名の新人であった。その彼も含めて結婚式の会場にはまるで芸能人のパパラッチさんみたいに10人ぐらいのカメラマンがいたのであるが、さてそのよくよく年の5月にオーストリアのウィーンに移住してそれから友人の榎本がポストカードの結婚式の写真を1枚だけ送ってくれただけで後は音信不通であった。

横木はその結婚式の模様をブックにして私にプレゼントしてくれると言うので実際にそれを用意しておいたのであるが私は長年ヨーロッパに行ってしまうし横木は自分自身が超有名写真家になってしまったから、東京で遭遇するなどと言うのは時空間的に不可能である。

それが今回の東京を取り始めて50年と言うギャラリーバウハウスの私の個展の時に来てくれて私の写真のクオリティーが良いと褒めてくれたのだそうである。その時にギャラリーバウハウスの小滝さんと会話をして私がまた土曜日に来ると言う話を聞いたのでわざわざ50年前の結婚式の写真を届けてくれたのである。

感謝以外の言葉では表現できないなぁ、、、

ちょっと説明しておくとその時にはちゃんとキャビネの組み立て暗箱の写真屋さんがいたのである。写真屋さんは2枚ガラスプレートの写真を撮るのである。ところが家人は写真に撮られられ慣れていないのでその2枚の両方のショットで目をつぶってしまった。だからトラディショナルな結婚写真の場合閉じた目を修正して普通の人の目に直してあるから、私の隣に座っていた花嫁さんは全く知らない人に見えるのである。そういうバックグラウンドがあるので横木の50年ぶりにプレゼントしてくれた1連のイメージが嬉しいと言うわけだ。

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