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号外!!   1947年にできた友人スミスの愛機コンタックス最初の一眼レフカメラを知らない人がいる。

友人スミスをテーマにした映画水俣がかなり人気のようである。初日に見に行った人などは朝から泣きましたと言っているのでびっくりしたのはハリウッド映画と言うのは最初からなくものだと決めているようなところがあって私からすると実に奇っ怪である。

水俣のテーマの今回の友人スミスのハリウッド映画であるが友人スミスのアシスタントをやった写真家石川が彼の週刊金曜日のインタビューで開口一番、ハリウッド映画ですねと言っているのは非常に正しい。私は映画に関しては非常にコンサバであって映画関係者で認めるのは営繕シュタインとジョナスめかす位のものだ。水俣の映画も予告編を見てあきれ果てて出かける元気など最初から出るわけがない。

ただし映画では結構真面目な作り込みをしているようであって70年代初めに友人スミスが来日したときの税関申告書をもとに使っているカメラが再現されているのだそうである。それと衣装に関しても友人スミスが当時来ていたものを参考にして似たようなものを作ったと言うがこれはどうもハリウッドの映画産業に付属しているぶら下がりの企業をTake Careしたものとしか思えない。なぜなら私は写真家になって50年になるがきているものは50年前といささかも変わっていないからだ。

友人スミスが若い頃に使っていたカメラを調べていたら面白いことにコンタックスが1947年に出したコンタックスエスをスミスが持っている写真が出てきた。面白いのは一眼レフを使うときにスミスはいつもハンドグリップをつけているのである。60年代にスミスのアシスタントを務めた森永さんの話をギャラリーバウハウスで聞いたことがあるが6台のカメラ全てに全部ハンドグリップがついていたそうだ。1種の完璧主義者であるところがスミスの独壇場である。

森永さんによるとプリントの焼き直しを100回やらされたりとか言うからカメラアシスタントの戸塚ヨットスクールであるかと思っていたが、70年代に水俣でアシスタントを務めた石川さんの話によるとスミスと言う人はすぐ泣いたりするのだそうである。写真家が涙腺がゆるいと言うのは私はあんまり信用できないけども一体どういうことになっていたのだろうか?

ところで最近私がびっくりしたのは友人スミスが使っていた1947年登場の一眼レフのコンタックスのことを書いたらFacebookでよく知っているジェントルマンがコンタックスの一眼レフ?と言う書き込みをしてきたのである。これは当時のタイムライフの写真家などに非常に愛用された一眼レフであった。当時のタイムライフの写真家の使い方を見てると標準とか広角レンズはライカやコンタックスのレンジファインダであって180ミリ前後の望遠レンズをつけたのがコンタックスエスの役割なのである。

ご覧のように1947年生のコンタックスはデザインが素晴らしい。1970一年にポルシェデザインとか言うので登場したコンタックスRTSとは比較になりません

このコンタックスエスは私にはお馴染みのカメラであって、アンドレ・ケルテスが1960年代に5番街の30回位の自分のアパートメントから下を撮影した1連の有名なシリーズがあるがこれも300ミリレンズ付きのコンタックスエスなのである。そういう大写真家の真似をして私もこのカメラを愛用して50年になって今でも使っているのである。

ノートの画像システムと言うのはヘンテコリンでオリジナルの画像はカメラの上にまだ若かった頃の友人スミスの顔が写っているのであるが館横の比率でどちらかを捨てなければならないと考えたときにこの場合はコンタックスエスの方が友人スミスより重要であると言うことに鑑みてカメラの方をメインに入れたのである。
まだ公式発表は無いようであるが10月の16日土曜日の午後6時から友人スミスの作品展を開催中のギャラリーバウハウスで、友人スミスの仕事についてのトークをやる予定だ。

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Eugine Smithが写真のドキュメンタリーで力を持っていた時代とそうではなくなった現代の間でわれわれは写真の

何を失ったかと言う話をします。

アメリカ現代写真の良き理解者Kazujhiko MotomuraさんはSmithに頼んでRobert Frankを紹介してもらって本格的なお付き合いが始まったそうです。

アメリカの現代写真のこの半世紀の間にフォトドキュメンタリーが失ったものと、偉大な写真家がストレートフォトグラフィーの評価を正当に受けるようになって喜ばしいこと。
公開中の映画
Minamataとニューヨーク6番街821番地のジャズロフトのお話も。

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