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号外。昨日の続き。横木の写真運動CRP Tokyo 等について考えてみる

横木が50年前の私の結婚式の写真をギャラリーバウハウスに届けてくれて感謝感謝と言うところから彼のやっているCRP東京と言う写真運動について考えている。

横木のブログでその歴史とか背景はよく理解できて共感できるところがある。横木は写真のビジネスが1番高揚した頃に仕事をしていてそれを自慢話としてではなく過去の体験としてネガティブに批判していると言うところが共感が持てる。私もそうであって1時は年間の売り上げが30,000,000円位あったのであるがそれは一瞬のことであって今は貧困老人家庭である。

ヨーロッパに生活した7年も定収入は無い状況だったが今考えてみると40年前の方が今より生活にゆとりがあったのが滑稽であり不思議でもある。

ところで写真家として大切なのは自分のアイテムとしての意思をちゃんと持って同時にそれを長い時間継続していることだと思う。横木の女優さんを取ったシリーズは私がそれらの人が何か分からないから評価できないのであるが、一方で私が評価しているのは彼のスナップシューティングなのである。

私も赤羽をよく撮影するのでその写真と横木とそのカンパニーが撮影している写真を頭の中で比較検討してみると、どちらも基本的スタンスはコンポラ写真ではあるのだけれど、私の写真の場合はスナップショット美学を象徴化しようとする無駄な動きが感じられるのに対して、横木とそのカンパニーの赤羽の仕事は私のヘンテコリンな芸術思考に比べると極めて視神経の反応がストレートである。そこを評価する。

昨日の号外でもちょっと触れたが横木の目指しているのは学生運動というか写真的学生運動と言うべきかそれとも新しい東京の地名論のムーブメントと言うことができる。

250ページ近いデジタル写真集が250円でも悲惨であるがAmazon Prime会員だと無料で読めてしまうと言うのは残念至極と言うほかはない。10年位前であったが横木が写真の新しい運動として、オリジナルプリント売りましょ、買いましょ!と言うかつてのポルトガルの海外交易みたいなことをやっていたが、横木位のビッグネームがプリントを3000円位で売ってしまうと言う社会奉仕の精神が痛ましい。

昨年のアサヒカメラと今年の日本カメラのショックでいろいろ考えている暗闇の中であるが横木のやっている学生的ムーブメントと言うのは方向性としては正しいと思う。ペーパーに印刷された写真集でもカメラ雑誌でも我々はこれをステータスであると言うふうに認識しているのでそういうグーテンベルグ以来の人類の価値観がそんなに簡単に否定できるものではない。

にもかかわらず我々はどこか新しいフェーズに向かっているのは確実なのである。

1番皮肉なのは例えばこのノートと言うやつである。ノートの人気ライターと言われている連中がペーパーの本を出しましたと言うことを、編集部などは大成功のように紹介しているのが滑稽である。ペーパーの印刷物の限界を感じているからみんなオンラインのノートでがんばっているのが本当なのではないか?

私が5年前に出した佃日記と言うのは15,000円の大きな本であるが、周りの読者の皆さんの話を聞くとその本を枕にして、佃日記はオンラインデータで読んでいるのだそうである。これは皮肉でも何でもなくて印刷物とオンラインの未来的な位置を推測する参考にはなると思う。

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