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エルンストライツのライカビットを後追いする形で日本のキャノンがラピッドワインダーを出した。ニコンのレンジファインダのほうはそれを追従することがなくてしばらく経ってからもっとオートメーションなモータードライブ装置を登場させたのである。
キャノンのラピッドワインダーを愛用した世界で1番有名な写真家はKitai Kazuoである。第一回のアサヒカメラの木村伊兵衛プライスをゲットしたこの写真家は若い頃どこかの783でラピッドワインダーがついたキャノン2dを7000円で手に入れたそうだ。その主題はこの写真家と一緒に1980年に何ヶ月もヨーロッパを一緒に旅行してホテルの同じ部屋での四方山話の時に本人から聞いたのであった。
スウェーデン生まれの報道写真家トムエイブラハムソンは報道写真の現場で何台ものライカビットがついたらライカエムピー使い壊したのだそうである。それでもっと良いクオリティーのライカビットMPを使うとしてもそれがないので自分で会社をカナダに設立した。
ライカビットとかラピッドワインダーと言うのはフィルムをたくさん消費すれば下手な鉄砲も数打てば当たると言う単純無視な我々カメラ人類の勘違いの上に構築されているのだ。
巻き上げレバーの位置をカメラのトップにするかそれともボトムにするかと言うのは非常に重大な問題であった。特にセレン色メーターがカメラに組み込まれた後は巻き上げレバーは全部カメラのボトムのほうに追いやられた。レチナカメラなどがその典型である。
宇都アンリカルティエブレッソンはライカM3の愛用者であるし、ロバートフランクもライカM3の愛用者である。しかし彼らがライカM3にライカビットMPがついたモデルを使っていると言う姿は滑稽で想像することもできない。本物の写真家はこんなヤクザなアクセサリーは使わないというのが真実なのだ。