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スナップ写真取り始めて半世紀スナップ写真について考えてみる

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黄金週間スペシャル スナップ写真と言うよりも我々が真面目に取り組み真面目に見なければいけないのはストレートフォトグラフィーと言う写真の存在である。これこそ写真の最も重要なキーポイ…
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#田中長徳

カメラノートスペシャル.  その1  スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。

20年ほど前にカメラジャーナルと言う8ページのペラペラの写真雑誌をやっていた。毎月1つのモダンカメラとかクラシックカメラを取り上げるのだがミシュランみたいに点数までついていると言うやつで結構よく売れた。それでその価格が100円なのである。1番よく売れたのはヨドバシカメラであった。皆さんポイントを持っているからそのポイントを利用して100円で気軽に買ってくれるので。そういうヨドバシカメラのお付き合いが昔からあるので私が単行本を出すとこんな具合に良い場所に置いてくれるのである。も

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カメラノートスペシャル. その2 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。マンハッタンで撮る

雑誌の仕事等でマンハッタンに行くと言うのはストレスになる。というのも名所とか 有名な建物とか素敵なレストランとかその料理などである。そういうのは雑誌の主題であるから仕方がないとは言え本当に面白いのはマンハッタンの路上なのである。だからできることならば仕事なしでマンハッタンに行くと言うのが1番面白い。マンハッタンの路上で1番面白いのは人物である。日本の場合はこれは何と言うのか個人というのが存在しないから個人は自分以外の大勢の人にどう活用としてみんなおんなじ行動パターンなのである

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カメラノートスペシャル. その3 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。ポルトガルのリスボンでスナップ

初めてリスボンに行ったのは1980年の秋であった。当時住んでいたオーストリアのウィーンと言うところはヨーロッパの東の果てである。その秋はドイツのケルンに取材に行ってその後パリに行って、いきなり思いついてパリのおしてる立駅から夜行列車ででリスボンに向かったのだった。夕方にパリを出てリスボンに着いたのは翌々日のお昼である。これがヨーロッパを旅するときの正直な時間経過と距離の感覚と言うものだ。今のようにヨーロッパの主要都市から飛行機で1時間と言うのではあまりにも面白くない。

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カメラノートスペシャル. その4 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。Wien Monochrome 70sと言う写真集

これは私の写真集である。ハードカバーで箱に入っていて500ページある。重さは2.5キログラムある。最近はそういう馬鹿なことが考えなくなったけど、10年位前にやたら大きくて重くて分厚い写真集を作ろうと思ったことがあった。とりあえず1000ページの写真集を作ろうと思って、束見本と言うのであるが実際の本のダミーを作ってもらって印刷代から届いたら重くて持ち上げられなかった。それが1000ページである。私の写真展のオープニングなどでこれを販売してお客さんにこれを買って帰ってもらうのは恐

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カメラノートスペシャル. その5 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。 オーストリアウィーン1973

スナップ写真は出会いの瞬間の迅速な反応である。どこかの世界的有名写真家の制作ノートにそんなことが走り書きされていそうだ。実際そうなのである。写真家はカメラをぶら下げて時間軸と空間軸の両方を体に引き受けながら世界中の街をうろうろしているのである。五感の感性を広げて何かが自分のクモの巣に引っかかるのを期待しながら街を北輝歩いているのである。まず組もうと言うよりか野良犬であるのだがその事は森山大道さんの名作振り返った野良犬に証明されている。でもこれが勘違いの元なのは写真美学として考

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カメラノートスペシャル. その6 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。銀座ソニービル1968

弟写真家エルスケンが来日して銀座の高速道路の上から数寄屋橋交差点をロングショットで撮影したのは1958年であった。その時の写真を細かく観察すると銀座の有名な名所であったソニービルと言うのはまだ建設されていなかった。私の不確かな記憶をたどれば60年代の後半にこの未来的なビルが竣工した記憶がある。

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カメラノートスペシャル. その7 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。 東京1966日大写真学科の通学路

29歳の頃ヨーロッパのウィーンでフォルカーシュレンドルフの映画撮影を手伝ったことがあった。シュレンドルフがまだ30代で駆け出しの映画監督と言う時代の話である。それで実際の撮影の段取りを見たりしていて面白いのは、主役が重要なのはもちろんであるがその主役の周りで自然な街の時間の動きを作り出すいわゆるエキストラの役割が大変重要なことであった。

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カメラノートスペシャル. その8 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。カイロエジプト2009

ノートのレイアウトが使いにくいので一応説明しておくがここに掲載した写真はiPhoneで撮影した縦画面である。それで写真を説明すると写っているのはピラミッドの入場チケットである。上に写っているのは本物のピラミッドであるピラミッドのトップが切れている。だからこれはそれほど重要なことでは無いのだけれどもこれをご覧になる皆さんは想像力を働かせてピラミッドのトップまで存在するというふうに考えていただきたい。

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カメラノートスペシャル. その9 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。 北京の路地裏空に駆け上がる自転車

北京でオリンピックが開催された前後の10年近く私は北京に行かなかった。私のなじみの昔の町並みが全部更地になってしまいその後に世界中のどこにでもあるようなショッピングセンターがどんどん立ってしまったので興味を失ったのだ。開発から無関係の所と言うと私の狭い体験では北京の試験場から北に1時間ぐらい歩いたところにあるベルタワーとその周辺である。

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カメラノートスペシャル.その10  スナップ写真取り始めて半世紀 ここらでスナップ写真について考えてみる。 催涙ガスの神田カルチェラタン1968

神田カルチェラタン1968 御茶ノ水と駿河台下の道路が封鎖されたのである。私は大学3年の時で日大闘争もあった。当時は写真学生はデモンストレーションを取ると言うのが普通の行動のパタンであった。だから私のようなノンポリ学生も。撮影に出かけたのである。東京の八重洲口がデモ隊でいっぱいになるようなそういう状況は今の人が信じられないかもしれない

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カメラノートスペシャル. その11 スナップ写真取り始めて半世紀ここらでスナップ写真について考えてみる。大観覧車ウィーン2016

神田明神の脇のギャラリーバウハウスでの個展のために撮影に行ったときのスナップショットである。1月の季節でマイナス6度位だから暖冬と言うこともできる。この冬のありがたかったのは2週間ほどの滞在で天候が良かった点である。私の記憶によればだいたい秋の終わりから復活祭が終わるまではウィーンと言う街は光を失ってまるでモノクロームの世界であった。それに慣れてしまっているので冬はモノクロームだと思っていたのであるがこの撮影に行った時はちょっと考え方を変えざるを得なかった。

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