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九州ゆるり旅④(阿蘇・豊後竹田の巻)
別府、湯布院、黒川と温泉場の旅でしたが、最後は、大自然、阿蘇と竹田キリシタンの里を訪ねることになりました。豊後竹田は初めての地で、かねてから行きたいと思っていたけれども、文献・資料も少なく謎多きところなのでした。
阿蘇からの展望は如何に…
朝からかなりの雨。阿蘇山周辺は学生の頃に来て以来、その時も雨に降られた記憶が…、しかし、都心とは空気も違うので、展望が良くても悪くても気持ちが良いものです。
今日は熊本の30代のクリスチャン繋がりの知人夫妻に車を出してもらって、同行してもらうことになりました。午後の方が天気が悪いため早めに動きましょうと気を使ってもらい、早めの出発に。目指すは「大観峰」という展望所。
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ジオサイトの看板を見ていると、ボランティアのガイドのおじさんが丁寧に阿蘇山の成り立ちを開設してくれました。質問&トークで、「ブラタモリ」さながら。しかもガイドのおじさん、なんの伝手もなく、関東から(サイコロ転がして?)この阿蘇の地に来て、自分も一から勉強しながら、第二の人生をガイドとしているとのことで話が尽きず…。
ガイドさん「阿蘇山は水が美味しんですが、一体何年かかって降った雨が、湧いてくるのでしょう?」
娘「50年!」
ガイドさん「正解!何で知ってるの?? 場所によって差がありますが、20年から数十年云々…」
(娘は別府地獄谷温泉ミュージアムで学んでいたのでした…)
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ここは風が通るんでこういうことがあるとのこと。少し谷間になっているので下からの風で視界が開けるのでしょう。「大観峰」の場所はここから数分歩いた先です。せっかくなので行ってみましょう、ということになり、歩き始めました。
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ガイドさんもあとから追いかけてきてくれましたが、「もう今日はダメですよ」とのことで、ここまで来て即撤退。それでもカルデラの内側の展望が見えて良かった!
馬刺し&あか牛で腹ごしらえ、いざ豊後竹田へ
雨脚が強くなってきましたが、安全運転で車を走らせ、ご夫妻がおススメしてくれた食事処、日本料理「さか本」へ。
11時からの開店時間のはずが、今日はちょっと準備が出来てないんで、30分待ってくださいとのこと。(首都圏ではあり得ないですが(^^;)車で待機すること20分くらいで入店。
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学生の頃、熊本で初めて食した馬刺しは記憶に残るくらい美味しかったですが、その頃から「あか牛(丼)」ってあったんでしょうかね。こちらもメジャーな熊本料理だそうです。
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やはり九州旅行には、美味しいお肉は欠かせないです。さて、少し早めの腹ごしらえをして、ここから1時間もかからずで、いよいよ豊後竹田です。駅前の駐車場ですが、駅の北側は自然の要害みたいな場所。洞穴のような神社?、滝のようなものも見えて、変わった雰囲気の駅周辺。
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驚愕!「竹田キリシタン資料館」
駅から歩いて数分、やって来ましたキリシタン資料館。城下町の中心街にひっそりとあります。
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入り口で全ての展示物を見渡せるくらいのこじんまりとしたワンフロアに、竹田キリシタン年表からスタート。展示物、一つ一つを見ているとムムムっ、えええっ、なんだこれは!?という展示物ばかり。
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突然熱心に見物する5名の若者!?が入ってきたので、館長さんから早速レクチャーを受けるのでした。展示品を見ながら、激熱レクチャーが続き、なんだそれは!みたいな話ばかり。
まずはこの鐘、「サンチャゴの鐘」。17世紀のキリシタンベルは日本に4つしかなく、そのうち最も大きいもので、かつ本物。裾の部分に1612年と書かれており、鋳造されたのが、奇しくも禁教令が発令された年。その上に、「HOSPITAL SANTIAGO」と書かれていて、これは元々は長崎にあったイエズス会のサンチャゴ病院の付属の教会の鐘だろうことはほぼ確実なのですが、なぜ竹田に来たのか、その経緯も謎。この鐘を明治になるまで260年近くも、この岡藩で保管していたことも謎。
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次に「聖ヤコブ石像」、こちらは所有者の自宅の裏山から昭和36年に発見され、サンチャゴの鐘と近い所だったとか。聖ヤコブはスペイン語でサンチャゴ(ラテン名はSanctus Iacobus)。これが聖ヤコブだという根拠は文献も何もないのですが、どうみても日本のモノではなく、髪の毛の部分の彫りなどは日本ではない技術だそうで、岩石学の視点からも砂岩ではあるが、日本の岩ではないとか。後ほど訪れる岡城に、鐘と共におそらく隠されて保管されていただろうということ。
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もともと、豊後一帯は、ザビエル来日後、キリシタンがものすごく増えた地域で、この岡藩も相当数のキリシタンがいたようで、詳細は別の機会に書きたいですが、この地は、隠れキリシタンではなく、藩ぐるみ!?で隠していた、「隠しキリシタン」だったとのこと。
お次は、この木箱。こちらは、平成になってから天草から寄贈されたもので、大きさから甲冑が入っていたのではないかと。そしてここに記されている家紋は「中川クルス」と言って、十字架を模した岡藩中川家の家紋であり、どうも島原の乱の鎮圧に岡藩も出陣していることから、それがずっと天草に保管されていたらしい。
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敵・味方を超えてキリシタンのつながりがあったのではないか…、とか。
極めつけは下記の珍事。禁教令が出されてから100年以上も経って、藩内で踏み絵を行っていたところ、そこに来た人達の多さに床の底が抜けて、転げ落ちた地下室にはマリヤ像やら祭壇やらが置かれており、礼拝する場所だったとか。この屋敷は藩の役職を担うほどの主人だったとかで大騒ぎに。
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いろいろと想像を搔き立てられるようなエピソードばかり、館長さんも話が尽きず、一つのネタで、三日三晩寝ずに語れると仰ってました(^^;
他にも隠しキリシタンにちなんだ遺品や逸話が満載なのでした。同じ旨の私キリシタンとしても、驚愕を通り越して、天を仰ぎ見、感謝と喜びと笑いが出てくるような資料館でした^^)
いわゆる「教科書では教えてくれない歴史」みたいな話は別の機会に!
竹田の城下町散策
学生の頃、長崎で、二十六聖人や踏み絵を見た時の衝撃とは、また別の衝撃を受けながら、資料館を後にしました。
ここから城下町散策、地図を見ている限りではそこまで広くはない城下町ですが、石垣が特徴的。
まず目指すは、キリシタン洞窟礼拝堂。
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民家の裏手の山の中に礼拝堂がありました。ここで礼拝を捧げ、江戸時代も破壊されなかったとすれば、過去はもっと鬱蒼とした林だったのでしょう。
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礼拝堂によく似ているらしい
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礼拝堂を後に、一回りします。こんな街並みも。
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三代目藩主中川久清の時から、水路の整備を行ったらしく、藩の石高を大きく伸ばした。これら時間を作ってじっくり拝見したいところです。
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ここで一休み。
「竹田カフェ」、ここはコーヒー診断なるものをやっていて、スマホ使ってちょっとした診断をやると、その人にあったオリジナルのコーヒーを提供してくれます。
私以外はみんなやりましたが、「なかなか、当たっている!」ということで盛り上がり、コーヒーの味も微妙に異なり、楽しいひと時でした。
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荒城の月、「岡城址」
豊後竹田、最後の訪問地は「岡城」。閉園ぎりぎりで、滑り込みました。駐車場から、本丸の方に向かい歩いていきます。
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こちら「かまぼこ石」というそうで、岡城や岡藩内の寺社仏閣で見られる
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当時の岡藩の石高に対して、このような立派な石垣で作られた岡城は規模が違い過ぎと言われているそうです。確かにその通りで、関東ではこんな立派な山城でかつ石垣をもった城はちょっと思い浮かびません。小諸城もすごいですが、石垣の精緻度と大きさが桁違いです。
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石垣は西洋風でもあり、キリシタン宣教師の指南がなければ、ここまでは出来なかったのではと言われているようです。日本の石による築城の歴史は少なからず西から伝搬しており、かつキリシタンが多く居た岡藩でもあり、そういうことなのでしょう。
岡城に佇む「滝廉太郎」
そして、二の丸跡付近に佇むのは滝廉太郎。生まれは東京なのですが、父親や先祖代々、実は岡藩の上流武士であり、本人もこの竹田の地で過ごしている期間があります。
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「箱根八里」「花」「お正月」などの作曲、「鳩ぽっぽ」は作詞も。そして、「荒城の月」はこの岡城を思い浮かべての作曲。明治時代の音楽家は当然ながら西洋の音楽の影響を受け、唱歌や童謡が作られているので、教会で伴奏したとか、聖書を読んだとか、クリスチャンになったという音楽家が多いのですが、滝廉太郎もその一人。二十歳の時に東京で洗礼を受けています。彼もそんな時代の流れの中で、洗礼を受けたくらいに思っていたのですが、どうも、彼はこの岡藩の経緯を考えたら、先祖からこの地で伝わっていた何かがあったのではないか、胸に秘めたものがあったのではないか、と感じざるを得ませんでした。
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ということで、城内は半分くらいしか歩けませんでしたが、石垣を丹念に見ながら、岡城を後にしました。GWの九州旅行はここまで。
この謎多き岡藩と隠しキリシタンの歴史の続きを、また後日、綴ってみたいと思います。長々とお付き合いいただきありがとうございました!
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