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癒し、懐かし、秋の四万温泉(2日目)後半

四万温泉と言えばココに行かねば…

こんな秋晴れで、紅葉只中の四万に来ることはもうないだろうということで、思い切って四万湖へ、行くことに決めたものの、到達する手段が見当たりません。レンタサイクルも、出払って、循環バスもいまいちタイミングが合わず…。一旦、四万温泉の有名どころを先に歩くことにしました。落合通りのすぐ向かいに、最近では、もう四万温泉と言えばココ!という風になっているところです。

四万温泉といえばということで、積善館へ

「積善館」。前回歴史の歴史の話に続き、この名の由来は、元禄4年に4代目か5代目の関・善兵衛(せき ぜんべえ)さんがここに宿を建て、元禄7年に開業したおところから始まります。元禄7年とは、1691年で、江戸前期といったところで、スゴイ!の一言。(日本最古の湯宿建築の一つとのこと)
また、積善館の由来は、第15代目の関善兵衛さんが、「易経」の中にある『積善(せきぜん)の家に余慶(よけい)あり』(善いことを積み重ねた家には、かならず良いことが起こる。)という⾔葉を引用して、善を積もり重ねるというところから、『積善』と表わしたとか。

積善館 左側本館、右側元禄の湯

本館は明治に3階建てに増築し、この元禄の湯も昭和5年ということで、手元にある「温泉にっぽん(円尾敏郎編)」の四万温泉を見てみると、この左側山手の方が、積善館のようです。本館はそのまま原形をうかがえます。

昔の四万温泉 (明治後期以降?)

さて元禄の湯は、このベージュの1階のコンクリート部分にあたります。昼食のセットで、割安で入湯できます。入り口部分には、飲泉所があります。胃腸病などに良いとされ、少し飲んでみると、ほんのり塩味のあるテイストですがとても飲みやすく、注意書きにも飲みすぎ注意の文言。そして、いよいよ入浴です。この元禄湯は扉を開けたら、すぐに湯船が見えるということは分かっていましたが、分かっていても、その広さと大正浪漫というか、いきなり西洋文化に飛び込む異次元空間で、ビクッとしてしまうことでしょう。是非体験していただきたいです!整然と並ぶ五つの湯船の脇には、小さな祠のようなスペースがあり、こちらが蒸し湯となっていて、みんな遠慮して入りません。こちら、天上の穴から蒸気が入り、数分も居たら、汗が流れ、瞑想と祈りの部屋というところでしょうか。こちらも江戸時代から知られた四万伝統の「蒸し湯」と言われておるそうで…、恐れ入ります。

元禄の湯 (1階)

思い切って1.5倍速で奥四万湖へ!

元禄の湯をあがって、積善館にて、空いたおなかにやさしい釜揚げうどんを頂きます。食べながら、どうにかして、奥四万湖に行けないか画策していると、お昼過ぎの循環バスに乗れば、奥四万湖で45分循環バスが止まっている時間があることを発見!つまりは、バスの運転手さんもお昼時間?ということで、これなら帰りのバスにも間に合いそう。途中から釜揚げうどんをわんこそばのようにお腹にかき入れて、グランドホテル前に止まっているバスに飛び乗ります。

平茸、温泉卵、釜揚げうどん

バスは、少し遠回りして、四万川ダムに向かいます。四万温泉を下に眺めながら、揺られること20分弱、遂に奥四万湖、四万川ダムに到着!

四万温泉ぐるりんバスで、奥四万湖へ
四万川ダム (重力式ダム)予想以上の大きさ!

忽然と現れた四万川ダムは想像以上に大きく、堤高の89.5メートルの重力式コンクリートダム。四万川上流にこんな巨大なダムがあるとは!洪水に悩まされることが多かった地域で、洪水調節が最も大きな目的だったと思いますが、完成したのは1999年とつい最近でした。

足元ガクガクしてしまいそうな高さなのでした。

そして、上流側には、四万ブルーと呼ばれる、青いダム湖が広がっているのでした。なぜ、こんなにコバルトブルーなの?青なのか?というは研究対象になっており、日本陸水学会というところで発表された論文によると、粘土鉱物の前駆物質であるアロフェンという粒子が存在しており、この粒子に太陽光があたり、レイリー散乱で青色を呈するということでした。(詳細はこちら、https://cir.nii.ac.jp/crid/1390282680574224512

奥四万湖 四万ブルー
右岸の絶壁も一つの造形のように美しい

思い返せば、昨日から四万川、渓流のようなところを見ても、淀みのあるところを見ても、淡い青さのある川だなぁと感じていたので、俄然納得、青色づいてしまいました。

そして、青い目をしたまま、温泉街に下り、懐かしの秋の四万を思う存分満喫し、四万ブルーサイダーフロートで締めたのでした。(2022.11.2-3)

四万ブルーのフロート

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