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続きのない話#30:去年今年(172/1000)

「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」
年末になるとふと思い出す、高浜虚子76歳の一句。

内容からいえば新年の句ですが、「今年」が明日になると「去年」になってしまう大晦日のころ、噛みしめています。

一瞬。
秒が新しい秒になり、分が新しい分になり、時刻が、日が、月が替わり、年が改まる。
新しい時間が刻み始まるけれども、それは過去から連綿と続く時間の一部でもある。
切り替わり切り替わり続いていく時間。

目に見えないものをこれだけ実感ある言葉として、ほらと差し出す虚子の力に感嘆します。

年が変われば誰しもがその後の365日(あるいは366日)の間に一つ年を取る。同じ地点にいるような気がしても、来年の今日は今年よりも1歳上の地点。
まるでらせん階段を上るように人は新しい年を越えていきます。
太古の時代から続き、遥か未来まで伸びる時間の中で。

虚子にはほかにも「去年今年」という季語をつかった句があり、
「去年今年一時か半か一つ打つ」なんて即物的なものもあり、対比が面白いですね。

虚子はものを大きな構えでとらえる句がとりわけいいんですよ。
「遠山に日の当りたる枯野かな」
「鎌倉を驚かしたる余寒あり」
「大いなるものが過ぎ行く野分かな」
「蛇穴を出て見れば周の天下なり」
とかね。

ほかにも
「春風や闘志いだきて丘に立つ」
「流れ行く大根の葉の早さかな」
など心情や小さな風景を詠んだものもいいんですよね。
とても好きな俳人です。


さて、貫く棒の如きの句は、虚子の感慨のようでもあり、生きとし生けるものすべてに対して詠んだもののようでもあり、とりわけ味わい深い。
膨大な宇宙的時間の中に生きる小さな人間、なんてことを考えながら粛然と新しい年に進んでいきましょう。
来年も酔い、じゃなくて良い年となりますように。

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よーく見ると小さな星が。。。


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