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仲間ログ#190:オトナになったら(1084/1000)

久しぶりに会おうよ、アニキ。
そんなことを言うわけですよ、弟が。

彼とは学年が6つ違うので、私が小学校を卒業するのを追いかけるように同じ小学校に入学し、私が大学入学した春にやっと中学に進級するというタイムラグ。
6つも年が違うから、小さいころ一緒に遊んだ記憶はほとんどないなぁ。
私の家にともだちが遊びに来ると、なんとか混ざって遊びたがるんだけど、兄は邪険にするんですよ。ともだちの手前もあるし、なにより本人が存分に遊びたいし。
せつない思い出。もっと優しく遊んであげればよかった、と今では思うけどな。ごめんよ弟。

大学2年のときに家を出て下宿(って言ったよね、当時)して以来、弟と一緒に暮らしたことはない。
改めて考えると、兄弟って不思議だな。
40年間たまにしか会わない関係って、友人関係だったら自然消滅してもおかしくない、ってお菓子くれない? に似てますね。余談だけど。
でも兄弟だと、どんなに久しぶりでも即座に兄弟に戻る。水をかければ数分で食べられるフリーズドライご飯のように。(例え!)

コロナ後初めてだったから、3年ぶりくらいかな。
お互いの近況を語るのも、まったく飾りなくあっけらかんとそのままに。
アチラが「また腰の骨を折っちゃってさ~」と言えば、
コチラは「2年連続で経皮的冠動脈形成術で入院してさ~」と返す。
それぞれの奥さんや子どもの話をして、経済活動にも焦点は当たる。

弟は小さな会社を経営しているので、コロナはたいへんだっただろう。
と、思ったら、コロナを契機に会社の状態を見つめなおすことができたし、キャッシュフローも改善し、あまつさえ来期の売上は伸びるだろうと言う。
おお、そいつはよかった。
小さいころは小さくて(誰かの替え歌のように)、よく意地悪して泣かしたもんだけど(ごめんよ弟)、ずいぶんたくましくなったなぁ。兄は嬉しいぞ。

子どものころ、やたらにいる親戚の関係がよくわからなかった。
両親の親や兄弟、祖父祖母伯父叔父伯母(叔母はいなかった)くらいはわかるけど、もうちょっと遠い関係で血が繋がってる感を漂わせるオトナがナゾだった。親も説明がめんどくさいのか「し・ん・せ・き」としか答えないし、父親側、母親側どっちの系統なのかすら分からないままだったなあ。
それでも鍋屋横丁で寿司屋をやってた人の家に遊びに行くのは大歓迎だったけどね。子どもになんでも好きなものを握ってくれるんだもん、そりゃ当然でしょう。食い意地張ってたんだな。

両親亡き今、兄弟でそれぞれが知っている記憶を出し合いながらビールを飲んでいます。
あのおばさん、どうしたんだっけ?
明石町から高輪に引っ越してすてきなマンションだったよねぇ。
10坪に満たない土地だったのに、バブルの時の地上げではぶりがよかったっけ。
あのおじさんは今も元気でグラウンド・ゴルフで国体に出たんだって。
なんて世界で二人しか分からない話をしております。父方の家系、母方の家系の両方を知っているのはその父母の子どもだけだからね。

そのうち弟は私との思いでも語り始める。酔ったのかな。
「子どものころアニキがさぁ、まだ食器が置いてあるシンクの上で手を洗ったら『汚いからやめろ』って注意したことあったよね」
忘れてます。。。
「あ、そうか~と思ったこと、今でも覚えているんだよ」
忘れてください。。。
「他の人がそうしているのを見ると、注意しちゃうもん」
そ、そこまで血肉化しなくてもいいのに。。。

佐野元春や浜田省吾のレコードを勝手にダビングして聴いていたことなど初めて知った。
多少はお役に立てていたのならよかったです。。。

あまり酒は好きじゃなくて(兄弟なのに!)甘いものが好きな弟のために群林堂の豆大福をおみやげにあげて、お勘定しようと思ったら。
「今日はオレが払うよ。定年のお祝いに」
なんてかわいいことを言ってくれる。
あんなにチビだったのになぁ。感慨感慨。
「ありがとう、じゃあ今日はごちそうになるね、ごちそうさま」

店からの帰り道はほぼ正反対。
じゃあね、と店の出口で左右に分かれ、兄弟はそれぞれの家に帰ったのでありました。
また会おう、弟よ!


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