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続きのない話#48:40年前の少女漫画の衝撃!(247/1000)

「薔薇はシュラバで生まれる」、いしかわじゅんさんの投稿で知りました。
さっそく読んでみた結果、芋づる式にあれもこれもと読み返しましたよ。

後輩に紹介されて一緒に飲んだことがあって、それ以来いしかわじゅんさんとFBで繋がっています。
吉祥寺を舞台にした「スキャンダル通信」「スキャンダル倶楽部」が好きで、そのときにちゃっかりサインもらっちゃったのは良き思い出。画像3

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先日、いしかわさんが毎日新聞に書評を書いたという投稿があったんです。
70年代の少女漫画って面白い作品が次々と生まれ、青年誌の漫画家にも大きな刺激になった。みんな夢と希望と志があった、というような。
それが「薔薇はシュラバで生まれる」(笹生那実)。
さまざまな漫画家さんのもとでアシスタントをしていた作者が、そのころの思い出をまとめたエッセイ漫画です。

いしかわさんの書評には次のように書かれています。
「ここに登場する少女漫画家たちは、夢を持っていた。少女漫画を表現として優れたものにして読者に届けたいという夢を持っていたのだ。だから、どんな逆境だろうと、みんな平気だったのだ。それが描かれているから、この漫画がなつかしネタで終わらずに済んでいるのだ」(毎日新聞「漫画を読んだ」)

その少女漫画家たちって、美内すずえ、木原敏江、くらもちふさこ、樹村みのり、三原順、槙村さとる、酒井美羽、山岸凉子という錚々たる面々。
当時リアルタイムで少女漫画読んでいたし、入社後は少女漫画の編集部にいたので、そりゃあすぐ読みますよね。

夜も遅いしちょっとだけ読んでみるかと思ったのが運の尽き。
一読巻措く能わず、一気呵成に読み終わったのが2時過ぎ。翌日も仕事だというのに。
とまあ、そのくらい面白かった。
「アオイホノオ」みたいな感じもあり、何かを作り出す熱気と若さとの相乗効果が感動的なんですよ。

シュラバとは締め切り直前の極限状態をさすわけですが、その語源が語られているのも一興です。どうやら1971年ごろから漫画家さんの間でポピュラーになったようだという考現学的なアプローチもあり、いろいろな読み方ができる漫画ですなあ。

とりわけ印象的なのは、山岸凉子の「天人唐草」のエピソード。画像1

いや、こんな風に描かれたら読みたくなるでしょう。
幸いそのころに買った本が今でも残っている。手元にある「天人唐草」は、1981年7月20日に購入した第7刷。初版が1年前だから、当時としてもよく読まれた作品だったのでしょう。実際男子大学生だった私も買っているくらいだから。

イヌフグリのエピソード以外はすべて忘れていたけれど、わあ、こんな話だったんだ。
今読んでも十分に衝撃的。
たしかにあのころの少女漫画って進んでいたんだなあ。表現の枠を広げようと才能ある人たちがスクラップ&ビルドを繰り返していたもんね。

ついでに近くにあった本も40年ぶりに読み返してみたよ。画像2

「F式蘭丸」のFってフロイトですよ。タイトルのFの上に小さく「フロイト」ってルビが振ってあります。
「天人唐草」は初出が週刊少女コミック、「F式蘭丸」が別冊セブンティーン。
ごく普通の雑誌にこれほどチャレンジングな作品を発表できたのは時代と才能が幸福に出会ったからでしょうねえ。

「モト子せんせいの場合」も当時の恋愛事情がビビッドに語られていて、貴重な時代の資料となっています。

いやあいずれも素晴らしい作品。ジャンル草創の頃ってこういう奇跡的なエネルギーの発露がありますよね。
全然古くなっていないのがスゴイや。
家のどこかにもっと大島弓子があるし、好きだった倉多江美もほぼ全巻あるし、また読み返してみようっと。


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