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垂直diary#27:縁が繋がる天橋立(839/1000)

天橋立は細長く延びる砂州に松並木が連なり、緑が繋がっている。
そういえば緑と縁って、どっちがどっちだか分からなくなりがちですよね。

人生で初めて天橋立を見たのは2003年。18年前の今日。

今度大阪に出張するんですよ~と、何気なく黒坂黒太郎さんに話したら、「ああ、だったらちょっと足を伸ばして、日本・モンゴル民族博物館に行くといいですよ~」とおっしゃる。
「館長のK津さんはなにしろ素晴らしい方ですから~」
「それは面白そうですねっ!」
誘われたら全力で乗る、そんなふうに思っていたので力を込めて返事しました。

すると、なにがどうしてどうなったのか、今となっては経緯は不明だけれど、黒坂さんが日本・モンゴル民族博物館にご招待していただけるよう話をまとめてくださった。のみならず、近辺には宿泊施設がないからと、K津館長のご自宅に泊めていただくことに。
なんだか不思議ないきがかりで、思ってもいなかった博物館に行けるとは幸甚幸甚。

モンゴルといえばチンギス・ハーン! 
くらいの認識しかなかった若輩者は、先達に勧められるがままに足を伸ばして、兵庫県但東町に向かったことでした。

K津館長自らお迎えに来ていただき、クルマで博物館へ。
空はまるでモンゴルの大平原に浮かぶ雲のよう。
なんて昨日飲み過ぎていささかグロッキーな頭で考えているうちに、到着。
おお、立派な建物じゃないですか。

2003年11月 023

さっそく館内を案内していただきます。

屋内とは思えないほど大きなテントを見つけて、なんの疑いもなく「パオですね、パオ。パオ~ン!」なんてふざけていたら、「いいえ、モンゴルではゲルと言うんです」と訂正されたというか教えられたというか。
初めて知りましたよ、ゲル。
中に入ると思いの外広くて、煮炊きする場所やベッドの有りようが秘密基地みたいで楽しい。この移動式住居で草原を果てしなく回遊するのは気持ち良さそうだなあ。

これは定住式ゲル。(ゲルっていわないか)

2003年11月 025

なんでこんな写真があるのか不明だけど、ヤギもいました。

2003年11月 027

ゆっくり案内していただいたものの、夜までまだまだ時間があったので、クルマでびゅ~んと天橋立まで案内してもらっちゃった。(割と遠かった記憶があるので、今さらながら申し訳ない気分。。。)

そこで何気なく撮った案内板がこちらです。

2003年11月 008

このときは、(ひょんなことから、これで日本三景コンプリートできたけど、きっともう一生来ないだろうな)と思ったものです。
だってそれまでなんの繋がりもなかったし、家から来るには遠すぎるし、それからも縁はなさそうだったからね。

隣にそんな思いを抱えている四十男が乗っているとも知らずに、館長はご自宅へご帰宅です。
その日初めて会った方の家に泊まる。
泊まるほうはともかく、泊める方はたいへんですよね。共通の知人の紹介という細い糸で繋がっているだけの、得体の知れないヒト(私のコトですよ)がのこのこやってくるんだから。
でも、そんな不安が滲み出すことはなく、ご夫婦とその友人に歓待していただきました。
注がれるがままにビールを飲み、手料理の数々をたいらげ、途中で力尽きてうとうと舟を漕ぎ、と勝手気ままな私を優しく遇してくれたのでした。

今でも、あの寄り道出張(出張とは言い難いけど)は、妙な出来事だったなあと思い出します。
きっと館長ご夫妻も、「あのヒトいったいなんだったんだろう?」とたまに訝しく思いだしているのではないかなあ。

と、それから月日の経つこと10数年。
友人たちがこぞって宮津にできたレストランに出かけると言うではないですか。
ん、宮津?
それってあの、天橋立で撮った案内板にあった地名の?

いえ、正直言えばそのときはまったく記憶は繋がらなかった。後に、思いだして証拠を調べて判明したのですが。
そうかぁ、こうして体験は繋がるんだ、不思議不思議。
友人たちには宮津よりもっと遠い伊根までも連れて行ってもらった。

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宮津では富士酢の蔵も見学させてもらった。

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ありがたやありがたや。

しかも、それからも毎年宮津に誘ってもらって、天橋立には5年連続で行っているくらい。
智恵の輪石灯籠も毎年見ている。

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生きていると思いもよらない連鎖が起きるんだなあ。と、思った次第です。
だから、みんなも誘われたらどんどんやってみるといいよ!

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