続きのない話#244:20世紀のリヴァプールと9世紀の遣唐使(760/1000)
1217年前、最澄と空海は遣唐使として唐に渡り仏教を学んだ。
60年ほど前、ジョンとポールはリヴァプールで出会いバンドを作った。
なにを言いたいのかというと、よくそんなタイミングでこの2人が出会ったもんだなあと歴史の綾に感銘を受けました、ということ。
昔っからジョンとポールが同時代に同じ街で育ったことに人知れず感謝の念を抱いていた。偉大なビートルズを作ってくれてありがとう!
それとよく似た感慨を最澄と空海に思う日がくるとは、つい2ヵ月前には思ってもいなかった。
友人に教えてもらったCOTEN RADIOを聴いて興味をもち、ほかの友人から薦められた「阿・吽」と「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」を読んでさらに興味は募り、「最澄と空海」をはじめ仏教入門書を読破しております。
さらに「沙門空海」から「楊貴妃」までは一瀉千里。興味が集中して分散していくのが我ながら面白い。
昔日本史で習ったころはまったく関心がなかったけど、こうして自ら面白がるとぐいぐいいくもんですね。
最澄と空海。
フィクションを読み、ノンフィクションを読み、同じできごとを様々な解釈で何度も味わうというのは、やってみるとかなり楽しめることがわかった。
唐に向かった船が4隻、うち2隻は遭難して、空海の船は南に流され、最澄の船は無事に着いた、という史実をどのように描くのか、それぞれの調理法を堪能しています。知識の重層化とでもいいましょうか、それが心地いい。
それにしても後の日本仏教界を基礎づくった最澄と空海が同時期に唐に向かったことや、帰国後最澄が空海に弟子入りするなど、二人が絡むエピソードも興味深いし、それぞれのソロ活動も仰天話が多くて興趣は尽きない。
二人の奏でたメロディーが、1200年先まで豊かに鳴り響いているのって凄いなあ。
1000年を超えるボールを投げた紫式部の肩も尋常じゃない強さだと思っていたけど、いや凄い人ってのはいるもんですねえ(語彙!)。
それにしても平然と1000年前のものが息づいている日本という国も、考えて見りゃ大したもんですねえ(目線!)。
まあそういう感想もすべては私の心の中にあるものですから、一切不離識唯識無境、一切不離識唯識無境。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?