「自分の機嫌は自分で取る」


ここ数年、表題の言葉をいろいろなところで目にする。

特に『男に依存しない生き方』だったり『仕事をしていく上でのマインドセット』みたいな話題でよく見るし、それがとても良いことだとされている。

私ももれなくそれが良いことだと思う人間だ。

自分の機嫌を自分で取れるようになると、周りに振り回されることが減り、周りを振り回すことも減る。

ところが、以前彼に「自分の機嫌を自分で取れなくたっていいじゃない」と言われたのだ。


「自分の機嫌は自分で取る」VS「周りを頼る」?

彼の言い分としては、「自分の機嫌が自分で取れないこともあるのだから、そういうときには周りを頼ることも大事だよね」というものだった。

自分の機嫌は自分で取ることと、周りを頼ることは、響きだけ聞くとすごく対局のところにありそうなもので、andやorではなくvsが間に入る気がする。

だけど、この2つは対立構造にあるのではなく、「自分の機嫌は自分で取る」ことの補填が「周りを頼る」ことなのでは?と最近思い始めた。

分かりやすく言うと、最終的に自分の機嫌を取るのは自分だけど、そこに至るまでに周りを頼るという選択肢もある、ということだ。

だから「周りを頼る」というのはプラスαの選択肢、いわば補填でしかなく、着地点は「自分の機嫌は自分で取る」なのだ。

そう考えると彼の発言は、自分自身でなんとかしようともがいていた私に対して新しい選択肢を見せてくれたことになる。

ありがとう、彼氏。


「周りを頼る」を着地点にしてはいけない

先ほど「着地点は自分の機嫌は自分で取ることだ」と言ったけれど、逆に「周りを頼る」を着地点にしたらどうなるのだろう?

まず自分自身が最終的にどうなりたいのかが分からない。

周りを頼ることがゴールなら、誰かに相談したり愚痴を聞いてもらった時点で終了となってしまう。

自分の話したいことを話すだけ話して、そこでスッキリして終わり。

それもそれで自分の状態が良くなればいいかもしれないが、毎回その手法で無理やり乗り越えようとすると上手くいかなくなるときもあるだろう。

そして毎回周りを頼ってしまうと自分自身で解決する力が養われず、周りへの依存が大きくなってしまう。

依存するとどうなるか。

最終的には小さい子供みたいになってしまう。自分自身で解決する方法を知らないのですべて周りを頼ってしまい、自分の責任までも押し付けようとし始める。

それをしても仕方がないと許されるのは小さい子供ぐらいで、私ぐらいの年になると周りが離れていってしまう。

だから「周りを頼る」を着地点にしてはいけないのだ。


結論はやっぱり「自分の機嫌は自分で取る」が出来る人になりたい

周りを頼ることが悪だとは思わないけど、それには限度ってものもあるし、自分自身と向き合えない人からは周りが離れていってしまう。

だからこそ私は自分の機嫌が自分で取れる人間になりたい。

そして他人の機嫌を取るという行為もずいぶんとおこがましい行為だ。

人と人が支え合うことは素晴らしいことだけれど、あくまでも人間は他人同士で皆孤独だという認識を持つべきだと思う。

少し冷酷に聞こえるかもしれないが、逆に他人を自分の中に取り込む方が残酷だ。

自分以外の人間は皆他人。

適度に周りを頼りつつ、自分の機嫌はちゃんと自分で取れるようになりたいものだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?