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「学問の自由」とは何か? それは、私たちの自由の根幹にあるもの #日本学術会議への人事介入に抗議する (10月6日)

日本学術会議の会員人事に対する菅総理の介入が9月末に明らかになりました。この介入に対して、「学問の自由」の侵害であるという問題が提起されています。しかし、そもそも「学問の自由」とは何なのでしょうか。

ChooseLifeProjectでは、10月6日、この問題を石川健治さん(東京大学教授・憲法学)、望月衣塑子さん(東京新聞記者)、永井玲衣(司会・哲学研究者)とともに、戦前の歴史なども振り返りながら考えてみました。

番組のアーカイブはこちらです。



今回の配信の内容を文章でまとめましたので、ぜひお読みください。

「学問の自由」と憲法第23条

学問の自由 フリップ②

石川
憲法23条は「学問の自由」を保障する。この条文は、立憲主義の憲法にとって標準装備ではない。これが「ない」憲法の方が多い。その場合でも、「学問の自由」は、表現の自由によって保障される。日本国憲法の場合は、ダメ押しするように、第19条で思想・良心の自由を保障しており、ここで「表現しない自由」「沈黙の自由」はカバーされている。なので、踏み絵を踏まされることもない。単に「勉強する自由」「(研究成果を)発表する自由」だけだったら、23条はいらない。

しかし、どうして日本には23条があるのか?そこから考える必要がある。23条は、一般には勉強する自由を担当させているが、実は23条の本領はそこにはない。23条の本領は、専門領域の固有法則、理屈、論理、つまり自律性を保障することにある。そして、それをいれるものとして、伝統的には大学がある。23条には、実は大学の自治を保障するという特定の意味もある。勉強する自由とは違う何かを保障するためにわざわざ23条が現れるという構図があることを理解していただきたい。過去に遡って、なぜ23条が作られたのか、それを考えていく必要がある。


望月
「学問の自由」の問題は、表現の自由や言論の自由にかかわる問題にも発展していく。これは単に学術界だけの話ではなく、言論や表現の問題にもかかわってくる。今回の介入問題は、社会や政治に与える影響が大きく、私たち社会全体の問題だと捉えて取り組んでいきたい。

(菅総理は)ぶらさがりでも答えず、特定の新聞社によるグループインタビューで終わってしまった。おおやけの会見の場で答えるべき。「前例踏襲主義の打破」は、以前から言っていたが、日本学術会議の会員の候補者の選定はかなり厳格で透明性があるにもかかわらず、理由を言われることなく拒否されたということについては、疑問に感じる。

(菅総理の)説明責任はまったく十分ではない。ぶらさがり会見も限定的にしか開かれていない。そのさなか、先週の土曜日には、オフレコのパンケーキ会食を行っていた。国民が知りたいことを本当にメディアの側が知ろうしているのか、首相側も任命拒否の理由について国民に説明するつもりがあるのか、かなり後ろ向き。政府の側もメディアの側も国民の知る権利に応えていこうと姿勢がかなり欠如してしまっている。

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なぜ23条は作られたのか?

石川
なぜ23条があるのか?これは歴史的にしか説明ができない。日本では、帝国大学の総長は文部省官僚が務めており、大学には自治がなかった。そんなかで、澤柳事件が起きた。文部官僚の澤柳政太郎が京都帝国大学の総長に就いて、”無能教授”のリストラを敢行した。これに対して、京都帝国大学の法学部が一致団結して、全員辞職という仕方で抵抗した。東京帝国大学の法学部の連帯もあり、澤柳さんが折れる形で終わった。このことで、総長は学内の人による公選制で選ばれるようになり、大学の自治が確立したと言われている。

学問の自由 フリップ①差し替え

この澤柳事件のときに若かった先生方が、1933年の滝川事件に遭遇することになる。瀧川幸辰という刑法学者の学説が問題とされて、文部省によってパージされるという流れになったが、澤柳事件の際の成功体験があったために、京大の法学部の教授や助教授たちは全員一致で辞職をするという展開となった。今回は、文部省も全面抗戦の構えで、切り崩し工作を行い、その結果、京大に残る人・戻る人が出てきた。滝川事件は、「学問の自由」「大学の自治」に対する介入の事件だった。澤柳事件とは異なり、この時、東大は連帯しなかった。東大の学生は、連帯しない教授たちに怒り、戦前最後の学生運動を起こした。

その二年後には、天皇機関説事件が起きた。当時の政界・官界・宮中までを支配していた憲法体制の支柱的学説に対して非難が行われ、美濃部達吉が面罵された。美濃部は、有名な「一身上の弁明」を通じて反論したが、火に油をそそぐことになり、大きな騒動となってしまった。天皇機関説を説いた美濃部の本が発禁処分になったりとか、あるいは最終的には不起訴になったが刑事事件になりかかるという展開になります。美濃部の弟子たちや他大学の教員に対しても、文部省の思想局からの陰湿な圧力がかけられた。結局、東大は頭を低くして、事件が過ぎ去るのを待つことになった。天皇機関説事件をきっかけに、内閣は、「国体の本義」を国民と大学に強制する流れになった。この事件の論理的帰結として起こったのが、翌年の二・二六事件。 
 天皇機関説事件については、以前ご出演いただい山崎雅弘さんが『「天皇機関説」事件』(集英社新書, 2017)において丁寧かつ詳細にまとめられています。

それまで私人の思想の自由はかろうじて守られていたが、すべて国体の本義で塗りつぶされ、公私の境が決壊することになった。公私の境界線を守っていたのは、実のところ大学という防波堤であった。大学の防波堤が突破されることで、私人の自由が、思想の自由が失われていくという展開になってしまった。同時代の人、特に在野(=大学機関に属さない)の知識人は、深刻には捉えておらず、ざまあみろという対応であった。しかし、公私の境界線が破られ、私人の思想の自由がなくなってしまう。在野の知識人も気がついたら思想の自由がなくなっていた。それどころか、一般国民も、ある特定の方向の考え方しか持つことが許されなくなってしまった。大学でも、天皇機関説事件以降、矢内原事件や河合栄治郎事件などいくつもの事件が起きてくる。

ある段階から、坂を転げ落ちるようになっていった。やはり分水嶺はこの天皇機関説事件の1935年にある。しかし、その前に止められたはず。どこかに分かれ道があったはず。この一連の流れのなかで、皆、自分には関係ない、対岸の火事だと考えていた。しかし防波堤が決壊してしまって、あとは止められなくなってしまった。対岸の火事だとか、一部の大学の人だけの問題だと考えるのではなく、ここに一つの防波堤があって、そこが決壊すると実は取り返しのつかないことになるという教訓を、この一連のプロセスは残してくれた。これを受けてあるのが、23条。なので、ただ単に勉強する自由を保障するのではなく、むしろこの防波堤を再建する目的で、もう一度憲法上の防波堤を作るという目的で、「学問の自由」を保障する23条が作られた。

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ここで、二つ問題を整理しておきたい。一つは、大学といういわば防波堤を再建するという問題。もう一つは、防波堤だけではなくて、中身の問題である。やはり専門分野の自律性に対して政治は介入してはいけないんだというのが中身で、その周りの城壁がたまたま伝統的には大学だった。こうした構図を理解していただきたい。

補足的な説明をすると、23条は、大学について、「税金を使っているのだから、公務員なのだから言うことを聞け」という話にはならないことを確立した。ヨーロッパの、特にドイツ型の大学を持っている国では、大学は学問共同体としての自治を勝ち取って、そのあかしとして憲法に「学問の自由」という条文が刻まれるという経緯がある。国が税金を出しているからどうだという話ではなくて、それ以前に大学は学問共同体としてあるんだということを憲法上約束するのが「学問の自由」の条文になる。したがって、23条がある以上は、15条によって公務員だから言うことを聞けということは通用しない。やはり大切なのは、専門領域の自律性を尊重し、それに対して外部が介入をしないことを守ろうとする点。

どんな思いのもと、学術会議は発足したのか?

学問の自由 フリップ③

石川
大学の中で特定の専門領域を担当する先生は一人しかいない場合が多い。その先生方は、学会などの外部の学問コミュニティーにおいて仕事をする。そのコミュニティーを束ねるものとして、戦後の改革の結果、日本学術会議が作られた。日本学術会議の問題は、23条と無関係なのではなく、むしろ直接につながっている。

今回、学者の国会という防波堤が突破されようとしているんだと、問題を捉えることが大切ではないかと申し上げておきたい。現実に日本学術会議がどうなのか、どんな人がいるのかという問題とは別の問題になる。基本的な枠組みが壊されようとしている点がポイント。

一面的に語りたくはないが、幾つが重要なエピソードがある。学術会議を成立させるために尽力を果たした人たちにケリー博士や仁科芳雄がいた。彼らの平和への思いが学術会議の思想にはある。日本の科学をまじめに立て直そうとした人々がいたのは非常に大きかった。また、学者の国会が必要であるという意見が支配的になり、文系・理系を問わず科学者が投票で選ぶ公選制の学術会議が出来上がった。そういう経緯が決意表明には色濃く残っている。戦前の学問のあり方を反省して、もう一度やり直すという気持ちがここには込められている。

ただ、組織というのは、理想的にははこばないわけで、その後、うまくいかなった面もある。国の選挙ではないので、選挙管理がちゃんとしたものにならなかったり、あるいは、投票率が落ち、選挙に無関心になったりなど、公選制が機能しなくなってしまう。そこで、改革が必要であるという議論になった。一時期は民営化の議論もあった。公選制ではもうもたないということになり、学会が推薦を出し、形式上の任命行為を内閣総理大臣が行うというシステムができた。これが1983年。これは非常に大きな改革だった。改革当時、学術会議の現状は褒められたものではないという側面もあったが、やはり大事なのは、学問の自律性をしっかり守るということだった。実質的には何も変えないという約束で、1983年に今の形になった。その後、2004年などにも改正があったが、一番大きなものは83年のものだった。今、報道でよく流されている国会における政府答弁や、参議院の付帯決議などは、基本的にその当時のもの。 

学術会議の「軍事研究」を禁じる声明

学問の自由 フリップ④


石川
学術会議が1950年と1967年に出した声明の背景には原子力研究があった。原子力の平和利用、原爆を作らないということ、これが底流としてあった。政権が再軍備の方向へ向かうに伴って、とにかく日本学術会議の最初の志を動かさないという声明を二度行った。

2017年の声明は、これに加えて、安倍政権の登場が背景としてある。それから、1990年代末から2000年代まで、(研究のための)お金は自分で取って来いという競争的資金制度に変わっていった。研究にとって、特に理系の学問は、研究費が死活問題なので、とにかく研究費を出してもらえるような研究をするようになり、「学問の自由」は、正面からこそコントロールされないが、裏側からマニュピュレーション、つまり操作的に侵される流れになってきている。「操作的権力」は、一見ソフトであるように見えるが、裏から金や人事で操るという点に特徴がある。「学問の自由」は、裏から掘り崩されてきた。こうした流れのなかで、安倍政権の下で軍事研究ならお金を出しますよということになったので、これに対する動きとして2017年の議論と声明があった。

政治による介入が本格化、専制政治になる危険性も

学問の自由 フリップ⑤

望月
2015年4月から、防衛装備庁が「安全保障技術研究推進制度」を始め、基礎研究や先端技術研究ができる大学や民間企業に声をかけはじめた。表向きには、文民供用技術を一緒に開発しましょう、その分防衛省から予算を出しますよというもの。この制度に対して、学術会議は声明を出すべきだということになり、1年間ほど話し合いが持たれ、2017年に声明が発出された。2016年には、会員の補充人事に対して政府が推薦候補に難色を示すという事態が起きた。学術会議は、一部、二部、三部とそれぞれ70人ほどいるが、軍事研究に関して一歩引いた立場をとるべきとしたのは、憲法学者や歴史学者を含む一部。

内閣府が補充人事に難色を示した際、官邸サイドは、その候補者では補充にふさわしくないということで、意見を述べてきたらしい。本来、学術会議法7条2項には「会員は、会議の推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、83年の中曽根さんの答弁では、これはあくまでも形だけの任命で、基本的には推薦された方を拒否しないと言っている。なので、基本的には、推薦の一番手の候補を任命してもらうという流れできていた。しかし、2016年に初めてそれに難色が示され、結局、2016年は欠員状態のままとなってしまった。これが、象徴的に初めて学術会議の人事にあからさまに官邸が介入してきた事態であった。

朝日新聞のスクープが伝えたように、2017年の会員半数改選の際には、これまでは105人という決められた人数の人材を内閣府の人事課に提出して発令してもらう形をとっていたが、105人を上回る110人超の人事案をあえて見せて、そこで上位105人を認めてもらうという経緯があった。2016年をきっかけに、徐々に、官邸側に選択権があるかのようなやり取りが官邸と学術会議とのあいだで行われはじめた。当時、学術会議では、官邸側の人事への介入についてもめることもあった。2018年、内閣府は学術会議法の解釈について法制局に照会し、任命を拒否もできる/拒否できないわけではないという見解も出していた。

今回、当時会長の山極寿一さんが8月31日付けで105人の枠の中で105人を出した。9月28日に発令案が出されたが、6人の方が任命されずに99人ということで発令案が返された。菅さんは、その理由を述べないまま、今に至っている。今回のことにつながるきっかけは、2016年ぐらいからあった。

大西隆さん(元日本学術会議会長)に、複数名簿をなぜ出すようになったのかと取材したところ、2016年の春先あたりから、一つのポストに対して一人で持っていった際に、官邸サイドから、最終的な人だけでなく途中経過も見せて欲しいと要望されたということだった。そうした要望が重なっていたので、2016年秋の補充人事の際には先んじてある程度途中の経過を見せていいと思い、一つのポストについて複数の候補者を提出したのだと言っていた。厳しい目でみると、大西さんが妥協したことで、徐々に、向こうに選択権が与えられたかのような人事案を見せてしまうということが始まったと思われる。

石川
学術会議の現状がすべていいわけではない。これは、国会の現状がすべていいはずはないのと同じ。ただ、そこにおけるリクルートのルールを壊してしまっている。そこをもう一度考え直していただきたい。ルールに基づかないで恣意的に人を選ぶのは、「専制主義」の兆候そのもの。「恣意」というは、「自由」の仇敵。恣意的な権力を防ぐために、一般的ルールを作り、それに従う。ルールを守っていさえすれば、恣意的な権力を防ぎ、自由を守ることができる。その場その場で恣意的に判断することになってしまうと、実は自由そのものが失われてしまうと考える必要がある。

今回、法制局とのやり取りがあったことが、さまざまな取材で明らかになったが、正式な解釈変更があったのか否か、どういう手続きでルールを変更したのか、まったくうやむや。これ自体が極めて「恣意的」であって、自由にとっておそるべき事態であるという感覚を持っていただきたい。

それからやはり、誰が(会員として)適任なのかということは、実は専門家にしかわからない。専門家の判断を尊重せざるをえない。結局、こうした性質上、特定の人を推薦してきたら飲まざるをえないというところがある。これが、学問の専門的な自律性、固有法則性。なので、「こいつはけしからん」「こいつは考え方が違う」などの個別の話に持っていかないでいただきたい。 

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望月
学術会議は戦争の反省のもとに、内閣府の中に、政府に対して助言や勧告、助言ができる独立した組織を作ろうということで設置されている。世界を見ても、民営化を奨める声があるが、法律の定めによって政策や提言、助言というのが義務付けられている、法律上認められているというのは、民間ではできない。あえて今の政府に対して、客観的な立場から物事を進言、助言できる機関があるということは、あるべき民主主義。政府やメディアが危ない方向に動いているときに、きっちり別の観点からものが言える機関があるというのは、「言論の自由」「表現の自由」「学問の自由」を保障してくれる。結果として、私たちの社会や政治をより豊かにしてくれるはず。実は、10億円の予算も、そのうち5~6億円は内閣府の職員の雇用に使われている。

こうした機関を失くしてしまった先に、どういうことが起きるのか?今回任命を拒否された6人は、安保関連法や共謀罪、特定秘密保護法など政府の政策に対して異論を唱えた方だった。しかし他方で、6人は、日本のために何がいいのかを提言している方でもあった。なので、政治的な思想信条で排除することを菅総理がやっていたとすれば、これはただちに見直さないといけない。

永井
この問題を見ていて感じるのは、「批判」というものに対して多くの人がほとんど価値を見出していないこと。批判を、「不満」「中傷」として捉えている方が多い。公的領域においてはむしろ「無批判的」である方が悪しきことであり、「批判的」であることはむしろ責務であると考えることが、学問的にも一般的にも言えることだと思う。政治や学問や文芸の公共性にとって批判は本質的であるにもかかわらず、それが不満や文句という形で映ってしまう現状がある。「批判」というものの価値はどうなっているのか?

石川
違う考え方の人がいるという点は大前提にすべき。今回任命されなかったやつらは自分とは立場が違うやつらだからざまあみろと思っている人もひょっとしたらいるのかもしれない。しかし、その考え方は間違っている。むしろ自分とは違う立場の人のために戦わなければならない。これをしないと、いつのまにか誰も何も言えなくなってしまう。考え方が違うけれども、この一線を守らなければいけないという理解のもとで、今回の現象を考えていくことが大事になる。

望月
批判が必要になるのは、一方の方向性に対して、その逆側のバネがどれだけ使えるかという点にある。内田樹さん曰く、アメリカがすごいのは、軍産複合体がある一方で、それを真っ向から否定する市民活動や政治家が大きな塊となって蠢いているという点。そういう双方向の多様な価値観をそれぞれが発出できるという状況があるというのは、選択肢を示すことになり、結果として、国家の力になる。なので、異論を許さない空気を社会や政治が認めていくことになると、一方がだめになったときにもう一方の力がなくなり、日本の社会や政治の状況をより豊かにしていけるかという点では非常にマイナスになる。これは、政府に同調している人たちにとってもそう。いろいろな意見を認める意味においても、学術会議から一定の人たちを排除する動きは、日本のこれからの社会や政治状況を悪化させてしまう。多様な言論空間や表現空間を認めることが、結果として、私たちの生活や未来を豊かにするんだと、それを右も左も関係なく、政府に同調するしないにもかかわらず考えてほしい。

最後に一言

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望月
今回、「学問の自由」というのがどれだけ重いものかということを理解することができた。この問題、菅さんは撤回せず、理由も説明しない。延々にやっていけば国民は忘れると思っている。メディアは、その理由をきっちり説明させることをしつこく長く取材し、報道し、市民とともに問題提起しつづける。長期戦になると思うが、みなさんと共に声を上げていきたい。それが結果として、私たちの社会や政治にとってより豊かで実りある多様性を認める社会につながっていくと思う。

石川
学術会議が内閣総理大臣の所轄であることは、色んな意味できわどい制度設計。国の組織になると、学問が国有化される危険と隣り合わせで、その論理から言えば、民営化が望ましいという議論もずっとあった。これは、国や時代の局面によって意味が変わってくる。ただし、重要なのは、そこにおける緊張関係を維持すること。やはり、国の組織になるメリットは大きい。そこにおける決定が公的な意味を持つことになるから。しかし、国の介入を受ける立場にもある。その緊張感を守っていく必要がある。これは、23条が保障している大学において存在する緊張関係であり、これを学術会議においても保っていくことが大事になる。これまで微妙な緊張関係をルールを作って守ってきたのに、それを解釈変更によってうやむやに読み替えて介入してくるという兆候が現れてきた。やはりこれは危険な兆候だと考える必要がある。ここが決壊すると、次々とそうなって、気がついたら、ごく普通の考え方も許されなくなってしまうかもしれない。戦前の教訓をここでもう一度思い出しておく必要がある。


10月2日にも関連した配信(「#日本学術会議への人事介入に抗議する」)も行っておりますので、ぜひそちらもご覧ください。


文責:高木駿・一橋大学大学院研究員

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