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栄冠は君に輝く 第3話

「わたし、野球チーム作ります。」

その千尋のはっきりとした音声は、クーラーの効いた事務室にTVから流れる甲子園のサイレンと共に強く響いた。



そして小さく強い音が何かを合図した。



「…エッ?」






金田篤史、55歳。金田は小学校の頃から体を動かすのが得意で、ドッヂボールや鬼ごっこではその類まれなるセンスを遺憾無く発揮し、一目置かれる存在となっていた。
そんな中、夏休みに家で何気なく観ていたテレビに映っていたのは、そう、甲子園だったのだ。球児たちの獅子奮迅のプレーに心を打たれた金田は、その足で近所の野球好きのおっちゃんにバットの振り方を教えて貰った。程なくして、町の少年野球チームに入団。4年生ながらに4番ピッチャーを務め、小学校卒業時には地域の小学生での歴代通算最多本塁打数を塗り替えたとして表彰を受けた。中学校ももちろん野球をし続け、本気で甲子園を目指すために地元とは少し離れた県内の強豪高校に進学。血反吐を吐くような鬼の練習、熾烈なレギュラー争いを耐え抜き、そして遂に3年の夏、『5番サード』で出場した県大会の決勝戦は惜しくも敗北に終わってしまう。9回裏の3アウト目は金田のファーストゴロだった。そんな金田は大学でも野球を続けることを決意。その大学の野球部の直属の後輩に当たるのが千尋の父である。
大学野球でもそれなりの活躍を残し、何度か野球雑誌の注目株コーナーの一番端に30文字程度の総評を貰うこともあった。大学時代もずっと頭のどこかにあった「プロ」という文字は掠れつつ、ザラザラと消えていった。切り替えの早い金田は、持ち前の体力とコミュニケーションスキルを存分に生かし多くの面接を合格しながらその中で最も給料の悪かった自動車会社に入社を決めた。その理由には金田の幼少期からの好物と言えば、野球、寿司、自動車といったくらいには知識や造詣が深かったこともあるが、それより何より「逆境」という境地に置かれた瞬間にこそ自分はより輝けることを知っていたからだった。そうして20年間勤め上げ、42才の頃に独立し、『ゴーヤオートサービス』を開業した。
今ではすっかり街の愛される車屋さんだが、苦労も少なくなかった。大学の後輩の娘が入社してくる際も縁だけでOKしてしまったし、その娘は特別知識があるわけでも仕事が出来るわけでもなく、それに加えてやる気もない。そんな新入社員をせっせせっせと面倒を見てここまできた。問題という問題は全て、金田という人間の大きさで越えてきたのだ。
人間が大きければそもそも物体的に縦に大きい金田は横にも大きくなり、今は過去の熱量を誰かに投影してその動くさまを懸命に追うことで感動している日々で、涙が出る量が年々増えてきているという。そして今年の夏は、更に大きく誰かに何かを求めていた。それは、甲子園であり、もしかしたら…



「…すか?…聞いてますか金田さん?」

「ああ、ごめんごめん…!またボーッとしちゃった」


金田は感覚的にはだいぶ前、しかし現実的には数秒前の出来事であろう、千尋からの問いかけを思い出した。


「千尋ちゃん、確認だけど、今、野球チーム作るって、、言ったかい…?」

「はい。確実にそう言いましたね。」

「千尋ちゃん、燃えてるのかい?」

「はい。燃えてますね。少なくとも今は。」

「千尋ちゃん、やるんだね?」

「はい。やります。というかもう今日から始めるので会社辞めさせてください。」

「え?」

「あの、ですから、私、野球チーム作りたいんです。それをこれからしていくとしたら、ここに来るビジョンが見えなくて。」

「え?え?」

「大丈夫ですか?金田さん」

「え?え?千尋ちゃん、もう来ないの?え?それはちょっと違う気もするけども、え?ほんと?」

意を決した千尋の背中を押し出したい気持ちとこれまで育んできたものを一気に無くしてしまいそうな悲哀との間で金田は困惑していた。

「辞めるったって、これからどうするのよ?千尋ちゃん、次の仕事も決まってないでしょ、?」

「これからどうするって、何回も言ってるじゃないですか。野球チーム作るんです。したいからするんです。私にとって今最も生命の維持に大切だと思うことはお金を稼ぐことや、余裕を作ることじゃなくて、心からしたいと思ったことをすることなんです。それ意外無いんです。」

千尋にしては随分多い文字量が金田に覆い被さる。いつの間にか体内の成分から抜けていった、「衝動」「情熱」などの言葉が浮かび上がってきた。それらは自ら捨てたものではなく、無い方が楽だったからいつの間にか消えていたものたちだった。
金田はそんな言葉たちを睨み返すように拳を握っておもむろに立ち上がった。そして、両の拳をくっつけ大きな弧を描いた。その姿はまさにあの県大会決勝戦9回裏の金田少年のスイングにそっくりだった。ガタイの割にコンパクトなフォロースルーを繰り出しこう言った。

「千尋ちゃん、野球は奥が深いよ。」

「そうなんですね。色々やってみます。」

「千尋ちゃん、僕でよければ基本的なことは教えるよ!道具も古いけどあるし、、、」

「あ、大丈夫です。」

「え?ちょ、え?なんで?え、僕一応元野球部だよ?一応プロ候補というか、、」

「大丈夫です。」


「ええ、、?」

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