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音楽愛で、世界を満たそう。

本稿では、Chooningの構想に至った課題意識や、私が持っているビジョンについて詳述します。

音楽産業におけるストリーミングの功績

2015年6月「Apple Music」がローンチされました。あの日の興奮は忘れられません。大学の友人たちと、ルームシェアのアパートで騒然としていました。

使い慣れたiTunesのインターフェースの中に膨大な曲が並んでいて、クリックすると目の前でフル再生できる! あのアーティストは聴けるのか、あのアルバムは聴けるのか、とたちまち目の前のプロダクトに夢中になりました。まるで膨大な楽曲を所有しているかのような錯覚。何よりこれが合法のもとに行われているという驚き。

続けて2015年11月にAmazonによる「Prime Music」が、2016年9月には「Spotify」が日本に上陸しました。こうして2010年代の中頃には、現在の音楽市場における主要なサブスクリプション型ストリーミング・サービス(ここでは月額定額課金で音楽聴き放題のサービスのこと。以下「ストリーミング」と呼ぶことにします)が出揃うこととなります。(それぞれ、前史はいろいろあるのですが、いったん割愛して進めます。気になった方は調べてみてください!)

国際レコード産業連盟(IFPI)が毎年発行する『Global Music Report 2019』によれば、世界の音楽産業は2014年に底を打ってから再び成長サイクルに入っており、その成長はストリーミングによって支えられています。ストリーミング型のデジタルサービスの売上は約89億ドルと前年比約34%増。ダウンロード配信などの非ストリーミング型のデジタルサービスの約23億ドルと合わせれば、デジタルマーケットの売上は2019年に100億ドルの大台を突破しました。一方、フィジカルマーケット(CDなどのパッケージメディア)は約47億ドル(前年比約10%減)と右肩下がりが続いています。

ストリーミングの登場からたった5年。たったの5年ですが、ストリーミングの売上は絶大な規模を誇り、もはや音楽産業にとって“なくてはならない存在”となりました。

そして今年、2020年。COVID-19の影響でライブイベントの中止・縮小が相次ぐ中、映像配信サービスを浸かったオンライン配信によるライブ形態が急速に普及しています。そしてSpotifyがアプリ内でヴァーチャル・コンサートを閲覧できる機能実装を行っていると報じられるなど、ストリーミングの存在感は今後より一層強くなっていくと考えられます。

人間社会におけるストリーミングの功績

サブスクリプション型ストリーミング・サービスの功績は、産業的評価だけではありません。私は「ストリーミングの普及は、より公平な社会を実現する」と見ています。

2020年現在、Amazon Musicは6500万曲、Apple Musicは6000万曲、Spotifyは5000万曲と膨大な楽曲を保有しています。これらは単なる楽曲データの集合ではありません。アーティストのプロフィールや楽曲の歌詞、アートワーク、そしてプレイリストといった情報も含め、膨大な文化資本です。これだけの情報に月額980円でアクセスできる。これは「文化資本へのアクセス権が、公平に担保された状況」と見ることができます。

例えば、いま毎月聴いている数の音楽を、20年前に同じだけ聴こうとしたら…。毎月のように発表される新譜を前に財布と相談する必要がありましたし、自室にCDを置くためのスペースを用意する必要がありました。音楽を聴く時間が充分にあったとしても、経済的・物理的な理由で「好きな音楽を好きなだけ聴く」ということはできませんでした。

しかし2020年現在では、(支払おうと思えば)誰でも支払える利用料で、好きな音楽を好きなだけ聴くことができます。言い換えれば、誰もが膨大な文化資本にアクセスする権利が保証されているのです。つまり「個人間の経済格差が、その文化的体験に影響しなくなった」時代がやってきたのです。

みなさんもご存知の通り、この変化は音楽産業に限った話ではありません。映画や雑誌など様々な文化コンテンツの市場で起きていることです。ストリーミングの普及は、基本的人権の扱いを考察する社会史の観点からも大きな転換点といえるはずです。

ストリーミングがもたらした「人間と音楽の関係性」の変化

ここまで、サブスクリプション型ストリーミング・サービスの評価として、音楽産業・人間社会それぞれにおける功績を見てきました。私は、この二点を以てストリーミングは素晴らしいものであり、基本的な音楽の視聴方法になってほしいと思っています。

では、ストリーミングがよいことばかりかというと、そうではありません。ここからは、ストリーミングがもたらした「人間と音楽の関係性」の変化に着目し、ストリーミングの問題点を指摘していきます。

ストリーミングの大きな特徴は、その膨大な楽曲と利用者のデータを武器に設計されたリコメンドのアルゴリズム(曲やアーティストを推薦する仕組み)です。スマートフォンをタップすると次々に新しい音楽が再生され、好みの曲はお気に入りに追加、そうでないものはスキップと判断を与えていくことで、だんだんと推薦内容がパーソナライズ(その人に合わせて調整)されていきます。このアルゴリズムの精度は飛躍的に高まっており、いまやストリーミングは「定額で音楽が聴き放題」という量的・消費便益以上に「最適な音楽との出会いを提供し続ける」という質的・体験的な便益が大きな価値となっています。(実際、Spotifyは長らく「音楽発見サービス」と名乗っていました。)

しかし、無限に許される消費と探索の効率化は手放しで歓迎できるものではありません。音楽を大量消費する生活の中で、その一つひとつの作品について考える機会は減ってしまいました。歌詞の言葉やストーリー、ジャケットのアートワークについて考えたり、曲が構成するアルバムとしての表現や、そこにクリエイターがどのような思いを込めたか想像する時間も失われました。利便性と引き換えに、楽曲を愛好する体験量は退潮しています。私はこの様子を「ストリーミングにより、人間と音楽の関係性は希薄化した」と表現しています。そして私の課題意識はまさしくここにあるのです。

レコードやカセットが再び人気になっている、というニュースを見たことがあると思います。私の言葉を用いて考察するならば、レコードやカセットを愛好する行為は「ストリーミングによって希薄化した音楽との関係性を再び深めようとする欲求からくる行動」と見ることができます。これらには、手元の歌詞カードを読み込み、繰り返し聴きながらクリエイターの意図を探る楽しみがあります。物理的なアートワークを部屋という空間の一部に置きながら、その存在を確かめるといった楽しみが。そうして考えが深まるから、それを友人と話し合うことも楽しい。これらは音楽を実際に聴く体験以上に、音楽を楽しむ体験だったのではないでしょうか。

しかし、どんなに愛好家たちが頑張っても、レコードやカセット、あるいはCDが再びメインストリームになることはないでしょう。先に挙げた通り、ストリーミングは音楽市場を支えており、公平な社会の実現にも必要な存在です。何より、どのような大義があろうと、人類が安価で便利な手段を手放しはしないことは歴史が物語っています。

ストリーミングを前提に、音楽との関係性を深めるシステムをつくる

では、ストリーミングを前提に、再び音楽との関係性を深めるシステムを設計できないだろうか。こうした着眼点に基づいて考案し、その使命を負ったプロジェクトがChooningです。

Chooningは、スマートフォンで提供しているアプリケーションです(現在はiOS版のみ提供中、Android版は開発中です)。Spotifyで視聴した曲に、300文字のテキスト情報を添付して、世の中に発信することができるプロダクトです。曲とテキストのまとまりを最小単位の「投稿」とし、この投稿を起点に他のユーザーとコミュニケーションを取ることができます。投稿には30秒のサンプル音源データが付属しており、フルで視聴したい場合はタップしてSpotifyで聴くこともできます。投稿をお気に入りに追加すると、Spotifyに月別のプレイリストを生成し、そこにお気に入りにした投稿の曲が追加されていきます。

Spotifyを「たくさんの音楽と出会う空間」とするならば、Chooningは「出会った音楽の中から、気にいった音楽と改めて向き合う空間」と位置付けることができます。この二つの営みは共存し、互いに影響し合うことで人間と音楽の関係を良好にしていくことを狙います。

コンセプトの「Spread your love through music.(音楽愛で、世界を満たそう。)」は、ユーザーがこのプラットフォームで投稿する行為を、音楽への愛が広がっていくビジュアル・イメージに置き換えた表現です。みなさんにChooningで多くの投稿をしてもらう様子が、まさしくこのビジョンそのものであり、コンセプトの実現となります。

Chooningは、ストリーミングを利用する生活の中に、再び音楽と向き合う時間を持ち込もうとする試みです。このプロジェクトの普及により、みなさんが音楽との関係をチューニング(調律・調整)しながら、もっと音楽を好きになってくれることを願っています。

文:イワモトユウ(Chooning 代表)

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