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対戦ゲームでキレるな、の嘘

「対戦ゲームでキレるな」という思想がある。

はっきりいってこれは正しい。対戦相手ありきの体験で対戦相手に迷惑をかけるのはもってのほかだし、ゲームが一般に受け入れられ、そして今後もより受け入れられていくために、プレイヤーは社会的な規範に基づくべき、というのは正しいと思う。まったく正しい。

しかし、僕は正しいだけでしかない、とも思っている。毎日規則正しい時間に起き、適度な運動をし、日光を浴び、栄養バランスに気を使った食事をし、趣味にのめりこみすぎることなく、ストレスの要因は取り除き、自分を大切にし、将来に向けての勉強や投資をして日々を過ごすのは、正しい。

しかし、現実には眠くて朝は起きられず、運動はめんどうくさい、家から出たくないから日光を浴びることもなく、栄養バランスのことなんか考える余裕もない。ゲームをはじめれば10時間ぶっ通しで遊ぶこともあるし、ストレスだらけの職場の愚痴を言えば、インターネットの人々は「そんなブラック企業から転職しろ」と無責任に言い放つけれど、そうなれば自分は無職になるほかなく、辞めることはできない。

それも現実ではないか。僕たちは本当に、そんなに正しく日々を生きていただろうか。もっと言えば、正しく生きることができなかったからこそ、対戦ゲームに熱中してしまった人も多いのではないか。今の人たちはそうでもないのかもしれないけれど、少なくとも僕が育った時代において対戦ゲームに熱中することは、現実からの逃避という要素を少なからず含んでいたと思う。

学校で上手くいかないから、仕事で上手くいかないから、ゲームに熱中してしまった。数年前までは、ゲームが上手くなったって一円にもならなかったし、なんの社会的ステータスにもならないどころか、異常者の目で見られる存在でしかなかった。そんなことに膨大な時間と才能を費やす行為は、決して「正しく」なんかない。多くの人の努力と幸運が重なった結果、今はそうでなくなったから、人々が「正しさ」を語れるようになっただけだ。

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