応援

応援って力になるから

私は、仙台の東北放送で放送していた長寿番組「ジャンボリクエストAMO」の12代目のパーソナリティとしてデビューした。
前任者が芸能人だったこともあり、無名のどこの馬の骨ともわからない奴がラジオに出る、ということで、それまでのリスナーにどんな反応をされるのかと、ドキドキしていたのを思い出す。
最初の回は喉がカラカラで、いっぱい汗をかいたのは覚えてる。
ディレクターが敏腕で、私の売り出し方を考えて、名前のない人としてデビューさせようと言い出した。リスナーに名前をつけてもらうことで、より身近な人でいること。
だから、私は「誰か」というネーミングで初回の放送を終えた。
リスナーからたくさん名前が届いた中で、誰かわからないから「Who子」という名前が採用になった。もっと可愛い名前がいいと思った私は、いつも「風子」と書き字を当てはめていた。

あの頃、私への応援はリスナーから来る葉書きで、その一枚一枚が宝物だったのを覚えている。ものすごく大量の葉書きを引越しの度に持ち歩いていた。その時に出会ったリスナーたちは、今、皆、いい年になって某放送局のプロデューサーになったり、舞台監督になったり、ものすごく過激なペンネームをつけていた人が、父親になったり、母親になったりしている。
でも、年を重ねて関係性が変わっても、あの時に一緒に過ごした時間があるから、今の私がいるんだと、胸を張っていえるほど、大切な人たちだ。

そして、時々思うのだ。
皆、どうしているかなぁと。

昨年、初めての司会の現場に入ったとき、現場の女性プロデューサーがすーっと近づいてきて、私の当時のラジオネームを呟いたときには、腰が砕けそうなほど驚いた。当時12.3歳だった彼女は、仙台から遠くに住んでいるにも関わらず、毎週私のラジオを聴いてくれていたのだと言う。
こんな出会いもあるのだなぁと、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。

私が、私を支えてくれたリスナーたちにお返しができること。
それはやっぱり、あの嬉しかった気持ちを、あの満たされた想いを、
私は誰か応援が必要な人に繋げていくことなんだと思っている。
苦しかったり、悲しかったりする人を、私が出来ることで応援していくこと。それが、私が出来る恩返しだなぁと思っている。
鶴の恩返しならぬ、「長子の恩返し」である(笑)

みんな。
元気ですか?今、どうしてますか?
私はね、あれから色んなことがあったよ。
でも、なんとかやってる。
もう、ものすごい年になったけど(笑)
皆も年を重ねてるから、同じだね(笑)
思い出話したいねぇ。
そして久しぶりに叫んでみたい
「退場~!!」って
あの頃、みんなに貰ったパワーは、
今でも私の中で息づいているし、
今でも大事な宝物。
ありがとうね~。みんな。
大好きだよ~。

風子こと、長子姉より

今日も最後まで読んで頂き、
ありがとうございました。
これを読んでくださっている皆さんも、
私の大切な応援団です。
本当にありがとうございます。

それではまた明日。
同じ場所で。

サポートして頂きましたら、甘いものなど食べに行かせて頂きます✨😌✨