逃げ出したいと思う夜に
1日140ページ近い原稿の下読みと収録に四苦八苦して「もう、嫌だー」と叫びたい夜である(笑)
これまでも何度か、もっともっと大変なことで、逃げ出したいと思ったことはあるけれど、こんなにはっきりと「もういやだー」とは叫べなかったな。と、ふと思った。
逃げ出したいと鬱々と思う時、人はじっと耐えている。
まるで春を待つ草のように、踏まれても、踏まれても、耐えている。
誰に何も言われなくとも、ただひたすら胸に抱えたまま耐えてしまう。
「しんどい」「嫌だ」という言葉さえ、出せなくなる。
もしかしたら「しんどい」「助けて」と言葉を出せているうちは、まだ大丈夫なのかもしれない。
と、ここまで書いて、今の逃げ出したいは、単に本当に単純に、休みが欲しいだったり、好きなことが出来る時間が欲しいということなんだと気づいた。本当にしんどい時は、声すらもでなかった。
何度もリセットボタンを押したくなっていたな。と、。
今は、リセットされたらこまる。
だから、ただただ進むしかない。
黙々と。
人生も、もうあの頃に戻りたいなどとは、一瞬も思わない。
今の自分が一番好きだから。
でも。私の性格的に、黙々が苦手なのだということにも気づいている。
1つことが始まった時点で、次のことへ気持ちが向いてしまうタイプだから、台本のある世界よりも、台本のない世界が好きなのだということにも、薄々気づいていたりする。
こうして、しんどいことを通して、人は自分の見直しをさせられる。
何が好きで、何をしているときが一番自分らしいのか。
何をやってよくて、何をやったらいけないのか。
どんな人と一緒にいると安らいで、
どんな人と一緒にいるのが苦しいのか。
自分というものに気づきを得ていけることは幸せだだね。
だって、本気で逃げたい、逃げ出したいと思っているときには、今、自分に起きていることが学びだなんて思う余裕なんて、1mmもない。
こうして「しんどい」「逃げたい」と言葉に出来るのだから、まだ大丈夫なんだそう思える。
しんどいときに、「しんどい」と言えてこなかった私は、
こうしてここで「しんどい」「逃げたい」という言葉を正直に綴ってみたら、実は今、とても落ち着いてしまいました。
言葉にすることの大切さ、外に出すことの大切さを今、噛み締めていたりします。ここでもまた、大きな気づきを得て、また明日も頑張れそう。
まだあと20ページくらい下読みが残ってるけど。
明日も収録でヘトヘトのヘロヘロになっているかもしれないし、また、何も書くことが浮かばないかもしれないけれど、また明日もここに戻ってきます。今日も最後まで読んでくれてありがとう。
それじゃ、また明日。
同じ場所でね。
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