見出し画像

痛みを知って行動できる人でありたい

世の中には、自分が体験したこと以外は想像できない人とというのがいる。そうした人は、平気で(という感覚もないのだろうが)人を傷つけてしまう。又、自分が体験したことを、違う相手にさせてしまうという人も、中にはいる。どれが常識的なのか、といった話をここで書くことはしない。
常識は一人一人が違っていたりする。そんな中で中途半端な答えを探しても、言い争いになるだけだ。

ただ私の話として、私は「痛みを知った上で行動出来るひとでありたい」と、そう思うのだ。

痛みは人を疲弊させていく。
痛みは正確な判断が出来なくなるのだ。
私はその痛みを知っているからこそ、人の痛みを思いやり、他の人は同じような痛みを感じないようにしようと思っていた時期がある。
けれども、そこに、自分を傷つけるような行為が芽生えたのだ。
自分が我慢すれば、といった自傷行為のような気持ちの芽生だ。
けれども、それは、少し間違った行動かもしれないと思うようになった。

痛みを知らないという人がいることに気づいたことも大きかった。
痛みを知ってはいるけれど、自分が痛い思いをしなければ、何でもいいのだと思う人もいることに驚いた。
こうした人に共通しているのは「奢りや高ぶり」である。
下手に出てくる人を、自分よりも下の存在として扱うようになってしまう。悪い癖が出てくるのだ。そしてそれを本人は気づかないのだ。
もしあなたが我慢をしていて、その我慢が相手は当たり前と捉えられるような状態が続いたら、それはあなたの行動が間違っているということを認めて欲しいなと思っている。
そうした人とは、距離を縮める必要はないということも覚えていて欲しい。

私たちは「心」で見ることを忘れてしまいがちだ。
喉もと過ぎれば熱さを忘れるひとも沢山いる。
けれども、私はいつも心を研ぎ澄ましていたいと思うのだ。
痛みを知った上で、自分の本当の思いを相手に伝える勇気を持ちたいと思うのだ。共生できる道を探りたいとおもうのだ。
そうでなければ人としての大きな課題である、共生の道が途絶えてしまうからだ。

痛みを知りながら行動を起こしていくこと。
これこそが、これからの時代に必要不可欠な力のような気がしている。


今日は、思ったよりも風が冷たくて「寒い」「冷たい」という声を沢山聞きました。寒暖差がはげしくて、体調を崩しやすい季節です。
そして、どうやら花粉がたくさん飛んでいるようです。
皆さん、くれぐれもご自愛くださいね。
今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
また明日、同じ場所で。


サポートして頂きましたら、甘いものなど食べに行かせて頂きます✨😌✨