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追悼 戸田さん

私の人生の一時期の恩人との思い出話。

2009年の7月、私は前の会社での事業が立ち行かなくなって休眠会社状態になり、一人でフリーランスとしてウェブメディアの運営をしていたところを、福島さんから声をかけてもらって、創業間もないイストピカに誘ってもらった。福島さんは大阪在住だったが、渋谷で面接があるということだった。東京オフィスをたちあげようとしているという話で、渋谷の桜丘の雑居ビルにあった自習室兼貸オフィスのような場所に案内された。そこに一人で働いていたのが、戸田さんだった。

戸田さんはデザイナーで、戸田さんが描いたゲームの公式ウェブサイトのデザインを、DreamWeaverを使ってHTMLにしてウェブサイトとして公開するというのがイストピカでの私の最初の仕事だった。DreamWeaverなんて使ったことなかったが、できるよねみたいに言われて、やってみたらなんとかできた。それ以後も、戸田さんはややハードルの高い目標を私に課し続けてくれた。

最初のオフィスはとても狭く、二人ぶんの机を並べるとそれでいっぱいだった。それから2009年の11月くらいまでの数カ月間、戸田さんと私は2人で2畳足らずの狭い貸しオフィスで机を並べて開発し続けた。
やがてモバゲータウンのプラットフォームでセカンドパーティとしてゲームを開発する案件が立ち上がり、人員を増やして同じ渋谷区内のもう少し広い部屋に引っ越すことになった。組織の拡大によってあと2回、オフィスは移転してそのたびに大きくなった。2人だったメンバーが何十人にもなった。

戸田さんとはなんか印象的なエピソードがあるかというと、正直あんまりない。けど2人で机を並べて数ヶ月事業立ち上げに必死でやっていた時期から、ビストランテを軌道に乗せるまでの約1年間は、自分の人生の中でももっとも必死で働いて、もがいた時期だったと思う。文字通り泣きながら仕事してたこともあった。なぜあんなに必死になれたんだろうって思い返すが、その期間、いつも近くにいたのが戸田さんだった。物言わぬ厳しさ・ただずまいを持っていた、静かなメンターだった。言葉少なに背中を押してくれて、自分の思ってる限界を越えて仕事させてくれた。圧倒的なプロフェッショナリズムで、さぼったり、逃げたりすることを許さない、そんな雰囲気があった。だからあのとき頑張れたのかなって思う。あの時期があっていまの自分があります。ありがとうございました。


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