「君の膵臓をたべたい」と選択理論

先日JPSA川崎しあわせ支部で「君の膵臓をたべたい」が選択理論を説明する教材になりそうと話したら、もう一度聞かせてほしいというリクエストをいただいたので書き出してみました。(一部にネタバレ有り)


物語の主人公「僕」は友達がいなくて他人に興味がなく、本を読むのが好きで引きこもりがちな高校男子。

でも実は友達がいらないのでも、他人に興味がないのでもなく、自分にそう言い聞かせていた友達作りの苦手な「僕」。

クラスメートの女子と病院で会ったおりに彼女が余命宣告を受けていることを知ってしまい、彼女のバケットリストに付き合うことになります。

最初は偶然の出来事だ、とか自分の本意ではない、とか思っていた「僕」ですが、彼女と色々なことに取り組むうちに、自分が本当に求めているもの(願望)に少しずつ目を向けるようになります。

余命宣告を受けているにもかかわらず明るく前向きな彼女は「僕」に色々な情報を与えてくれますが、その中でも名言だなと思うのがこんなセリフ。

「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。君が今まで選んできた選択と、私が今までしてきた選択が私たちを会わせたの。私たちは自分の意思で出会ったんだよ」

なんて選択理論を表現した言葉なんだろうと思った部分です。

さらに物語りの後半にこんな出来事があります。

友達つくりなんで上手くできないから友達はいらない、一人の方がいいし、本があればいいと自分の本当の欲求充足を誤魔化して、今手に入る欲求充足をしてきた「僕」ですが、実はそれまでも何度も友達を作るチャンスがありました。

たびたび「ガムいる(食べる)?」と聞いてくるクラスメートがいたのですが、「僕」はその度に「いらない。(好きじゃない)」と答えていたのです。

そんな「僕」が町中でガム君と僕がばったり出会い、いつものやりとりが行われます。「ガムいる?」「いらない。」

しかし一歩踏み出した「僕」は今回は足を止め振り返り、ガムを受け取ります。

人の行動は選択であり、選択だから別の選択肢もあり、していることは変えられる。

だからこそ自分の本当の欲求充足のために自分のしていることを客観的に自己評価してみよう、という選択理論のポイントが見事に現れているシーンだと思います。

もし選択理論に興味はあるけれど難しそう。なんとなくわかる小説とかないの?という人がいたら、私は迷わず「君の膵臓をたべたい」(小説&アニメ映画)をお勧めします。

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