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精子ドナー現る

10年前くらいに半年間一緒に住んだ男性がいた。
彼とはハロウィンの夜の帰りのバスでたまたま出会った。
初めて会った時はお互いに仮装していて、本当の姿がわからない状態で話た。とても不思議な出来事だった。
彼は約10個年下の日本で育ったアメリカ人の男の子だった。
なんやかんやでそれから連絡を取るようになり、彼はその頃住むところを探していて、私は当時若く、他人と住むハードルが低かったということと、たまたま2部屋ある家に住んでいたので、家賃の高い外国で私も家賃を半額払って貰えば助かるということで、一緒に住んだ。

その男性はその後、アメリカにの軍隊に入り、世界中の基地に住んでいた。
時々私と近況報告がてらメッセージでやりとりした。

ある時、世間話感覚で、私が精子バンクのドナー精子で選択的シングルマザーになろうとしていることを彼に伝えたことがあった。
経済的に大変になるよ!と言われ、彼氏でもなんでもないのに猛反対された。(ちなみに、シングルマザーになるという選択を反対しない男性に出会ったことがない。)
でももう決めてるし、今もうやってるし、と言うと、どうしても妊娠したいなら、精子バンクの精子を買うのはお金がかかるから、自分の精子を使えば良いとすぐさま彼は言った。
頼んでもないのに、こんなことを言ってくれる人はなかなかいないと思う。別に彼が私に恩義があったからとかいうことではない。
彼は自分という人間に自信があるからだと思う。
私はその時はそう言ってくれるだけでありがたいと伝え、現実的にもその時お互い遠い国に住んでいたので実現しないことはわかっていたので、冗談で、頼むことになったらお願いしますと笑いながら返した。

それから数ヶ月経ち、彼から数年ぶりに電話がかかってきた。
私の住む街に彼の実家があるので、家族に会いにもうすぐ行くと言う。
だから会おうと言われた。彼は精子提供について、冗談じゃなく考えていた。

確かに精子バンクから精子を買うのには1回分あたり20万円くらいかかる。
もう精子バンクのドナー精子との人工授精にはすでに100万円使ったが、まだ妊娠できていない。
彼の精子で人工受精させてくれたら、金銭的にはとても助かるのだ。

でも私としては、知っている人の精子で妊娠することに抵抗がある。
彼は素晴らしい人間だし、容姿も良いし、彼のことが嫌いというわけではない。
ただ、かと言って好きな人というわけではないし、愛し合って結婚した夫ではないのに、知っている人がお父さんになってしまうと、その人のことをずっと思い出してしまう。
しかも、もし子供が成人するまでに、遺伝子上のお父さんに会いたいと言って、彼も会うことを承諾して、実際会ってみてから、何かのきっかけで、彼に子供を取られてしまうかもしれないという恐怖が一番大きい。そんなことになる可能性は低いことはわかっているけど。
その点精子バンクのドナーは情報提供を承諾していても、子供が成人になるまで会うことができないという決まりになっていて、子供が成人するまでは情報をもらえないようになっているので、物理的に会うことはできない。
子供にとってはその方が酷なのかもしれないが、成長過程で母親の私ですら知らない精子バンクーのドナーと一緒に暮らすことになるなんて倫理上絶対にあってはいけないのだからそれで良いのだ。
やっぱりそれが私には一番しっくり来る。
(様々な理由で知人ドナーの精子を選ばれる方もいらっしゃるし、それを批判しているわけではありません。私ももし、別の機会に他の知人ドナーから精子をもらえるチャンスがあって、その時納得できていたら、知人ドナーをお願いしていたかもしれないし。)

彼は自分に自信があるので彼的には私が断る理由はないと思っているし、本当に懐の深すぎるオファーなのだが、一晩考えた結果、やはり断ろうという結論に至った。
私が命をかけて産む大切な命なのに、お金だけが理由であなたのお父さんは最初のプランから変わってしまいましたなんて、生まれてくる赤ちゃんにとても伝えることはできない。

私がベイビーを産むことに対して、マミー以外にも一生懸命になってくれようとした人がいたんだよっていうことは、素晴らしいことなので、それはいつか伝えるかもしれない。
私以外の人が、私が子供を持つことをサポートしようとしてくれたことは実際大きな心の支えにはなった。

少なくとも、彼のおかげで、私が精子バンクのドナー精子を仕方なく選んだのではなく、あえてそうしたんだということに気づかせてくれたことには違いない。彼に感謝したいし、10年前の出会いの先にこんな未来があるなんて思ってもみなかった。

きっと100年以上昔に生まれていたら、こんな選択はできなかっただろう。
昔も選択的シングルマザーはいただろうが、会ったこともない人との子供は妊娠できなかったはずだ。

自分の望む通りの選択をすることができる今の時代に生まれてきたことを、奇跡に感じるし、とてもありがたく思うし、どこか必然的にも感じたそんな夜だった。


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