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おれはワークショップが「キライ」だったのかもという気づき
久しぶりの往復書簡。ほんとうに久しぶり。書く気になれなかったことが大きいがすこし書きたい気持ちもわいてきた。スマホ書きだけど。
いろいろあった。いつから書いてないか忘れたけど。
つらくてしょうがなかった会社は辞めて新天地にいる。新天地でだいたい半年たった。
新天地では管理職になった。思った以上にフィットしているのかもしれない。毎日会社いくのがあまり苦ではない。それが嬉しい。
1on1とかして話聴いて組織整えて、めんどくさいけどお世話好きにはいいのかもしれない。すごい昔に管理職したときもそうだった。そんときは失敗、かはわからないうちに部下はメンタルで辞めたり、俺も個人事情で辞めたり、ほどなくして部下全部やめたので組織の問題もあったのだろうけど。
まわりから見たら失敗かもしれないが、楽しんでやれてた。人事の今の立場から見れば失格ではあるかなあ。
住まいも移住した。新幹線通勤なるものを果たしている。やりたかったこと。まあ新幹線より飛行機派なのであるが。移住先はまだ整えている最中。もどかしいが新しい環境をつくりあげる喜びもある。
大学院進学もしていまは休学中だ。入学した頃は学びたかったまちづくりの最高峰で学べることがとても嬉しかった。正直情熱も冷めてしまっているのだが、仕事が忙しく優先になっているので仕方がない。普段からまちづくりのしごとだったらいいのかもしれないが、あまりに離れているし。
タイトルのことについて書かないうちに終わりそうになってしまった。相変わらず。ワークショップキライかもの話だった。
うっすら、そう思っていたことがあるけど、久しぶりにこのことについて思いをめぐらしたら、結構確信に近い感じでイヤなんだなと言う感覚が出てきた。
はてな用語を思い出すと、けまらしい感じ。
Facebookとかもうロム専(死語)なんだけど、出てくるのよね、知り合いがやってるワークショップ的なのが。イベントはまだいい。まなびとかに結びつけた成長発達モノが、苦手だ。
おいおい。
おれはそれでメシを食ってた、し、いまも少なからずそのおかげで食ってるとこあるんだという気持ちにもなる。
ガチワークショップのファシリテーターはやらないやれないけど、人事とか組織開発とか人材育成とかのプログラムと山ほどかんけいして、修士号までこの分野でとっててこれかよ!って思うけど。
でも。
新天地で、もっと日常感の中で、がんばって、マネジメントして、対話して(対話とかゆっちゃうが)なんとかやりくりして、ってやってると、儀式としてのワークショップとかファシリテーションの作為性がどうもダメなんだなあ。と。
論を飛躍する。「権力」が好きなのかもしれない。
相手と自分の非対称性。従えるだけでなく従う。
役割として。演じる。それでいい。おカネもらえてればそれもプレイ。
日常くらいは、好き勝手して生きたい。
だから、仕事で個を開放しますみたいな文脈でワークショップやるとかは嫌なのかも。
割り切ってるから。会社員として。
だから、ワークショップとかやる時間がもったいない。飲もうよ、だったらと。いまは無理な時代だけど。
自己否定?いや、でも本心でもある。
職場づくりとしてのワークショップは好まない。
あまりもうやりたくないや。
でも、心理療法としてのオープン・ダイアローグは興味あるけどね。
不器用だけど、いいクリエイティブをつくってる今の会社は居心地いいし愛が芽生えている。できるだけがんばって、潮時までは価値提供したい。
その後は、ワークショップとか面前でディスりながら悠々時的に移住先で毒吐きたい。
それって山口周だよね。売れる前から憧れてました。会社に来てくれたときに関係のスタッフでいられなかったからリアルではよく知らないけどね。はてなブログつくってすぐ消したのとかRSSリーダーで拾っちゃったりしてたけどね。
そんなで。
気が向いたらまた書きつけます。
@いぬじん氏
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