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じぶんの高揚のためだけの覚えエントリー

です。なぜまちづくりなのか。言語化しきれていないのだが、基本的にはソーシャルキャピタルの貧困化への対応といいますか、真のリア充に向けた旅路ということなのでしょう。


あとは、鍵アカに記した文章。

避けてたけどやはり読みたくなり山口周の新刊Kindle購入。飛行機で読んだ。発想広げたい系の本は飛行機移動でこそ読むべき。新しい気づきというよりは、忘れていた大事なことを思い出させるのが山口周の本の効用であり、高揚が得られた。
ひとつは意味をクリエイトできることが価値ということ。人生の意味、というのを与えられるのでなく描けるかというのが大事やねと。これを実感できるまでに長くかかりまくったし、今も見失うし、今ですら心底ハラオチしてるかは不安だが、高揚するという心的サインがある。
関連して、基本、仕事なるものはブルシットワーク化しているということ。この主張はもとはグレーバーのものだが、俺の解釈では仕事のマッチポンプ化というもの。勝手に問題製造して文化的でもない雪かきを延々とやる現代的苦役、ということ。
そんななかで、俺が問題、と思っていることは、リーマンのソシアルキャピタルの貧困化、ということはかなり強く自覚できた。当初、企業内で社会関係資本を構築することが幸せ、と思いこみ、なんかいろいろとやってみたが、それは幻想。資本というカネの論理に拘泥することこそが幸せという結論に至った。
翻って、子供ができて育休を一年半もとって「生活亅に潜った結果、いずれは中高年そんな生活になろうし、予行演習した結果、我々中年のオッサンに足らないのはソシアルキャピタルにほかならないと感じるに至った。
そんなソシアルキャピタルを手当するにはなにが必要か、端的に言えば核家族の外の豊饒なつながりであり、そんなつながりを誘発する居心地が良い物理的かつ心的なサードプレイスであろうというのが昔から思ってたけど、育休時の生活のなかで、実感深まる機会であった。
だから、手を付けられずにいた、都市やまち、という物理的空間とコミュニティ、という分野に踏み出すことにしたわけであった。40をこえるタイミングで、俺なりに中年の危機のなかから導き出すことができた行動となった。
いつも高揚して盛り上がったときに、人生はへんなふうに拓ける感覚がある。今回は出産、育休、そこの基底にあったのはある種のリーマン出世とか能力のなさからくる挫折だったが、試行錯誤を経て、新しいステージに踏み出そうと出来ているのは、ギフトである。
大阪という街は、やはり俺を饒舌にする。ソウルフルでクソで、どこか無駄があって、無駄こそが人生だ、と解っている規範があるからだと勝手に思っている。久々生き返る街に戻ってきたで、大阪ー
(連投終わり)

午後8:44 · 2019年9月12日



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