見出し画像

スキズハンジソン.2

ハンジソンが、8人組のアイドルの一員をしてくれている事を思う。
自分がいないと成立しないような楽曲の中で仕事をする彼を、
おちゃらけの中でたまに怯えるような表情を見せる彼を、
明確な自分の色を持つ彼が、自分の色以外をも表現しきる凄みを、思う。

一人ではここまでやってこれなかったと彼自身が感じているからこそ、
わたしたちと一緒に居てくれるんであろうハンジソンを、思う。
※ハンジソンは上段中央

21歳の彼は、10代の頃からそこらのソングライター真っ青なレベルのラップラインを書き、メロディーを作ってきた。14歳で高校の卒業資格試験をパスし、そのまま大学に行くつもりだったと言う。その能力をアイドルと音楽に全振りしてくれての今だ。本来であれば、彼中心に事が進むほどの天賦の才能と華でビジュアル。見た目の可愛(本当に可愛い)さから見誤るが、ハンジソンは彼一人で成立しているアーティストだ。(うざい私みたいな顔ファン多くて困るタイプのバンドのフロントマンだよ、あんたはさ)

グループでアイドルをしてくれている事が不思議なほど、彼は「ハンジソン」として完成している。彼には彼の表現したいものの色が明確にあって、それを論理以上の方法で形にしていく。
天才のいるグループはこれまでもたくさんあったと思うが、ストレイキッズにおいて、ハンジソンはリーダーでもなくプロデューサーでもない、序列でも年齢でも、ちょうど真ん中くらいの子である。そんなのほんとに可愛くてどうしてやろうか(結局かわいいかわいいでちゃんと言語化できないなら、書くの止めなよ、ほんとキモイから)。


グループ内の彼は、オールラウンダーとしてメインラッパーでありながら、高音の歌唱パートを担当する、洒脱に踊り、最高の舞台センスを魅せる。
英語を話し、日本語もメンバーの誰よりも理解している。言葉のセンスと頭の回転の速さを感じさせながらも、ビジュアルは小動物。
ハンジソンにはアイドルとして、欠けている部分が一つもない。(小動物可愛い小動物だいたいハンジソン可愛いものだいたいハンジソン)

なんでも出来るオールラウンダーは、本人の個性という補助線がないと、何でもできるけど面白くない人と、紙一重だ。

彼はグループ内で担っているものがとてつもなくデカい。担っているもの重荷と感じながらも同時にそれがプライドになっていくものだと思うが、その大きさ割に、不思議なほど偉そうなそぶりを見せない。彼がいないと成立しないような楽曲の中でも、自分が難なく出来ることに対しては、意外と人は冷静なものなのかもしれない。

私は、そのハンジソンに少し虚無感や寂しさを感じる。
ハンジソンはずっとすこし寂しいひとで、この個性をおいて、彼を語ることはできない。(リアコのギャップ大好物美味しいほんとにかわいい)


彼は周囲を巻き込み自分のしたいように事を運べる論理と圧を持っている。知能指数的に周りよりも少し先にいる彼は、どこにいても人を笑わせて盛り上げる側になるだろうが、ハンジソンの明るい印象と、本来の彼との間のそのギャップに私は虚を感じる。周囲を巻き込める分、周囲が見えてしまうし、自分の事を分かってもらえない孤独を、人が遠巻きに自分を見ている事の優越感と寂しさを、ハンジソンはずっと感じてきたんじゃないかと思う。その寂しさに向き合うと、曲が出来て、すこし昇華され、再び苦しみと向き合い、曲が出来る。これまでストレイキッズが歌ってきたハンの制作の曲は、ポジティブなエネルギーの循環としてのそれではなく、こういった彼の寂しさや孤独による成果物だと感じていた。

ただ、この一年、ハンジソンが制作しストレイキッズとして発表された楽曲は、これと違うような気がする。彼は、楽曲を聞いた大衆が共鳴するように個人の感情を拡大させることを試みているような気がする。彼が発表しているソロの楽曲のような彼の個人的な感情をそのまま歌った曲が、同じ思いを抱えて転んだ人間を抱き起すことがある。それとは別に、大衆が内容を理解し没頭してその物語にのめり込むような楽曲もある。ハンジソンはその両岸を自由に行き来できるようになった、そんな気がする。(気がするばっかりでよく書いてるね、その勇気よ)

ストレイキッズというデカイプラットフォームを使って彼が描くものは、彼だけで表現するものとは違う。

2年前に、日本語盤としても制作され日本でも発売された「SLUMP」はハンジソンしか作れないハンジソンの感情の曲だ。
2年を経て、
今年日本のアルバム内で発表された「Fairytale」はどの層の大衆が聴いたとしても、中身を理解し何かを感じられる。

ヒリヒリするほどの自己表現が大好きな私は「SLUMP」を聞いた時、そしてそれを歌うハンジソンを見た時、感銘を受けすぎて何度その場で繰り返し見たか分からない。ただ、凄いとしか言えなかった。自分の気持ちをここまで歌に昇華して、人を感動させるのはどんなにすごい事だろうと思う。
そこから、「Fairytale」を発表するまでに、映画を見たところから曲を書くことに挑んでるようだった彼は、ここにきて何かを掴んだらしくハンジソン制作の楽曲は凄みが増した。彼は自分の気持ち以上のものを曲にするという方法を習得したようで、そんな簡単に出来る事じゃないだろうに、出来ちゃったんだろうと思う。……なんだ、ただの天才か…天才なのか、ハンジソン(顔可愛いし)


それではここで一曲、ストレイキッズで、2021年年末に発表されたハンジソン制作の「winter fall」お聞きください。


本当に全員顔、可愛い(結局それ言っちゃうから、これだからオタクはって思われるんだよ、そろそろほんとに黙ればいいのに)

てか、これがアイドルの自作曲の世界線なの、本当マジない、凄すぎんか。

舞台を降りれば、ホームではない場所での不安げな表情や、自分よりも優れていると彼が思っているものに対して、すこし引いたもしくはひねた態度を見せるところがあったりする。人間臭いこの部分すら魅力に昇華させ、彼の作る曲にまで派生して、結局、ハンジソンは完全無欠の応援される側の人間になる。

曲を作る事以外に、執着している様子もなく、とっかかりや引っ掛かりを探し続けて、自分の脳の回路を使って、自分の事を曲を作るマシーンと客観視している気もするし、その先にしか自分の表現がない事も分かっていそうで、すこし心の弱そうな、たまに怯えたそぶりを見せるハンジソンの全てが、魅力的なのだ。


先日、初めてのストレイキッズのライブで見た生ハンジソンに、グループの曲を完成させるその存在の大きさをまざまざと見せつけられた。プライドと才能に裏打ちされた、余裕のある洒脱なパフォーマンス。

他のメンバーがセンターステージで近くのファンにファンサのお手振りをしているのを横目に、メインステージから遠くの二階席のファンにもげそうな程腕を動かして手を振っていた。見切れ席の方を何度も気にしていた。色々思う事があるだろうなと思う。わたしには、そのハンジソンの仕草は彼が会場でも遠くから手を振る私たちの事気にしてくれていると思うと共に、「ここは今、君のホームだよ、安心していいんだよ」と、心に直接話しかけてしまった。この時、大マジにハンジソンの心に直接話しかけていた自分を怖いと思うし、半分くらいはハンジソンも悪いと思う。
(人間に懐かない小動物だ、まだ慣れてないから警戒してるどうしよう、かわいい死ぬって思ってましたけど、なにかおかしいですか)


賢いハンジソンがこれから見る夢を思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?