初詣

2021年ももう1ヶ月。
やっと重い腰を上げて1つ書く。

初詣で、人生で初めて心の底から「家族が健康で幸せに過ごせます様に」と神様にお願いした。
今まで、やれ受験に受かりますようにやら、あの人と付き合えますようにやら、試合に勝てますようにやら、なにか、神に頼んでも成功したいものがあった。手に入れたいものがあった。

初詣のいつもよりソーシャルディスタンスのせいで長い列に並びながら考えた。はて、わたしは今なにを叶えたいのだろう。もちろん、ブランド物のカバンが欲しいや、痩せたいや、年相応に美しくなりたいや、そういった欲にまみれた浅い願いはある。
しかし、今までみたいな切実な願いとか、どうしても叶えたいと思うほど努力していることとか、そういったものがなにもないのだ。
満ち足りているのだな、と思ったが同時に、なんてつまんない人生なんだと思った。
本気でやりたいことがない。うまくいかせたいと思うなにかがない。
流れるような事務作業、苦にもならないけど楽しくもない仕事をして。
結婚したから、どうしても付き合いたい人もいないし、振り向いてもらえない苦しさもない。
子供は今のところ欲しくないし、現状維持でなんら問題ない。現状維持を目指した瞬間後退だという焦り以外は。
アラサーになり、周りは結婚して子供を持ち始めるか、仕事を楽しげにやっているかのどちらかである。どっちでもない自分に焦りを感じる。いや、周りがどうというのは関係なく、「なにもしてない」ことが恐らく人生で初めてで戸惑っているのだ。

1ヶ月うんと考えたけれど、今の状況を脱してまでやりたいこと、続けたいことがなにも思いつかず、韓国ドラマと映画ばかりみて1ヶ月が過ぎた。からとりあえず描いてみた。
やっかいなのは、アラサーにもなると、「これを成し遂げようと思うと、これくらい毎日時間を割いて、これくらい労力をかける必要があるな」と考えてやる気が失せることだ。それを上回る情熱を持てるものを探している。
いや、それではダメなのだ。とりあえずやってみて、続けば好きだし、続かなければ好きではないのだ。
いや、それでは何事も一生続かない。
と3段論法をグルグルするのだ。


他人からすれば、一生そこで留まってろ、という話だが、これも忘れるから1つ書き留めるのだ。

…恐らく人は、こうなる頃に子供を作るのだろう。しかしこのまま子供ができれば、「なりたかった自分」を押し付ける、一番なりたくない母親のようになってしまうので、これはなんとしても避けねばならぬ。


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